0001/FFFF
外は晴れだというのに、誰も窓を開こうとはしない。これはほぼまちがいなく他のクラスもそうだろう。
この県の中心から少し外れにある堺高校には近くによくわからない工場がある。害が無いと言われているが鉄が混じったような独特の香りが、周辺住民を包み込んでいるが、これといった批判の声を聞かない。
みんな鼻がつまっているのだろうか。それとも、あの工場があるメリットのほうが大きいのだろうか。
「もしも通貨がイガグリだったらどうする?」
テスト当日も僕は貴味とくだらない話をしていた。
「どうしようもないよ……」
「イガグリをたくさんつめたカゴを背負ってコンビニに行って、唐揚げとか買うんだよ」
「イガグリを持って行かなければいけないのにコンビニエンスと言い張るのはおこがましいよ」
「じゃあまあイガグリイレブンとかでいいわ」
「よくないよ、大企業を勝手に改名しないでよ。それに、iPhoneにイガグリペイとかつければいいんじゃないの?」
「お前なあ、それを言ったら面白味が全くないだろ」
「面白味は最初から無いと思うけど……」
「それに、イガグリペイじゃ公共料金払えないぞ」
「公共料金をイガグリで払おうという考えもおこがましいよ」
こうやって、貴味のたわいもない質問に適当に相づちをうっていくのが、僕達の暇つぶしとして確立している。基本的に高校生の会話なんて、第三者が聞いたらつまらなすぎるものなのだろうけれども、それに輪をかけてつまらないのが僕たちの会話だった。
「でも、それだと雑誌の裏とかに載ってある、札束のお風呂に入ってるやつ困るよな」
「ああ……イガグリのお風呂には入りたくないよね」
想像しただけで全身が痛くなる。
「イガグリが札束だと考えたら、痛くないのかもしれないな」
「ああ、なるほど」僕は小さくため息をついた。「どうでもいいよ」
「何の話をしているんですか?」
背後から女性のように高い声が聞こえる。女性に話しかけられる覚えがまっがくないので、少しおどろいてしまった。
振り向くと……というより後ろの席の貴味に話しかけるような形で椅子の本来の用途とは逆に使っていたので正しい方向に座り直したと言うべきか。とにかく、声のするほうを向くとそこには小柄な女子生徒が居た。
見覚えがあるような無いような……少なくとも話をしたことはないと思う。
「何って、イガグリの話に決まってるだろ」
貴味が答える。別に決まっていないとは思う。
「それは聞いたらわかりますよ」
「普通の話題は、たいてい聞いたら分かるだろ」
その女子は、比較的大きな黒縁眼鏡をかけており全体的に地味な印象を受けた。髪の毛は直毛が胸元までかかっていて一見きれいな髪に見えたが、毛先は枝がかっていて、手入れをしているようには見えない。
「えっと……」
「私、一応、同じクラスですよ。名前くらいは覚えてますよね?」
「そ、そうなんだ……」
彼女は無表情を崩さない。感情を表に出さないのか、それとも感情の起伏自体が乏しいのか。
「もしかして、私が誰だか分からないんですか?」
「う、うん……」
なにせ僕は、昔から顔を覚えるのが苦手だった。名前を覚えるのも苦手、そして英単語を覚えるのも苦手である。それらの事実をふまえると、すぐに僕は記憶力が無いということに気がつくべきだったのだが、それに初めて気がついたのは高校受験の時だった。
貴味に助けを求める視線を送ると「分かったよ」と言って、その女子を指さした。
「こいつは、同じクラスの宇都宮流流っていうやつだ。一応、俺の幼なじみだよ。つっても、同じクラスだから見たことくらいはあるだろ」
「うーん……」失礼ながら、宇都宮さんの顔を見ても見覚えはまったくなかった。「宇都宮さんですね……ごめん……」
「いえ、私は影が薄いですし、友達も少ないですから」
「そうなんだ、僕も少ないよ」
別に僕としては友達が少ないことが悪いこととは思っていないが、グループを作った時に一緒のグループになった人が気まずそうにしたときに、少し悪いことをしているような気分になってしまう。
それ以外の面では、別に友達が居ないことを悪いこととは思わないし「友達が居たほうがいいのかな?」と思うこともほとんど無いけれども、メディアやマンガ等において、友情をアピールした時に「友達が居たほうがいいと思ったほうがいいのかな?」と思うことはある。
