0002/FFFF
「砂糖、塩、酢、醤油、味噌」
貴味の言うように、料理のサシスセソを羅列してみた。
「な、おかしいだろ?」
「何がおかしいの? 貴味の脳?」
「だからさ、砂糖、塩、酢まではいいわ、許せるわ」
別に、貴味に許しはいらないとは思うが、唐突に彼は「料理のサシスセソっておかしいよな」という話題に踏み切ったのだ。何か高度な戦術的理由があるのかもしれないが、少なくとも料理に興味がわいたという話では間違いなく無いだろう。
「醤油は?」
「し、から始まるのに、なんで”せ”から始まりますみたいな顔してるんだよ」
「味噌はいいの?」
「”そ”はソースにしておけばいいだろ」
料理研究家のみなさまが一生懸命考えたであろう料理のサシスセソが、ただの学生である貴味によって一瞬で変えられてしまった。
「じゃあ、醤油も”せ”から始まる言葉に変えればいいじゃん」
「せ……」貴味が思いついたように手を叩いた。「制服か」
「それは料理をおいしくするんじゃなくて……」
「じゃあ何をおいしくするんだよ、そのつっこみもおかしいだろ」
自分からふっておいて、何か不機嫌のようだった。
「なあ……」神妙な面もちだった。彼が神妙な面もちをしているのをみかけるのは、公衆電話を見かけるよりも難しい。「おまえ最近、美亜と帰っているのか?」
「美亜さんと……そうだね……」
隠すつもりもなかったが、バレていたのは意外だった。それより以上に、美亜と僕が帰っていることを気にしているということのほうが意外だった。
「美亜から、一緒に帰ろうと言い出したんだろ」
「うん」
一緒に帰ろうと言い出したというよりは、「あら奇遇じゃないの、私もこっち方面なのよー、一緒に帰りましょ」という風に一緒に帰る機会が増えた。
「一度しか言わないし、不快に思ったら謝る。他人のプライベートにとやかく言うつもりはないが……あいつには関わらないほうがいい」
「え? 何、聞こえなかった。もう一回言って?」
「いや、一回しか言わないつっただろ……あれだけ勿体ぶったのに、なんで聞き逃すんだよ」
貴味は息をもらした。スイッチを切り替えるように机の上の教科書を片づけ始めた。
僕もつられて片づける。二時間前の科目の教科書がでていて、少し不安な気持ちになった。
「悪いな」
「別に悪くはないと思うし、忠告は覚えておくよ」
「ああ……」
その休み時間は、もう会話をしなかった。
「うぉおおお! お兄ちゃん!」
帰宅すると同時に、妹の拾がダッシュで階段から駆け下りてきた。
大きく揺れる胸元は、やはり違和感があった。
「お兄ちゃんのえっち!」
「いや、違う違う」
大きく手を振って否定した。
「このエロエロ探偵!」流行ってんのかなそれ。拾は思い出したように胸の谷間からゲーム機を取り出した。「そうじゃなくてコレだよコレ!」
「おまえも、胸を無駄に駆使してるように見えるけど」
「夢だったからね……こう谷間から日用品を取り出すの……じゃなくてコレ! ゲーム画面を見てよ!」
「胸を強調するためだけに肩掛けかばん買うのやめろよ」
「い、いいでしょ、別に自分のお金で肩掛けかばん買って、町に出歩いたって」
「な、なにそんな意味もなく町に出歩いてるんだよ……変な男につかまったらどうするつもりだよ……」
ショックを受ける僕だったが、彼女は思い出したように手をたたいた。忙しそうだ。
「違うよ、違うから、そうじゃなくて! ゲーム画面を見てって言ってるでしょ!」
「えっと、きゅうりが一本800円? なにそれデノ……」
「デノミはもういいよ!」
ボケさせてくれよ。
画面には、オリビアが映っていた。僕のプレイした時とは異なり、ドット絵からCGに変わってはいたけれど……
「オリビアじゃん」
「そうよこの女……」拾が中指をつきたてた。「裏切りやがったのよ、姫のくせに!」
「姫は裏切るって、浜田君も言ってたじゃん」
浜田君というのは、従兄弟の大学生だ。いつも明るいやつだったけれどもなぜか姫の話をする時だけは「姫は裏切るからだめだ」と、やけに手厳しくなるのが特徴だ。
「それは、サークルで姫扱いしてた人がイケメンに取られたってだけの話でしょ、こっちとら本物の姫なのよ!」
「ああ、オリビアは裏切るよ」
「せっかく育てたのに!!!」憤怒して、足を床に踏みつけている。「裏切り者!」
僕に言われても。
「お兄ちゃん、オリビアのこと好きだったって言ったよね?」
「言ったような」
「こんな裏切り女でも体がよければそれでいいのね!」
そういう訳じゃなかったんだけど、まあオリビアは裏切ってしまう。しかも悪役に惚れてしまい、「わぁ、あんな男に惚れてたなんて嘘みたーい」といいながら、バズーカで攻撃してくるシーンは、たくさんのプレイヤーをどん底に突き落としたらしい。
「これプレイしたの小学生の頃でしょ、とんだマセガキだよ!」
「人一倍性の目覚めは確かに早かったかも……」
