第6話 地に堕ちし神のキセキ
矢庭に現れたアクゼリュスの顔は不敵に嗤っていた。
沼の中心で奇声を上げるエリザベスの姿をひどく滑稽と言わんばかりに嘲笑し、その音を物ともしていなかった。
「神の声は、きつかろう? 。コイツを耳に足らせ、いい耳栓変わりだ」
アクゼリュスが投げて渡してくる小瓶、その中身は赤褐色の様で、しかし銀色のそれが瓶の中で波打っていた。
水銀だ。神を神たらしめるため黄金をかさ増しする為に扱われる不道徳なモノ。神が黄金の色を放つのなら人が人の手で作る神の偶像は黄金単体で作られるべきだが、しかし金は貴重だ。だから水銀を使い、それが原因で大勢の中毒死者が発生した。
水銀は魔導の象徴。精錬たる銀とは違い毒を持ち、自身の性質を偽り隠す。そして『魔法』の触媒として多く使われている。
「鼓膜が破けるぞ?」
この堪え難き残穢の声に耐えられきれず、邪教の『魔法使い』の手助けを借りるのは癪だったが、それを手に取り耳に垂らした。
耳に水銀を差し入れた途端、スッと大音量の魔性の奇声が耳鳴り程度に落ち着いたではないか。
「マナで精錬した点耳薬だ。この手の邪悪な神霊の呪詛にはよく効く」
カミラはこの耳鳴りが苛立たしく、剣を抜いた。
もう、隠し切れようがない。あの沼の中心で叫ぶエリザベス、いやエリザベスに似た何かは悪霊、荒神の類だ。
荒神懲悪。高潔たるアルデール神は仰った、人に害成す神は神足り得ない。それ即ち悪神であり、災害、災厄の禍であると。
剣の矛をその先に向け、対峙し懲悪せんと斬りかかろうとしたが、首根っこを掴まれた。
「ゴハッ──!」
「馬鹿女が、今まさに沼の底に沈んだ仲間の有様を見て判らんか? 。その重苦しい鎧を着て何をする気だ」
「ならば鎧を脱いで、泳いでアイツを斬るまでだ、離せ!」
「馬鹿にも程があるな。そう言えばお前は新人だったな……」
アクゼリュスが力任せにカミラを後ろに投げ飛ばし、冷徹にそれを俯瞰し、そして冷静に事態を把握し始めていた。
「沼自体が結界の役割を果たしているのか……フム……死に沼と言ったところか、触れれば忽ちあの世へ導く気か……」
アクゼリュスが皮履きのベルトを引き抜いた。それは柔らかな革製のベルトであったはずだがしかし、それは可変しカチカチと金属音を鳴らして奇怪な剣へと変貌を遂げた。
魔術教会『メイシス』に所属する魔法使いたちは一本や二本程武器を隠し持っている。それらは杖であったり傘であったり、義手であったり義足であったり、武器としての本質を隠し内実それは殺傷性に長けた仕掛け武器であり、一つの形状から二つ三つの機能を同時に兼ね備えている。
霧と炭の都『オースウェル』の武器工房の職人たちが自らの手でそれらを造り上げた芸術作品。メイシスの魔法使いたちがそれを買い込んでいるのは周知の事実だった。
「仕込みベルトのウィップサーベル程度でどうにか出来る相手ではないが……やってみるか」
ヒュンッ、と鋭い音と共に振り回され、荒神の神体に向けその兇刃が牙を剝いた。が、結果として言うのならそれはあまりいい成果は得られなかった。
荒神の神体をすり抜けていくウィップサーベル。まるで水面を叩く木の枝の様であり、波打ち撓むその像は不吉に微笑んでいた。
「フフフッ。人如きが造り武器、我が肉体に触れる事すら叶わぬ」
「フム……なるほど」
「何をしている。早くあの怪物の処罰をするんだ!」
「落ち着け、若いの。ありゃあ、『未完成』だ」
アクゼリュスはウィップサーベルを元の形状に戻し腰に巻きなおした。外套の内より取り出す大量の水銀を悠長に沼の辺に撒き始めるではないか。