「流流でいいです」
「流流でいい?」
「はい、流流って呼んでください」
彼女の表情は本当に読みとれない。彼女の表情から感情を読みとれるスキルを持つ人間は、バーコードを読みとれる人より少ないのではないだろうか。
「でも……」
女性を名前で呼ぶのは、少し気恥ずかしい。
「私、自分の苗字が大嫌いなんです」
「そういうことなら……流流?」
「はい」
口元が少しあがった気がしたけれど、ほぼ間違いなく気のせいだと思う。だけど、万が一にも……とても少ない可能性で、もしかしたら彼女は笑ったのかもしれない。
「で、その友達の少ない流流が何の用事だよ」
貴味が流流を向いて、少しばつが悪そうに頭を掻いた。
「用が無ければ、話しかけてはいけませんでした?」
「お前が、学校では極力話しかけないって言ってただろ。どういう風の吹き回しだ?」
学校では、という言葉が気になったけれども口を挟まなかった。
「別に、ただ高校に入ってから男女二人っきりで話をすると、変に目に付くから嫌だっただけです。そのあたりは、小学生の時から男子って本当に変わらないと思います」僕達のほうを手の先を向ける。バスガイドが右手方向に素敵な寺院があることをアピールするかのような業務的な動きだった。「そっちが二人なら問題ないでしょう?」
「そんなものなのか?」
「僕に聞かれても」
まさかこのタイミングで振られるとは思わなかった。
「で、今日話しかけたってのは偶然じゃないんだろ?」
「そうです。よくわかりましたね」流流は、小さくうなずく。「今日の小テスト、久しぶりに勝負しませんか?」
「勝負?」
二人を交互に見る。面倒くさそうな顔をした男と、無表情の女が見つめ合っており、なんだか非常に物々しい。
「勝負って言っても、毎回、お前が勝手に言ってただけだろ」
「そうでしたっけ?」
流流はとぼけたように小さく首をひねった。動きの少ない彼女にとって、その動きはトランポリンにのった子供のように躍動的に思えた。
「何のこと?」
思わず疑問を口に出す。
「俺と流流は中学時代テスト前に必ず、乳首相撲をしてたんだよ。勝ったやつはその乳首を持って帰れるっていう」
「平気で嘘をつかないでください」
流流は、やたら大きな眼鏡をクイッとあげた。
「チャーハンに入れるとおいしい」
「不味いですよ」
食べたことあるみたいに言われても。
「まあ本当は、勝手にこいつがテストのたびに点数で競おうって言い出してたんだよ。しかも意味もなく罰ゲームつきでな」
「負けたほうが、勝ったほうの言うことを聞くっていう罰ゲーム付きです」
「いや、確かに興味深い話ではあるけれども……そういう事じゃなくて……小テストって何?」
「え?」
「え?」
二人の声がステレオとなって、両耳に入ってくる。
「小テストっていうのは定期テストとは別におこなわれる、規模の小さなテストのことです」
「いや、そういう意味で小テストってなにって聞いたわけじゃなくて……今日テストがあるの……?」
それぞれ辛辣な表情と無表情とで顔を背けた。
「あるんだ……」
周りを見渡してみると、教科書を持って予習をしているグループやノートを貸し借りしているグループ、問題を出し合っているグループがいた。その中で、平然と乳首相撲について語っていたのがこのグループというわけで、そのコントラストがどこか虚しかった。
この虚しさをなんとか芸術に活かす方法は無いだろうか。
「大丈夫だって、小テストだからな。小さいテストだし、俺も勉強してないからな」
適当に慰めてくれる貴味。
僕が入学して、まだ一度しか定期テストが行われていないけれど、その一回のテストをこいつは、学年一位という成績で突破している。
まったく勉強している様子もない。そんな貴味を見ていた僕は、高校ってのは勉強しなくていいのか、友達も勉強しないんだから僕もまあ勉強しなくて大丈夫だろうくらいに思っていた。その結果、ひどすぎる結果になったわけだ。
誰が悪いかと言えば、たぶん僕が悪いんだろうけれども、貴味に八つ当たりしたくもなる。
中学時代は成績に関して怒りっぱなしだった母親も「まあ、テストは学力もさることながら運の要素も大きく絡んでくるからね」という気を使ったコメントのみで終わってしまった。
「そんなこと言いつつ、満点とるんでしょう?」