そんなことは聞いてないといった表情でこちらをにらんできた。とんだマセガキで申し訳ない。
そういえば、僕が小学生の頃と言っても、拾も小学生だったはずだ。拾がゲームし始めたのっていつ頃からだったか。
思いだそうとしたけれど、やはり僕の記憶力では思い出すことができなかった。
結局、僕は貴味の忠告を守れていない。
「あんたねぇ、そんなことでいいと思ってるの?」
美亜と帰る頻度は徐々に増えていた。
基本的に、彼女はおせっかいなので、料理をしないことに関して怒られたり、家事をしないことに怒られたり、ゴミの分別が的確でないことを怒ったりしてくる。
「はぁ~」
彼女は僕よりため息が多い。そして実にわざとらしく、見せつけるようにため息をついてくる。
分かれ道にさしかかると彼女は、いつものように「それじゃあね~」と言いながら手を振った。
僕はほとんど喋っていない。常日頃から、コミュニケーションが少ない僕は、どうしてだろうか、他愛もない会話ですら、後になって思い返してしまう。
さっきの返答が正しかったのだろうか?
話題は適切だったのだろうか?
なんていうしょうもないことを考えてしまい、最終的にそんなことを考えてしまう自分が嫌になる。
犬のうんこをぼんやりと眺めながら歩いていた。
彼女と帰った日はいつもなんだか言いしれない不安がよぎってしまう。
ふと、子供の泣き声が聞こえた。
声のする方向には公園があり、ベンチに少女が座っていた。歳は小学校2年生くらいだろう。赤いランドセルに小さな体。
「大丈夫かな……」
思わずつぶやいてしまう。
彼女のことが大丈夫か気になったというより、泣いている小学生に話しかける自分が客観的に見て大丈夫かな、という意味合いが強い。
拾が曰く「別にすごいブサイクってわけじゃないけれど、イケメンかブサイクか免許証に書かなくてはいけない法ができたらブサイクって書くことを強いられるだろうね」と言うことだった。
顔写真あるからブサイクかイケメンかくらい分かるのにその法に意味があるのか、なんて思ってみたが、別に意味の無い法なんて珍しいものでもない。
「えっと、こんにちは……」
ベンチに座っている小学生は、赤いランドセルに黄色い帽子、白いシャツ、紺色のスカートという典型的な格好をしていた。逆にこういう格好は大人のほうがするんじゃないだろうか。
一般的な用途はともかく。
「どうしたの?」
彼女は、幸いなことに僕に警戒するような態度を取らなかったが、特に反応もしなかった。
僕のことに気がついているかどうかも怪しい。
「あのぉ……」
彼女が目を上げる。ティッシュを差し出すと、鼻をかんだ。
「鼻は片方ずつかんだほうがいいよ」
素直に片方ずつかんだ。
「落ち着いた?」
鼻をかんだティッシュを、鞄の中に詰め込みながら、うんうんと頷いた。元々無口なのかもしれない。
「どうして泣いてたの?」
どこか怪我があるわけではなさそうだ。
「お姉ちゃんがこないの」
「待ち合わせ?」
また、うんうんと二回頷いた。
「電話とか持ってないの?」
「持ってない」自分のスカートのポケットを見せる。「普段はここに入れてるのに……」
また涙が目に溜まり始める。
「わーっ!」思わず叫んで、次の言葉を探す。また、泣き始められたら困る。「番号とか覚えてないの?」
「えっと……たしかね……」
よかった、電話番号さえ分かれば僕が電話すればいいだけだ。
「たぶん……192.168.1.100だったような……」
涙をふいて必死に頭を押さえて、なんとか出てきた数字を僕は聞き漏らさずに入力した。
「よし……これで……ってこれちょっと待ってね」電話番号ではないのは間違いないけれど、おそらく「いや番号とはいったけど、デフォルトゲートウェイだよね! デフォルトゲートウェイの番号じゃないよ、携帯の電話番号は分からないかって聞いてるんだよ」
「分からないの」
ひい、なんでデフォルトゲートウェイは覚えられて、電話番号は覚えられないんだよ、とつっこみたくなったけれども、女の子は泣き始めてしまい、そんな隙は無さそうだった。
幸いなのか、周りに人は居なかった。いやもっと機転が利くような人が近くにいれば良かったのだろうけれど。
あと、子供と話すのが得意な人とか……
「仕方がない」
自分に言い聞かせるように、小さくつぶやいた。
チートを使う対象には、直接さわらなければならないので、帽子をとって頭を撫でる。
浮かんできた数字の中から携帯電話の番号を探す。難しそうな表情で頭を撫でているのを変に思ったのか、彼女は不思議そうに見上げていた。
「いや、ちょっと待ってね……今、10進法に直すから」
さすがに11桁を16進法で収納するのは面倒すぎるでしょ。もともと値というか文字列なんだから……いや、そもそもこのスマートフォンが主流になったんだから、0~9の数値で番号を識別しているほうがおかしいのかな?