「『未完成』の異質化した神を今屠ったところで、近いうちに再臨する。姿形は持っていてもあれらは、組み上がっていない歯車だ、現実に落ちた影と同じでただの虚像だ。壊すなら、二度とこの世に現れないよう完全に神格の
水銀を撒き終わったアクゼリュスは恐ろしい左腕を露わにし、しゃがみ込んで水銀に触れた。
眼に刺さる閃光と共に周囲の動植物が異様に成長し、植物の根が、動物たちの血管が、沼を覆い巨大な檻を形成した。
「これで数日は害が出ない。この数日を生かし神格の
──
────
──
神域から引き揚げたカミラ聖痕探索福音騎士団たちは満身創痍でボロボロだった。
大きな戦闘をしたわけではない。あれは一方的な禍を齎され踏み潰された蟻のように致命的にやられていた。
オルロスの村に戻ると、その状況に村民全員が大騒ぎ。
当然だ。教皇庁より派遣された騎士団がこんな状態に陥ったとなれば教皇庁より粛清の憂き目に会いかねない。恐々と畏れ遂には手を合わせ私たちを拝むように慈悲を賜ろうと必死で縋りついてくる村民たち。
勿論、この事は教皇庁には報告するが、村民たちには非はない。悪神が居たに過ぎない。彼らの罪は一切なのだ。
今後どうすればいい。
カミラは途方に暮れていた。
「…………っ」
身震いしてしまう程恐ろしい体験をしたのを今になって思い返す。
あの姿、思い返せば返すほど鬼胎じみていた。死人の姿を借り現れた神になるのか、神だとしても、あれは荒ぶる神。
人の手で触れていいモノではない。それを理解できてしまう程に圧倒的な災害だった。
人の手で及びもつかない。ただ影響だけを与え破壊の限りを尽くす、そう言った『現象』だった。
津波に挑む愚か者はいるか? 。噴火を迎え撃つ阿呆はいるか? 。
いないだろう。あれは現象なのだ……人の手でどうこう出来る代物ではない。そうなれば我々が出来る事などたかが知れている。
教皇庁に報告を上げ神域を禁域化し人の立ち入りを禁じ、あの神を忘却の彼方に葬り消極的な神格の消滅を待つしかない。
百年か、五百年か、それとももっと掛かるか。人の信仰心が完全に消え去れば神も死ぬ、寿命が来るはずだ。
この村もアーデル信仰に染め上げあの神の信仰を失わせれば、あの神も死んで逝こう。
そんな中、一人だけは違っていた。
カミラが軒先でうな垂れている中、シャベルを背負って歩き回る男、アクゼリュスの姿があった。
「貴様……いったい何をしている?」
「墓場を探している。あの神の依り代となった女の死体を改めたい」
そう言いまっすぐ墓地へと向かい歩くアクゼリュスにカミラは眼を顰めた。
この男、本気であの神を殺す気でいる。
神を封じ込め、対応したのも殺すために、今も汗水たらして殺す気でいる。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
神は殺せない。普遍なる存在だ。忘れ去るしか方法はないのだ。
なのに、この男は異様な執念にも似た何かで動いていた。
カミラも僅かではあったが、この男の執念の根幹を知りたくなった。
アクゼリュスの背を追い墓地へと向かった。
どこにでもある不燃的な墓地だ。墓石に死んだ日付と名前が彫りこまれたそれらが立ち並び、皆が皆手を合わせその霊魂を憂い思う場所であった。
「エリザベス……エリザベス……あった、ここか」
不思議な墓であった。墓石には死んだ命日が二つ、彫り記されていた。
最初に死んだ日と、そしてこの男が再度殺した日の二つ。アクゼリュスは容赦なく墓石を蹴り飛ばし、シャベルを地面に突き立てた。
「おい! 。掘り返す気か?!」
「死体を改めると言ったろ。掘り返さなければ死体を見る事も叶わん」
冷静にそう言うアクゼリュスが土を掘り返し、エリザベスを埋葬した棺桶を掘る出す為黙々と、そして嬉々として墓暴きをしようとしていた。