「別にとりたくてとってるわけじゃねーし」
僕もそんな台詞言ってみたいものだ。
「そこで勝負ですね」
「なにが、そこでだよ」そこで貴味がこちらを見た。「あ、そうだ。こいつも勝負するってなら、するよ」
起訴されたのかと思うくらいに、の指が僕の顔面を示した。
「そうですね。木根さんも一緒にやりましょう」
「ん? 何を、乳首相撲? いいよ」
「違いますよ。なんで話がもどってるんですか」無表情なつっこみが心に染みる。「ビリ、つまり三人の中で一番テストの点数が低かった人が、一位の言うことを何でも言うことを聞くんです」
「な、何でも!?」
「そこに食いついてくるんですね……」
「何でもって……どのくらい自由がきくの?」
「ゲーセンで音ゲーにお金を入れないまま、DJになりきってプレイしてくらいならいいんじゃないか?」
貴味の境界線は理解できなかった。
「可能な限りならなんでもやりますよ」
「な、なんでも……」
青少年らしいとても純粋な声が自分の口から出てきて情けなくなってきた。
「ってこの二人相手に、点数で勝つなんて無理じゃないかな?」
貴味は一位だし、流流だってなんとなく頭の良さそうな風貌をしている。いや知らないけど。
「ちなみに流流は前回の成績、学年何位だったの?」
「三十二位でした」
確かに頭が良いけれども、なんだかちょっと想像してたより微妙。とは当然言わなかった。僕よりも遙かに上位だったわけだし。
「うーん……」
まあ別に、負けたからといって変な命令されたりもしないだろう。逆に万が一にでもこっちが勝てば、いろいろしてもらえるかもしれない。
「おい、木根、なんか変なこと考えてないだろうな」
「そんなわけないよ」
僕は首を振って否定した。
「木根さん、なんで教科書読んでるんですか?」
「小テストに備えて勉強するのは当たり前だよ」僕は教科書に目を落とした。「なるほど、モホロビチッチ不連続面はマントルと地殻の間に存在するのか」
「小テストは英語だぞ」
まあ当然のことながらほとんど勉強する時間もなく、僕は一通り分かりそうな問題をそれなりに埋めると、やることがなくなってしまった。ここから見える範囲の生徒は、誰もシャーペンの動きが止まっていないことから、決してテストが難しいものではないということが伺える。
さっきの休み時間に教科書を眺めた範囲だけでも、一問ほど埋めることができた。このように簡単な努力が報われるように作られたのが、この高校にふさわしいレベルの小テストなのだろう。
そう思っていながらも勉強しないのだから性質が悪いと自分でも思う。
テスト終了まで、まだ10分ほどあり、退屈と睡魔が同時におそってくる。やたら長い、なんのためのテストなのだろうか。
ふと、意識が遠のくのが分かる。
テスト用紙が、ぼやけて……
文字と意識が拡散していくのを抵抗もせずに、
ぼんやりと身を任せていた。
眠気が僕を包み込んだかと思うと、僕は落下した。
一瞬、机から落ちたのかと身を乗り出そうと思ったが
違う、すでに僕は教室にはいない、
気がつけば僕は、溺れていた。
あわてて喉を押さえる。
僕は夢の可能性を考えたけれども、絶対に違う。
こんな苦しいはずが……こんなリアリティがあってたまるものか。
何か得体のしれぬものに包み込まれ、苦しくなる。
息ができない……
夢ではない、だけど……
ピピピピピ
何か電子音が聞こえた。
何をあわてているんだともう一人の僕が伝えてきたような
ピピピピピ。
いや、違う。
この電子音が僕に何か伝えようとしている。
そう思った瞬間、僕はすでに溺れていなかった。
何も状況が変わったわけではないが、息だけはできるようになっていた。
深呼吸をする。
ピピピピピ。
ここはどこだろう?
暗くて……でも何か小さな光が僕を……
やけに星の濃い、銀河に迷い込んだような感覚だった。
「すごいじゃん」
「すごいって……」からかわれているのか、それとも馬鹿にされているのか。「こんなテストありえないよ」
「まあ確かに、おまえがこんな高得点をとるなんて、正直思ってなかったけどな」貴味にいつもと異なる様子は無い。「エロの力は偉大だな」
「いや……」
周りを見渡しても、いつもと変わらない。
クラスメイトはもちろん誰一人こちらを見ていないし、先生も何事もないようにテストを返却している。
これはただの高得点なのか?