よく分からないことを考えながら、ノートに、16進数を10進数に戻す計算を行う。
「あまりが4だから……」
面倒すぎる。今度関数電卓買おう、そうだお金はあるわけだし……別に無駄な買い物でもないから大丈夫だろう。
「何やってるの?」
「ちょ、ちょっと待ってね……」
急に計算したがる痛々しいやつには、さすがの小学生もドン引きらしい。でももし関数電卓を買ったとしても、それだけの為に常に関数電卓を持っているというのもなんだか変な話だ。別に使いこなせるわけでもないので、ギターひきもしないのにピックを持ってる人みたいでなんだか恥ずかしい。
「よし」なんとか、10進法に戻すと自分の携帯を取り出した。「もしかして、自分の番号ってこういうんじゃなかった?」
「ううん……192.168……」
「デフォルトゲートウェイじゃなくて電話番号だって!」
女の子が僕の携帯電話をまじまじと見て、「う、うん、たぶん……こんな感じだったと思う……」と呟いた。
「よし、それじゃあちょっと待ってね」
これで、もし落としたのとかでなければ家族の誰かにはにつながるだろう。これで、誘拐か何かと勘違いされたらどうしよう。
そこまで考えて……そんな考えはすべて吹き飛んでしまった。
ピロロロンポンポン。
別に、公園から携帯電話の軽快な音楽が鳴り響いたからではない。
その軽快な音楽の先には……美亜が居たからだ。
美亜は、アニメキャラのストラップから、携帯電話を見せつけるようにぶら下げていた。
「お姉ちゃんー!」さっきまで暗い表情をしていた少女は、すさまじい早さで美亜に飛びついた。「待ち合わせここっていったのにー! 遅いー!」
「ごめんなさいね~、ちょっと用事があったのよ」しゃがみ込み、美亜と抱き合いながら。彼女はこちらを向いた。「ちょっと、確かめなきゃいけないことがあったのよ~」
美亜は、妹と公園で待ち合わせして、そのままわざと遅れたのだろう。携帯電話も美亜がこっそり持っていたってことだろう。
「しかし、随分便利そうね、その占いってのは」
美亜が笑った。
これまで、見せた彼女の表情の中で一番魅力的な表情だと思ったけれど、彼女がいったい何を考えているのか分からなかった。
あの美亜の妹の名前は鈴木歩弓(すずきあゆみ)という名前で小学一年生らしい。結局、あの後はほとんど話をしないまま分かれてしまったけれど……
「ありがとうって言ってたわ~」
「そりゃ、どうも」
休み時間。歩弓ちゃんが感謝しているということを美亜がわざわざ伝えに来てくれたのだ。あれから一週間経過していた。
「ねえ」
「何かしら?」
美亜は頬に手をあてて、首をひねった。
「どうしてあんなことしたの?」
「あら~、そんなこと言ったらあんただって一緒でしょ?」僕に人差し指を向ける。「占いって……本当はもっと予知みたいなのができるんでしょ?」
「あー……」
おそらく僕が占いと称して、いろんなことを言い当てていたのを予知みたいなものと思ったらしい。具体的に、どういう制約があるのかは分かっておらず、なんらかの予知ができると認識しているようだ。
パラメーターとして収納されている数値が分かるだけではなく、その数値を変えることが出来るわけなんだけど。
「占いだよ」少し強調して言った。「なんとなく分かるだけなんだよ」
「なんとなくで電話番号が分かるの? 変わった占いね~」
それ以上何もいえなくなって、目をそらした。
「別に、黙っててあげてもいいのよ」
「言いふらしてもかまわないよ、誰も信じないだろうし」
