第8話 本編5 得体知れず(2), 本編6 奇妙な相談(1)


 阿鷹としてはこの事務所に入って以来、初の顧客対応だった。これまで接してきた調査案件はどれも所長の鵜飼がいつの間にか受任してきたものばかりで、事務所にやって来た依頼人と直接会った事は無い。


 阿鷹は少し胸を躍らせながら二人を応接室に案内した。部屋の入り口の横に立った阿鷹は二人を応接室内に誘いながら、入口を挟んで、阿鷹が立っている方とは反対側の壁にある「別室」の狭いドアに眼を遣る。その前を女の来訪者が厳しい顔をこちらに向けながら通り過ぎていった。


 二人の来訪者が応接ソファーに腰を下ろすと、阿鷹は丁寧に頭を下げて、応接室から出た。


 事務室の奥から、書類を片手にネクタイを整えながら、スーツ姿の鵜飼所長がやって来た。阿鷹も「別室」の方に向かおうとすると、すれ違い様に鵜飼に腕を掴まれた。


 鵜飼は小声で阿鷹に言う。


「ああ、君。お客様にお茶をお願いできるかな」


「え? でも、それ、いつも雲雀口ひばりくちさんが……」


「今、買い出しに行ってもらっているから、ていうか、やっと行ってもらったんだから、早くお茶入れて」


「いや、どこにお茶っ葉があるのかも分からないんで、ユキさんに訊いて……」


「それくらい自分で探せ、探偵だろ、コラっ。シッシッ」


 鵜飼は阿鷹を追い払うように手を振る。阿鷹は口を尖らせて不満顔で給湯室の方に歩いていった。


 応接室の中に入ってきた鵜飼所長は快活な様を演じながら手を上げた。


「いやあ、すみませんね。お待たせして」


「いえいえ」


 二人はソファーから腰を上げて会釈する。


 男の訪問者が挨拶した。


「初めまして。ピースピア・ケアライフの林田はやしだと申します。こちらは、ウチで現場を担当してもらっている豊島としまさんです」


 三人は互いに名刺を交換した。


 林田はやしだ陽一よういちという男から受け取った名刺によれば、彼は「ピースピア・ケアライフ」の施設長であり、統括経営部長を兼任する現場のトップであった。


 続いて豊島から受け取った名刺に目を落とした鵜飼は、一瞬眉を寄せる。


 苗字の前の冠書きが何も無かった。林田は現場の担当者と紹介したが、名刺には「介護福祉士」とか「生活相談員」などといった福祉関連の資格や職種の記載が無かった。


 鵜飼は細かく詮索することはせず、その名刺を名刺入れに仕舞った。


「ピースピア・ケアライフ」は手倉整形外科病院を経営母体とする高齢者福祉施設である。同病院の傘下に置かれ、実質的には資本の運営も人事の調整も手倉病院の運営主体である医療法人によって図られている事は周知の事実であった。


 鵜飼は名刺入れを上着の内ポケットに戻しながら言った。


「お話の大方は手倉院長から伺っています。素行の悪い職員がいるんですって?」


 鵜飼は現場の職員だという豊島に視線を投げた。豊島は下を向いたまま、何度も首を傾げながら答えた。


「素行が悪いというか、なんか、どことなく怖い感じの人なんですよ。笑顔は作っていても、なんだか目つきが悪くて、人格の問題といいますか……」


 要領を得ない豊島の話を遮って林田が口を挿んだ。


「はっきり言えば、得体のしれない男が一人、職員の中にいるのですよ。この男です」


 林田施設長は一枚の履歴書をテーブルの上に広げて置いた。



6 奇妙な相談


 応接室のソファーに腰かけている林田の背後のベンジャミンの中から、雀のマスコットが覗いている。そのつぶらな瞳を模した超高性能小型カメラの赤いレンズは、しっかりとテーブルの上の書類を捉えていた。


 応接室の隣の狭い「別室」の中は狭い。一畳半程度の縦長の部屋であり、部屋というよりは、むしろ納戸のような作りである。窓は無く、真っ暗で、応接室との境の壁にはめられたマジックミラーから入る微かな光だけが頼りだった。そこに奥から、大島と雀藤と鳩代が並んで立っていた。マジックミラーから見える鵜飼の後頭部越しに、来客者の林田と豊島の顔を正面から捉えることができる。大島と鳩代が二人の顔を観察する間で、雀藤はマジックミラーの覗き窓の下に隠したスマートフォンの画面を覗いていた。画面にはしっかりと、テーブルの上に置かれた履歴書が写っている。雀藤は逆様で静止している履歴書の画像の上下を整えてから拡大して左右の二人に見せた。背中を丸めた大島と鳩代が左右から雀藤に頭を寄せて、スマートフォンの画面を覗く。


 応接室では、鵜飼が手に持った履歴書を丹念に読んでいた。


 履歴書は山口剛という壮年の男性のものだった。貼り付けられている写真の人相は、お世辞にも良いものとは言えず、吊り上がった目と尖った耳が不気味な印象を与えてしまっている。


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