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 ピピピピピ。

 ゲームをやめたことを、「卒業」や「引退」なんていう大げさな表現を用いる人がいるけれど、当時の僕にとってもそれはもう一大イベントだった。

 ただオンラインゲームをしていたわけではないので、誰に伝える必要もないはない僕だけの問題にとどまってしまったけれど、「卒業」とか「引退」よりは「失格」と言うほうが近いかもしれない。

 ゲーム内でオリビアを、死ぬはずだった彼女をチートを使って生き返らせても、待っていたのは主人公ともう一人のヒロインとの、エンディングだった。

 ただのパーティーメンバーとなったオリビアは、二人のキスシーンを見守っているだけだった。

 スタッフロールが流れる中で、僕はオリビアを不幸にさせたんじゃないかという後悔がおそった。ゲームのキャラクターごときに、といえばそれまでだけど……

 オリビアは、生きていたことを……

 喜んでくれたのだろうか……




 家に帰ってからベッドに寝転がる。家にあるベッドは、さきほどのベッドに比べて随分と固いなと思ったが、毎日寝るのだからそりゃ固い方がいいに決まっている。

 そう、美亜はまだ罰ゲーム「三人の中で一番点数の低かった人は、一位になった人の言うことを聞く」という話をまだ覚えていてくれていた。なので、受け取ってほしいとロッカーの鍵を渡した。

 1500万円、チートで手に入れたお金、実際にいくら必要かは分からなかったけど、このくらいあれば援助交際なんてする必要なく卒業くらいはできるはず。

 彼女がすんなり受け取ってくれるかは別で、実際……ブーブーと非難するように携帯電話が鳴り続けている。

 まあ渡してしまったもん勝ちというか、あとは「デイトレで金が余っちゃってさ」みたいなことを言えばしぶしぶでも受け取ってもらえるだろう。問題はデイトレって何かを僕がよくわかっていないことだ。

 高校生でもできるものなのかな?

「お兄ちゃん……」

「うわぁ!」

 思わず声をあげて驚いてしまう。

唐突に現れたのは、拾だった。多感な時期である彼女がノックをせずに入ってくるのは非常に稀だった。というより初めてだろう。

 毎度ノックをするので「なんでいちいちノックするの……?」と聞いたことがあるが、なるほど初めて分かった。ノックは必要だ。

「チャオ」

 驚いたことをごまかすように、かっこよく挨拶してみた。拾は今にも泣きだしそうな顔だった。

「いつの間に帰ってきてたのぉ……?」

「いや、普通に10分前から帰ってきてたけど……」

「帰ってきたなら、帰ってきたって言ってよ……」

 いや、妹の部屋にわざわざ「素敵なお兄ちゃんが、帰ってきたよー」なんて言いにいく兄なんて少数派だろうし、拾にそんなことしたら普段なら無視するだろう。

 ゲーム機を渡してきた。受け取り、画面を見るとまた野菜が高騰してたが今回はつっこまなかった。

 拾の画面を横から覗いたことくらいしかなかったので、実際にこう目の前にあるのを見ると非常に画素数が高く驚いた。リメイク前とは比べものにならない。

「お兄ちゃん、なんか変だよ……」

 確かに変だ。

 何せ、画面にはどこかの王国の女王様と思わしき人物がこちらに向かって話しかけている。その台詞が「兄に会わせて」なのだ。

 Aボタンを押してみる。

「ありがとう」

 その言葉が、出て来た瞬間。

 ピピピピピ。と鳴った。今のゲームとは思えない、文字に合わせた機械音。

「ありがとう」

 もう一度だけ。

 ピピピピピ。

 鳴ったかと思うと、ゲームは正常に戻った。

 さっきの無機質な音とは、とても遠い、声優たちの迫真のボイスが、ゲームを彩り始めた。

「ねえ、お兄ちゃん」妹が、袖を力なく引っ張る。「さっきの……何だったの?」

「さあね……」

 拾はプレイを続行している。少し、不安そうな表情をしているが、せっかく買ったゲームを無駄にするつもりは無いらしい。

「じゃあ……、もしかして……さっきのって……お兄ちゃんと、オリビアが再会したってこと?」

「非現実的だなぁ」

「最近、そういう非現実的な出来事多いよね」

 ゲームをプレイしながら、苦笑している。

「知ってる? オリビア死んじゃうんだよ」

「あっ!」こちらを向く。「ネタバレひどいよ!」

「そっか、ごめん」

「もう……でもさ、こんな酷い裏切り者は、ストーリーの展開上死ぬんだろうなって思ってたけどね」

 妹は僕のベッドで横になると、本格的にゲームを始めた。彼女のメンタリティは、いまいちよく分からない。

 胸が大きい彼女にも慣れてきたなと思った。

 あと自分の部屋に戻ってくれ。




 流流は、まだ朝のホームルームも始まっていないというのに話しかけてきた。最近、彼女を見ていて分かったことだけれど、彼女は朝は弱いらしく、いつも遅刻ギリギリにやってくる。