「あら、そんなこと思ってないくせに」彼女が笑った。「そういう風に斜に構えていれば、そのことにふれないとでも思ったの?」
「何が言いたいか分からないよ……」
小さく首を振った。
「あんたにお願いがあるから、わざわざ妹を使ってまで試したのよ」
そう言うと小さな紙を渡して、そのまま自分の席に戻ってしまった。
「こんな夜中にどこへ行くの?」
リビングでゲームをしていたにも関わらず、わざわざゲーム機を置いて拾がやってきた。ゲームを放置して僕に話しかけるなんてことは、非常に珍しい。
そもそも、最近の拾はなんだか、今まで抱いていた彼女のイメージと違う気がする。
僕のイメージでは、拾がゲームをしている時は、たとえ僕が全裸で反復横飛びをしていても無視するだろう。
「まあ、いろいろ……」21時、僕はどちらかといえばインドアな方なので、こんな時間に出て行くのは珍しい。「もしかして心配してくれてるの?」
「はぁ?」
拾が首を傾げた。「全然、そういうのじゃないわよ」
「まあ、コンビニに買い物行きたくなることだってあるだろ。コーラが急に飲みたくなるとか、AUX端子がほしくなるとか」
「炭酸も飲まないし、音源を外部出力もしないでしょ……それに、コンビニにちょっと行くだけなのに……なんか普段よりおしゃれしてない?」
「へ?」
自分の服をみる。確かによく見れば、いつもより比較的気に入った服を着ている気がするし、服を選ぶのに小一時間かけた気がする。
さっきシャワーも浴びた。
「おしゃれかどうかはともかく、なんか頑張ろうとしてるよね。なんだか、半袖の下に長袖着ればおしゃれみたいな、小学生みたいなおしゃれ知識というか……」
「うるさいなぁ……」
僕は靴を履いて立ち上がる。
「本当はどこ行くの?」
「わからない」
「そう……」あきらめたように妹が立ち去ったかと思うと、小さく「早く帰ってきてね」と言われた気がした。
たぶん、気のせいだと思う。
もう6月も後半になっていたにも関わらず、微妙な寒さが僕をふるえさせる。時間はすでに21時半。待ち合わせの時間から、30分経過していた。
厳密に言うと待ち合わせかどうか分からないけれども。
美亜に渡された紙を見る。彼女には少し似合わない、熊が頭にヒヨコを乗せている絵のついたメモ用紙には、「6月23日、21時に浜田駅にて」と書かれていた。
その浜田駅は、すでに人気が少ない。
この地方にしては比較的大きな駅だが、この時間帯になるとほとんど誰も居ない。この時間になるとコンビニ以外の店は閉まり、蛍光灯の微量な磁力の音が聞こえるほどに静まりかえっていた。
美亜からデートのお誘い、もしくはすてきなパーティーへのお誘いがあるかもしれないが、その可能性はきわめて低い。
メモの下の部分には「そこで困っている人を助けろ」と書かれていたからだ。そこに美亜が困った困ったとか言いながら、やってくるとは思えない。
誰か困っている人を、普通に助けるのではなく、チートをつかって助けろと言いたいのだろう。
それから45分、さすがに1時間経過したら帰ろうと思っていたところに意外な人物がやってきた。
「流流……」
思わず口から漏れ、とっさに隠れてしまう。
いつもの、落ち着いた彼女とはどこか違い、キョロキョロと周りの様子を伺っており、はっきり言えば挙動不審だった。
隠れて様子を伺う。
分かりやすく彼女の様子を言うと、明らかに困っていた。
改めて「そこで困っている人を助けろ」という紙を見る。彼女を助けるってことなのか?
