第5話 本編3 新規案件(2)

「働いでないじゃないか」


 所長の鵜飼うかい新一しんいちの声だった。スーツ姿の初老の男だ。手には「コロコロ」を持っている。初老と言っても、背筋は伸びているし、髪も黒くて多い。応接室に入ってきた鵜飼は、鳩代の口からまだ火をつけていない煙草を引き抜くと、それで鳩代を指して言った。


「ここは禁煙。いくらヘッドハンティングしたからといって、それは駄目」


 鳩代は下唇を出して両肩を上げる。


 鵜飼は煙草を上着のポケットに入れると、雀藤が持っているトランプの箱を指差して言った。


「おいおいおい、朝から職場で賭博なんかしないでくれよ。うちのモットーは清廉せいれん恪勤かっきんなんだからさ。カッキーンてね」


 脚を開いて腰を捻った鵜飼は、斜めにした上半身から両手を伸ばし、その先で奥の壁の横額を指差した。視線を雀藤に送りウインクする。


 鬱陶しかった。


 雀藤が黙って顔を逸らすと、部屋の外から覗いた大島が口を挿んだ。


「いや、別に賭博はしてませんよ。ただのトランプです、トランプ」


 振り返った鵜飼は大島の整った顔に指を向けて言った。


「五百円ずつ賭けてたでしょうが」


 そして不機嫌そうにソファーにコロコロをかけ始めた。


「――ったく。それに、これから来客なんだからさ、汚すなよな。ほら、腰上げて」


 阿鷹がソファーから腰を上げながら言う。


「昼飯代ですよ。一時娯楽物。一時の娯楽に供するものを賭けたにとどまるときは、この限りでない。刑法……ええと……」


 阿鷹の背中を押して応接室から外に出ていきながら、雀藤が続けた。


「刑法第百八十五条但し書き」


 頷きながら鳩代も応接室から出てくる。


 応接室は探偵たる調査員たちの事務机が並ぶ事務室と接している。事務室の中央には六脚の事務机が、並べた三脚ずつを向かい合わせにして置かれていた。窓の下の壁に付けて置かれた資料用のキャビネットの上には、掃除好きの所長の趣味ともいえる様々な掃除道具が並べられている。


 応接室から鵜飼がコロコロの紙を剝がしながら出てきた。剥がした紙を丸めてゴミ箱に放ってから、彼は阿鷹に言う。


「あのね、いくら法律で賭博罪の適用が除外されている行為だとしても、賭け事は賭け事でしょうが。ここは正義の探偵事務所なんですよ。会社にはイメージってものがあるんだから」


 角から二つ目の自分の事務机に腰を乗せた大島が、黒髪をかき上げながら言った。


「どうゆうイメージなんですか」


 不意を突かれた鵜飼は少し戸惑いながら答えた。


「だから、その、探偵といったら、正義の味方でしょうが。ええと……」


 彼は壁に掛けてあった販促用のカレンダーを指差して言った。


「ほら、ここ。『弱きを助け強きを挫き、闇に隠れた悪を討つ、株式会社トリノス調査探偵事務所』、正にこれでしょ。頼みますよ、ほんとに」


 鵜飼は念押し気味にそう言うと、窓際のキャビネットの方に移動して、皆に背を向けて、お掃除シートでキャビネットの上を拭き始めた。


 大島は彼の背中に向けて、声を出さずに「かあっ」と吐きつく。


 キャビネットの上を拭きながら、少し振り向いて、鵜飼が言った。


「ほら、鳩代くんも何か言ってやってくれよ。君は元刑事だろ。元警察官として、この阿呆鳥あほうとりどもをしっかり指導してくれないか」


 雀藤がすかさず言う。


「アホウドリじゃないです。スズメです」


 阿鷹も手を上げて言う。


「タカです」


 大島も仕方なし気に手を上げた。


「カラスです――って、このネタやめない?」


 雀藤は黙って首を横に振る。


 鳩代は怪訝そうな顔で三人を見回してから、髭を触りながら面倒くさそうに言った。


「いや、まあ、そうですけど、それは前の前の、その前の仕事ですから。今は、ほら、ただの民間人ですし、何というか、職場の輪ってやつも大切ですしね」


 振り返った鵜飼は握っていたお掃除シートを振りながら言った。


「何が職場の輪だい。その警察から大仕事が舞い込んできているっていうのに」


 入口ドアの前の、角の自分の席についた阿鷹が聞き返した。


「警察から? もしかして、この前の……」


 鵜飼は腕時計を見ながら答える。


「そうなんだよ。それにしても、あいつら何やってんだ。遅いなあ」


 大島の向かいの自分の席の前で立ったまま指を折って数えていた雀藤は、同じように隣に立っている長身の鳩代を見上げて尋ねた。


「あの、鳩代さんつて、前は何をされていたんですか?」


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