カミラも本来であればこのような冒涜的な行為止める筈であったが、事が事だ。止める事が出来なかった。
神の依り代となった女性の遺体。果たしてどんな秘密があるのか、とんと判らない。
そのこの男の執念、宿命を背負った居るかのような並々ならぬ執着心。神を憎んでいるのか、神が一体この男に何をしたと言うのか。
「なぜお前はあの神に関わる? 。道祖神と言っていたな、異端に落ちた神に怨みでもあるのか?」
「あの神自体に罪はない。神はただの現象に過ぎない。御心がどうこうといったモノはあれらには存在しない。そこに在るだけ、ただの無だ」
ザクザクと土を掘り返すアクゼリュスの声は次第に熱が籠り出す。
「だが、神は無でありながら願ってしまった、死にたくないと。そして最も近くにいたそれを知る者の願いを感知し、『聖杯』に影響されてしまった。──狂気の沙汰だ。神が人を求め、人を救うべくしてある存在が、人に災いを齎す悪に堕ちた。これを殺す事に理由などあるか?」
「それは……」
ないとは言い切れなかった。悪行は確かに正されるべきだ。
「神が人を頼り、縋り、人の創りし物に首を垂れたのなら、もはやそれは神ではない。畜生と一緒だ。家畜同様の低俗な存在に成り下がる。そうし向けた『それ』を俺は壊す必要があるのだ」
アクゼリュスが棺桶を掘り当て、それを軽々と持ち上げ棺の蓋に手を掛けた。カミラはその行為に意を唱えたかった。
しかし、この男の言う事も当然に思えたのだ。
あの沼の神が、人々に災いを齎すのなら──今後数百年の封印をしないといけないのなら、そんな気長に待って窮鼠のひと噛みの余力を残し最後の反抗をするのなら。
この男を、アクゼリュスの信念は止られる筋合いはなかった。
だがカミラの中で今迄培って蓄えてきた道徳心が、この棺の蓋を開くことをひどく嫌悪させる。
死者の墓を暴くなど、死者の様をまた見ようなどと──あって言い謂れはない筈だった。
「なんだ──新米騎士。その手を退けろ」
「どうしても……どうしても彼女の死にざまを見る必要があるのか」
「これは
「だがこれは、エリザベスの遺体だ。これ以上の辱め、あっていいのか?」
「魂を救うのだ。あの神に囚われてしまった哀れな魂、これ以上あの畜生と堕ちた神の玩具にし続ける方が不憫だ」
アクゼリュスの言う事は尤もだ、もっとも過ぎる程の正論だ。
神に囚われたエリザベスを本当に憂うのならこれを暴き、異端を露わにすべきだ。
しかしカミラの中での葛藤が、道徳心が邪魔をし続ける。受け入れるべき事を子供の駄々のように嫌々だと喚いている。
「覚悟がないのならこの墓地から去れ。仕事の邪魔だ」
アクゼリュスその一言で、カミラの中で痛々しい覚悟を決める事となった。
堕ちるのなら、この男に背負わせるくらいならカミラとて、私とて──。
スッと手を退け、カミラはその棺を俯瞰し祈りの手を取って印を切った。せめて我らが主神の加護のあらんことを願うしか、カミラにはできないのだから。
「……ふんっ──」
棺の蓋を力任せに引き剥がしたアクゼリュスはその遺体を、地に還るべき遺体を暴き出した。
その遺体は──酷く綺麗だった。
まるで血の気が、今も心臓の鼓動を続けているかのように血色がいい。
そして気味が悪い。その眼は、その傷口の断面は──人の体のそれとは違っていた。
眼は人の瞳ではなく蟲の複眼で気色悪く今も蠢いている。傷口は黄緑色のそれらが脈打ち、まるで今すぐにでも傷を治そうかとしている様であった。
「異端は暴かれた。──コイツは『ドッペルゲンガー』だ」
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