柱の影から様子を伺う。なぜだろうか、とても悪いことをしているような気がする。見てはいけないものを見せられているような。
流流は見られても困るような人物は居ないと判断したのか、ロッカーの前に立つと鍵を刺し、なにやらガチャガチャとロッカーを動かしている。
焦っている。
彼女らしくなく、必死にロッカーを開こうとしているがなかなかうまく行かないようだった。
1分くらい手こずった後、またキョロキョロと見渡し始めた。
ロッカーが開かない。僕はため息をついた。
要するに困っている人を助けろ……つまり、流流のロッカーの番号を調べて開けろと言うことなのだろう。
小さく息を吸うと、彼女の元へ歩いていった。
「やあ……」
ついさっき歩いてたらたまたま見つけたので話しかけてみました。と言わんばかりに話しかける。
彼女の表情は一瞬だけ険しくなり、ロッカーを隠すように背中を張り付けたが、すぐに取り戻した。
「あら、どうしたんですかこんなところで?」
「いやまあ……偶然というか、その」思いついたのが、先ほど拾と話した内容だった。「AUX端子を買いにコンビニへ……」
「それでわざわざ駅のコンビニに?」彼女はメガネを上げた。やはり彼女はどこか緊張している。「それに、AUX端子はコンビニで売ってませんよ」
確かに、この駅のコンビニは近所のコンビニの中でも、小さい店舗だった。
「駅のコンビニを使おうと思っただけだよ。AUX端子が無かったらコーラを買って帰るつもりだったし」
「随分と幅広い買い物ですね」
「そっちこそどうしたの? こんなところで……」
なるべく自然に、ふと気になったというていで彼女に質問した。
「実はですねロッカーが空かないんですよ」彼女は思った以上にサラッと答えた。「鍵はあるんですけど、番号も併用するタイプのロッカーなんで暗証番号が分からないと開かないんです」
「なるほど……」
予想通りだった。
「じゃあ、どうする、僕が開けてみようか?」
紙の内容を思い出す。たぶん「そこで困っている人を助けろ」というのは、この状況ロッカーを開けろということで間違いないはずだ。
「はい、是非お願いします。といっても開けられたらですけどね」
あの落ち着きのない行動から、変なものが入ってるのかと思ったけれど……どうやら、それは僕の勘違いのようだった。
「ちょっと待ってね」
あの時、美亜の妹の電話番号を調べた時と状況が似ている。番号さえ調べればなんとかなる、そういう状況にある。美亜が、僕ならロッカーを開けられると踏んだのか、それともこの状況は偶然なのだろうか。
どちらにしろ……
選択肢は限られている、このロッカーを開けるか開けないかだ。
そして出てきた数字を、10進数に直す。ロッカーの番号は4桁の数字と決まっているのだから、16進法にしておく必要も無いと思うけれども、今更といった感じだ。
「あの、すみません」
「どうしたの?」
「もしかして……本当に開けれるんですか……?」
「うん?」
0811、それがこのロッカーの番号だった。ロッカーが開かれた瞬間、流流が「ダメ!」と叫んだ。
その時になって、やっとさっきの「本当に開けれるんですか?」という言葉は、期待とか確認とかそういうのではなく、開けるなという意思表示だったことに気がついた。
ロッカーのなかには、一万円札が数枚入っていた。
「これは……」
不自然なくらいに乱雑に、文豪がちぎって投げ捨てた原稿用紙のように、一万円札が入っていた。
10万円くらいだろうか。
「おかしなものですね、普段は封筒に入ってたりするんですよ。なのに、今日に限って現金でそのままだなんて……」
くすくすと、彼女が笑った。自虐的な笑い方が、彼女には似合わないと思った。少なくとも僕の知っている彼女には。
「えっと……」
「教えてください。どうして、木根さんは、このロッカーを開けることが出来たんですか?」
「いや、それはその……」チートを使ったからとは言えるような状況ではない。別に僕のチートがバレるとかバレないとかいう問題ではなく、彼女が信じるとは思えなかったのだ。
「木根さんは、何を知っているんですか?」
これは……やってしまったと思った。
昔やったゲームを思い出す。同じような状況で、チートで鍵を入手したとき、鍵の持ち主と出会った前提で話が進むはずなのに出会っていないためゲームが進行できなくなってしまった。
要するに、矛盾が生じている。
今もそう。流流にとってロッカーの番号を知っている人間というのは……彼女にとって害悪なんだろう。
「木根さん」彼女はロッカーからお金をむしり取ると、鞄の中に入れた。「私は、あなたのことが嫌いになりました。絶対にもう話しかけてこないでください。当然私もそうします」
「えっと……」
「さようなら」
美亜に連絡をしようとしたがその必要は無かった。駅から出るとすぐに、仁王立ちの彼女に出くわしたからだ。
「ありがと、これで確証ができたわ~」