 今になって思えば彼女は夜遅くまで、働いている……という表現もおかしいけれど、いろいろやっているのだから朝弱いのも当然かもしれない。基本的に午後10時には布団に入る僕とは大違いである。

 おかげで徒歩だというのに、10分前には席に着いている。だからといって、その時間を有意義に使うようなことは無いのだけれども。

「どういうことか説明してもらえますか?」

「おはよう」

「おはようございます」

 ちゃんと、小さく頭を下げてくれた。こういう律儀な心をみんな持っていれば、日本は平和になると思う。

「どうしたの、こんな朝から珍しいね」

「珍しいじゃないですよ」キョロキョロとあたりを見渡し、小さな声で言った。「あのお金はなんなんですか?」

「だから言ったじゃないか、貰ってよ」

「確かに、お願いだから聞くとはいいましたが、問題は金額ですよ。あのお金、いったいどうしたんですか?」

「有り余ってるんだよ、実は僕お金持ちだから」

「嘘でしょ。すごいケチで、お昼ご飯はカップめんの汁だけで過ごしたことがあるって聞きましたよ」

 貴味、よけいなことを言いやがって……

「とにかく、渡したものは渡したから。これで」僕は必死に、真剣な顔を作った。この迫真の表情が、伝わるかどうかは分からない。「もう卒業するまではお金に困らないよね?」

 僕が言いたいことが分かったのか、彼女はうなった。

「変顔はやめてください。でも、分かりました」

「変顔……」

 少し傷ついた。

「確かに受け取りました、でも返さないとは言ってません……いつか必ず返しますからね……」

「分かった」

 僕は、帰ってきたらその時にはチートで増えたお金を元に戻そう、そしたら、なんとかなるだろう。

「お、お前等、どうしたんだ、喧嘩してたんじゃないのか?」

「わ」

 貴味の声に、小さな音をだして驚く流流。驚き方も随分と平坦だった。

「別に喧嘩してたわけじゃないよ、ね」

「ああ、ええ、そうですね。ただちょっと揉めてただけです」

「それを喧嘩って言うんだろ」

 貴味は興味なさそうに、自分の席に座ってしまった。流流も自分の席に戻ったので、自分の席に座った。

「で、どうなんだ?」

 貴味が後ろから、身を乗り出して聞いてきた。

「何が?」

「あいつとだよ。昨日まで明らかに険悪だったし、それに昨日も仲直りってのも変だけど、してなかっただろ」

「ああ、うん……」

 なんだから随分と詳しいような気がしたが、僕と流流に口をきいてもらえなかった間にも、二人は連絡していたのかもしれない。

「ねえ」

 前から気になっていたことだったけれど、これを機会に聞いてみるのもいいかもしれない。

「なんだ?」

「二人は、どういう関係なの?」

「あー、お前そういうこと聞くか?」

「あ、答えたくなかったら答えなくていいよ、勝手に想像するから」

「それはそれで嫌だな」

「貴味がこう、遅刻しそうになってパンをくわえて走ってると」

「流流は転校生なのか?」

「そうそう、それで白飯派の流流と喧嘩になりつつも」

「なんか想像してた話と違うな……、まあいい、分かった分かった。言うから、言えばいいんだろ」貴味はあきらめたと言わんばかりに、机の上にうなだれた。「でも、まあ結構言いたくないことが多いからな……また今度でいいか?」

「今学期中くらいには聞きたいな」

「はいはい、分かった。でもお前どこまで知ってるんだよ、流流のこと」

「いやー……」

 そこで、貴味に言えるような内容でもなかったし、教室でも言えるような内容でもなかった。そんなインモラルを察したかのようにチャイムの音がなり、結局今日はその話題に触れ直すような危険なことはお互いにしなかった。




 教室から出て、階段の踊り場に彼女は居た。

 美亜は、階段の手すりにもたれ掛かるように腕を組んでいた。待っていましたと言わんばかりに、こっちを向いて笑った。

「なに、美亜と流流はターン制なの? なんで交互に現れるの?」

「やかましいわね~、別に好きで交互に現れてるわけじゃないわよ、じゃあ二回攻撃するわよ」

「そもそも攻撃しないでよ……」

「それにしてもずいぶんと遅かったじゃないの」

「別に約束したつもりは無いけど……」

 嫌な予感はしていた。というよりも、おそらくは会いに来るだろうなと思っていた。

 こちらとの距離を詰め、僕の目の前で立ち止まった。

「随分楽しそうだったわね」

「流流と話してたこと? それなら確かに、楽しかったよ。やっぱ、学校はこうでなくっちゃね」

 随分柄にないことを言ったと思った。美亜から目をそらすと、学級新聞の見出しが目に付く、どうやら、書道部が惜しまれつつ廃部したのか。

「じゃあ、仲良く帰りましょう」

 ぴょんっと僕の腕をつかんで寄りかかる。それを僕は避けると、いつもより早く下駄箱へと向かった。

「あら、随分と冷たいのね」

 そんなペースで、僕が歩いてるのを美亜が話しかけながらついてくるという形で、しばらく歩いていたが僕はあきらめて立ち止まった。

「そんなに嫌いなんだね」

「ええ、大嫌いよ。あんなビッチは死ねばいいと思っているのよ」

 冗談で言っているのかと思うほどさらりと言った。だけど、おそらく本気なのだろう。

「なんで、そんなに流流のことが嫌い?」

「もし、理由を言えば、あんたは私を助けてくれるの?」

 僕ができることなら、何かしてあげようかとは思ったけれど、そうは言えなかった。彼女にチートを使うのは危険すぎる。

「助けれない。ごめん」

「そうね~、私を助けてもらうつもりであんなことをしたのに」彼女は僕をにらみつけた。「逆に私にとどめを刺すんだもの、正直、あんたなんて死ねばいいと思ってるわ」

「とどめって、よくわからないけどそれは風評被害だよ」

 恐ろしい女だと思った。

「風評被害じゃないわよ、ただの八つ当たりよ」

「そりゃまあ、そうだけど」

 まだ学校は近く、歩道はそこそこの人数が歩いている。みんな、それなりに楽しそうだったり憂鬱そうだったりしているが、ここまで殺伐とした会話をしている人は居ないだろう。

「でもまあ、それも今日で終わりね」

「終わり?」

「あんた、その占いみたいな数字を当てるのって……私の寿命とか見えたりしないの?」

「寿命……」

 確かに、寿命も時間で表せば数字となるわけなのだからできるかもしれない。

「さあ、どうだろうね、できるかもしれないし。できないかもしれない」

「はー、あんた、さてはもう私に関与しないでおこう、そうってるでしょ? 出きることならその能力めいた占いだかを、こいつの前では使わないでおこう。そう考えているわね」

 僕は黙って、リアクションもとらなかった。肯定したと受け取っただろう。

「でも、さっきも言ったでしょ、今日で終わりよ」

「終わり?」

「そう、私からお願いするのはこれで最後よ。私がどのくらい生きられるか、当ててちょうだい」

 そう言うと、彼女は僕の手を握ってきた。

 温かい。

 女の子の体ってどうしてこんなに柔らかいんだろう。

 寿命というパラメーターが用意されていたわけではなかったが、もっと明確な「死ぬまでの時間」というのが数列で管理されていた。あまりみたいものではなく、眉をひそめてしまったが、次の瞬間、そんな小さいことはすべて吹き飛んでしまった。

 秒数で表示された値は、異常なまでに小さい。

 何桁も用意されたパラメーターのほんんどが0になっていた。

 10進数に直さなくても……彼女の命が、あと2、3時間以内に消えてしまうということが分かった。

「ね、最後だって言ったでしょ?」

「あ……」

 僕は何も言えず、かける言葉も見つからず、彼女の手が離れていくのを見送った。

「あんたのせいよ、あんたがギリギリだった私にとどめをさしたの」遠ざかる彼女は、手を振って笑顔でこういった。「ありがとう、もしかしたら、まだあんたがすごい能力を持っていて助けてくれたりするかと思ったけど、別にそんなことも無かったわね」

 美亜の背中が見えなくなると、ため息をついて小さくつぶやいてみた。

「助けてはみたよ……」

 それが正しい判断だったかどうかは分からないが、あのパラメーターを覗き、彼女があと数時間しか生きられないと分かった瞬間、僕はチートを使っていた。おそらく、50年ほど生きられるようになったはずだ。

 僕は少しだけ、ほんの少しだけ彼女を追いかけようと思ったけれど、やめた。

 次の日、貴味が死んだ。

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