「確証って、流流のロッカーにお金が入っていることをを知ってたの?」
「そうよ、だって、そうね~、唐突だけど私の誕生日って知ってる?」
「えっ……」唐突に話が切り替わり、頭がついていけなかった。しかも、非常に興味の無い話題だった。「知らないけど……」
「そうなの? 私の誕生日くらい覚えなさい」
ずいぶん勝手な話だが、こういう話題の場合は大抵の場合、もうすぐ誕生日ということだろう。
「もしかして……今日ってこと?」
「あら、私の誕生日は8月11日よ、覚えておいてね」
これといって近いわけでもないし、しかも夏休みに誕生日があると分かったところで、プレゼントも渡しようもない。
「ん?」
ここでやっと彼女の真意が分かってきた。
8月11日……0811……つまり、さっきのロッカーの番号だ。
「どういうこと?」
混乱する。
自分で番号が分かっているものを、僕に調べさせ、わざわざ開けさせた理屈が分からなかった。
「要するに、あの女は見られちゃまずいお金を取り出すところだったってわけなのよ」
「それを、どうして僕に開けさせたの?」
「あんたに見せるためよ」
意地悪そうに笑った。どんだけ意地が悪ければ、そんな意地が悪そうに笑えるのだろう。
「何で……?」
「彼女は援助交際をしているのよ」
「へぇ……」なるべく感情をださずにつぶやいたつもりだった。「それでわざわざ僕に、ロッカーを開けさせたの?」
「じゃああんた、ロッカーにお金が入ってるのをただ見た所で、援助交際なんてしてるって信じるの? 信じないでしょ。だったら、あんたに開けさせたら、ああいう態度をとるじゃない。だとしたら、少なくともあんたは、あの女がやましいお金を受け取ってるって信じるしかなくなるでしょ」
なるほど、少しだけ、本当に少しだけ彼女の考えていることが分かった気がした。
「でも……そうは言っても信じられないよ。流流が援助交際だなんて……」
「じゃあ信じなくていいわよ。でもね真実なのよ。考えれば考えるほど、おそらく彼女が援助交際したって思うようになるでしょうね~」
「どうかな……」
本当に、なにがなんだか分からなかった。
流流が援助交際……
あの真面目な流流がいったいどうして……そう思って、はじめて「あの真面目な彼女」というのが、僕の作り上げた勝手なイメージだということに気がついた。
なにせ流流のことなんてほとんどしらない。
風貌や言動で、勝手に真面目だと思っていたのだから。
「それに、あんたが信じなくても、あの女が援助交際をしていることが、クラスメイトにバレたってことが重要なのよ~」
「どういうこと?」
「私にとって、あの女がやりづらくなるだけで今日のところは十分なのよね」
理解できないなりに考えてみると、一つだけ分かったことがある。
「美亜は、流流のことが嫌いなの?」
「大嫌いに決まってるでしょ」
「そんな理由で……」
怒ろうと思ったが、いや確かに怒ってはいたんだろうけど、いろんな感情が邪魔して、彼女に対して強く出ることすらできなかった。
「ほかにも理由はあるわよ、だって私はあんたに渡したメモに……ああ、何て書いてあったか覚えてる?」
「人助けをしろだったっけ?」
「そうそうそんな感じ。メモにロッカーを開けろなんて言ってないわよ、困っている人がいたら助けろって言っただけ」
「どういうこと?」
「つまり、あんたが予言というか占いみたいにあの女が困っている内容を的確に分かれば、ロッカーを開けるなんてバカなことをしなかったはずね。援助交際で得たお金が入ってると分かった時点で、あの女に会わずに、後日お金を郵送するなんていう手もあったし、匿名のメールで番号を教えて上げるなんていう手段もあったはずじゃない」少し間をおいて、僕のリアクションを待ったようだが、僕はなにも言えなかった。「おそらくどういう理屈かしらないけど、あんたの分かるのは数字だけってわけ。しかも16進数とかいう、よく分からない括り付きでね」
「ふーん……よく分かったね……」
必死に強がってみた。同時に、素直に感心した。
「妹は物覚えがいいのよ数字とAからFを使って計算していた場面をちゃんと覚えていたわ」
それなら電話番号くらい覚えていてほしいものだと思ったがデフォルトゲートウェイの番号を覚えているくらいだし、確かに物覚えはいいほうかもしれない。
「さーて、じゃあ私はこっち方向だから帰るわよ」
「ばいばい」
僕は小さく手を振って、彼女の背中が見えなくなってもその場に立っていた。
流流が援助交際ね。
しばらくいろんなことを考えていたが、何一つまとまらず拾が心配していたことを思いだし、帰ることにした。
学校はいつもと変わらずに進行していた。
あれだけ自分にとって重要なことがあった次の日でも、世界は僕に考慮しない。
「どうしたんだ?」
「何が?」
比較的いつも唐突な貴味にとって、随分と気を使った言い方だと思った。
「何がって、お前明らかに元気ないじゃねーか」
「元気ないのがとりえみたいなところがあるからね」
「嫌なとりえだな……」
周りを見渡せばいつの間にか昼休みに入っており机の上では、二つ前の授業の教科書が、僕のやる気のなさを演出していた。
「何か嫌なことでもあったのか?」
「あててみてよ、三回までチャンスあげるね」
唐突にクイズ形式にしてみても、彼は動じない。
「そうだなじゃあ、蟯虫検査にひっかかったとか?」
「ひっかかってないよ、ひかかっていたとしてもそれなりの対応をしてなんとかするから、やる気とは関係ないと思うけど」
「じゃあな……」まだ生えていない幻想のあごひげを整えるようなポーズをとる。「妹の帰りが遅いとか」
「めちゃくちゃ早いよ」
「じゃあ、もう一つしかねーじゃん」少しだけ、彼にしては珍しく真面目な顔になった。「美亜に何か言われたのか?」
「どうだろ」
ぼやかしてみたものの、貴味は肯定と受け取ったようだ。
「そうか、まあ何言われたか知らないけど、美亜となんかあったんだろうなと最初から分かってたんだけどな」くしゃくしゃと頭をかく。「人の忠告を聞かないから、って言ってももう仕方がないか」
「ごめん……」
「謝らなくていいだろ別に、ただちゃんと言っておけばよかったなと思ってな」
「なんて?」
「あいつは……美亜は死ぬほど性格が悪いってな」
それはもう十分に知っていた。
チートは一日一回まで。
一度使うと24時間使えない。
多用はできないし、もうバレるようなことはできない。
流流が話しかけてくることも無かったし、避けているのも明確だった。それに関して貴味は何も言わなかった。美亜は話しかけてくることはあっても、あの駅でのできごとについてはいっさい触れなかった。
あれから一週間経過したけれども、僕から流流に話しかけようとしたのは一度だけだった。
「あの……」
話しかけようとしても何も言わず立ち去ろうとしたので、手をつかもうとしたが「やめて!」と言われ、弾かれてしまった。
彼女との接触はそれだけだった。それだけで十分だった。
待ち合わせ場所の公園、そのベンチに流流が座っていたからだ。時刻はもう20時になっており、暗い公園は事実上閉店し、どこか隔離されたようなイメージがあった。
その隔離された空間が、似合っていた。
「やあ」
面倒なのが来た。そう思ったかもしれないが彼女は無表情のまま顔をあげると、そのまま顔を携帯電話に落としてしまった。
「待ち合わせ相手ならこないよ」
流流がまた顔をあげた。今度はずっと目を合わしている。どうしてそんなことが分かるのとでも言いたげだった。
「というよりも……僕が待ち合わせの相手なんだけどね」
その瞬間に彼女は立ち上がりこの場を離れようとしたけれど「僕はお客さんだよ!」と彼女に向かって言うと、その場に立ち止まった。
どんな表情をしているだろう。
おそらく無表情なんだろうけれど、怒っていることは間違いないと思う。手を弾かれた時、美亜の妹である歩弓の携帯番号を調べた要領で、彼女のパラメーターである携帯電話の番号を覗いたのだ。
そこから他人を装ってメールしたという流れだ。
「最低ですね」
「なんとでも言ってよ」
僕は強くでた。というよりも、ここで退いてしまったらもうチャンスが無い。
「じゃあ、早速……あの……喫茶店にでも……いきますか?」
ああ、だめだ。やっぱりどうも緊張してしまう。その瞬間、彼女が僕の手を引っ張った。こちらを向かないから、やはり表情は分からない。
「来てください!」
声を聞いて、間違いなく怒っていることが分かった。
そのまま僕は引きずられるように、未知の建物の中に連れて行かれた。当然この歳になれば、こういう建物があるのも知っていたし、具体的に何をするのかも知っている。
「く、詳しいんだね」
スムーズに部屋まで入室した彼女を見ると、相当慣れているようだった。嫌みに聞こえたかもしれない。
「スロットとかあるんだ、カラオケまであるし……」
かすかに別の部屋からのカラオケの歌声が聞こえてくる。二、三年前に流行ったアニメソングだった。
「今時スロットがあるホテルは、相当古いホテルだと思いますよ。田舎特有の娯楽って感じです」
そう言うと、彼女は浴室に行ってしまった。
「いや、そういうつもりじゃないんだけど……」
聞こえなかったのか無視されたのか分からなかったが、急に心細くなってしまった。高校生二人だとフロントみたいな所で止められるかと思ったが、そういうこともなかった。
老け顔なのがまずかったかな……
こういうことになるのなら制服で来れば良かったかなとも思ったが、それはそれでややこしくなりそうだった。自動販売機には、ビールやジュースの他に、いろいろな物がならんでいた。半分くらいは用途が分かったが、それ以外は未知の器具だった。
ベッドの上で寝転がる。
なんだかビジネスホテルみたいなのを想像していたけれど、ずっと広くそれでいてよけいな物がたくさんあった。二人の愛を盛り上げるためなのかもしれないが、今この状況では不要だった。
干し柿でもぶら下げてくれていたほうが、まだおなかが膨れる分、役に立ちそうだった。
シャワーの音に息をのむ。
そういうつもりではなかった……別に彼女とどうのこうのしたいと思っていたわけではない。ただ……
「おまたせしました」
彼女がシャワーから出てきた時、一糸まとわぬ姿、生まれたままの姿になっていた。
急いで目をそらす。
見てしまった……
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
ベッドに顔を埋める。
声が近づいてくる。
どうしてこんなに、情けない声が出るんだろう。自分でも不思議だったが、それでも謝らずにいられなかった。
「どうしてですか? あなたが望んだことでしょう? さあ、あなたもシャワーを浴びますか? それともこのまましましょうか?」
ベッドにうずくまっている僕の背中に重なるように乗ってきた。湯気と体温が伝わってくる。
温かい。女性の体は背中越しでも、信じられないくらい柔らかかった。
「やめようよ……」
「甘えないでください、あなたが望んだ結果でしょう?」
「違うんだよ……僕はただ……君に謝りにきただけで……それだけなのに……なんでこんな……」
しばらく沈黙が続いたかと思うと「分かりました……」と言って、再び浴室に向かっていった。
次に、浴室から出てきた時、もう裸ではなくなっていた。
彼女は僕の横に座っていた。
すでに彼女は私服になっていたのに、同じベッドの上にいると思っただけで緊張してしまう。なんというか……恥ずかしい。
「謝りに来たって言われても、まず聞きたいんですが、本当に謝りに来たんですか?」
「だって、話聞いてくれないじゃん」
やっとしゃべれたと思ったら、少し子供っぽいしゃべり方になってしまって自分で笑ってしまった。
彼女も、どこか表情が和らいだ気がしたのでよくよく観察してみたものの、よく見ると普段と何も変わらない無表情だった。
「そんなことのためにわざわざ他人を装って待ち合わせをしたんですか?」
「そんなことって言われても、実際めちゃくちゃ怒ってて話なんて聞いてくれなかったじゃないか……」
「それはそうですね」
一度会話が途絶える。
「私が、こういうことしてるって誰から聞きました?」
「うーん……、それはちょっと……」
「じゃあ、聞きますね、貴味ですか?」
「いや、それは違うよ」僕は首を大きく振った。「そう、偶然知ってしまったというか……実は僕、ロッカーの番号を知っていたんだ」
「それはそうでしょう」
「そういうことじゃなくて……、ロッカーの番号しか知らなかったんだ」
ロッカーの番号と待ち合わせ場所だけ指定された紙を渡された。と説明した。なんとなく不自然な気がしたけれど、事実のほうが不自然なのでどうしようもない。
「そうなんですね」
「信じてくれる?」
「この状況でそう言われたら、信じるしかないでしょう」彼女が立ち上がった。しがらみから解放されたように全身をのばしている。「何か聞きたいことがありませんか? 私、今比較的機嫌がいいんで、なんでも答えますよ」
無表情で機嫌がいいだなんて言われても信じられなかった。
「じゃあ……」
「どうしてこんなことをしているのか、ですか?」
僕は少しだけ困り目を反らすと、彼女が続けた。
「私、一人暮らししてるんですよ。だからお金が必要なんです。他に親の許可もなく働けるような方法が無いからやっています」
複雑な環境が、容易に想像できる説明だった。
「じゃあ、失礼かもしれないけど気になってることがあって……聞いていいかな?」
「はい」
「あの、流流は、こういうことする時も無表情なの?」
「本当に失礼ですね……試してみますか?」
「い、いやそういうつもりじゃないんだけど……」
あわてて手を振ると、彼女は、笑った。
「私だって笑えますよ、営業スマイルだってできます」
見とれていたら、その表情は嘘だったかのように無表情に戻ってしまった。一瞬だけ、ほんの一瞬だけなのに、すごい魅力的で忘れられなくなってしまった。
女の子って狡い。
僕は心からそう思った。
「私も、実はずっと気になってたことがあるんです」
「なに?」
「あの、エッチなマンガを旅先で買う最後の理由ってなんだったんですか?」
「ああ、あれは……」僕はもったいぶって、ため息をついた。「エロマンガは、基本的にハッピーエンドなんだよ」
「ハッピーエンド……」
「そう」僕は力強くうなずいた。「一回エッチしただけで、大抵はハッピーエンドになれる。そんなストーリーが何個も詰まっていてお手頃価格、すごいと思わない?」
「それは、確かに、ほんの少しだけ読みたいかもって思ってしまいました。木根さんは本当に、エロマンガが好きなんですね」
そりゃもちろん大好きだった。
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