「ねえ、これって何点満点のテストだっけ?」
「100点に決まってるだろ」
貴味は平然と答える。
「そうだよね……、で、僕は何点だって」
「65355点だろ。そんなに高得点とったのがうれしいのか?」
やはり貴味は平然と答える。
どうやら僕をからかっているつもりは無いのだろう。
夢の内容を思い出す。
溺れていたけれど、息が出来ると気がつき冷静に辺りを見回した時、僕は数字とAからFのアルファベットに包まれていた。
0123456789ABCDEFそれらが何の意味も持たないかのように、平然と僕の周りを漂っていた。
それはどこか懐かしく、しばらく眺めていると16進法の数列だと気がついた。
A~Fも文字ではない、16進数と気がついた時から、どこか慣れ親しんだ0~Fの16種類の数字にしか見えなくなった。おそらく便宜上0~Fになっているだけで、厳密に言うと0と1の羅列を人間が目視しやすいように16進法にしたのだろうけれども、しかしまあ……
一つ一つの数列が意味を無し、世界が形成されている。数列はめまぐるしく変化し、世界の変遷を表現しているように見えた。
どれも同じ値から、数列がスタートしておりそれが自分を表現する番号だということが分かった。つまり、今僕は自分の中の数列に居るということだろ。一つの数列には00ADで終わっていた。00ADということは……173だから……ぼくの身長と同じか。
触ってみると、確かにそれが身長を表す数列だということが、体感的に理解できた。ミリ単位の部分はどこかほかの数列に存在しているようだ。
数列を一つだけ、それが今受けていたテストの点数を表していることに気がついた。
000B点、僕は笑ってしまった。
10進法に直せばそれが0011、つまりテストの点数が11点だったことにも苦笑してしまうが、その点数を収納するステータスが4バイトの16進法だと気がついた時だった。
0~Fの16進法のステータスである以上、1文字で0から15の、16種類の数字を表すことができる。
10進法だと1文字で0~9の10種類。
2文字あれば0~99の100種類の数字が表すことができる、じゃあ100点満点なんていうよくある採点方式は実は効率が悪く、99点満点にすればいいのではないかとたまに思ってしまうけれども、どうやらその必要は無いらしい。なぜなら、16進法の4バイトで点数を表していたから。
100点が満点のテストに、わざわざ4バイトも容量を取っている……?
僕はその時、そのことに笑ってしまった。
そして、次の瞬間、僕はこう思った。
ーーーもしチートがあれば、65355点がとれてしまう・
「木根君すごいですね」流流の声が聞こえる。「勉強してないなんて言ってましたけど、嘘だったんですね。次は負けませんよ」
無表情のまま眼鏡をあげた。
「いや、勉強はしてないけど……」
あと、もう少しサイズの合った眼鏡を買うべきではないだろうか。
彼女もどうやら僕が実力でこの点数を取ったと思っているらしい。次は頑張るって、一体彼女は何点をとるつもりなのだろうか。
もし65535点を超えるなら4バイトでは無理だ。
小学生の頃、ゲームが好きだった。
ゲームは人の頭が悪くする。父はそういうよくわからない偏見もつタイプの人間であり、ゲームのプレイ時間を1日30分に制限していた。ゲームから謎の怪電波でも出てきて、頭を悪くしているとでも思ったのか、それともプレイ時間を短くすればその分勉強するとでも思ったのだろうか。
今よりは多いけれど、それでも友達の少なかった当時の僕は、その数少ない友達が何時間もゲームをしたという話を聞くとうらやましかった。というよりは、話題についていけなくなって悲しい気持ちになった。
そこで手を出したのがチートだった。チートというのは、簡単に言えばゲームの数字やフラグ、持ち物等を変えることができる外部ツールと言えばいいだろうか。
ゲーム機とソフトの間に挟み込む、そう、変換端子のようなツールがありそれを使っていた。それを使えば、ゲーム内では、なんでも出来るようになるわけである。
「あの夢は……」
チートと同じだった。
まったく同じ感覚たくさんの数字の羅列から、自分に必要な情報を取り出し、そこから値を、別の値に書き換える。
「ただいま」
誰もいないだろうけど、一応呟いてしまう。
「へいよー」
「ん?」
誰だろう、そう思った次の瞬間には「拾か」と理解できた。まあよくよく考えてみれば、この時間に居るのは彼女くらいで、しかも別段珍しいことでもなかった。
家に帰ると、ソファーから妹の足だけが見え、脱ぎかけの靴下を振って出迎えてくれた。
彼女の名前は「木根拾」で、生まれた日にお父さんが公園で五百円玉を拾ったから、このような名前になったという耳糞の出来損ないみたいな逸話がある。
本当にそんなことで名前をつけていいのか?
親戚は何も言わなかったのか?
そもそも、父はなんで平日に公園に居たのか?
等の疑問は、未だに僕の心の奥底で眠ってはいるものの、拾が自分の名前に対して何も言ったことがないので、あまり気にしないようにしている。
それにしても当時の僕は疑問を抱かなかったのだろうかとも思うが、あまり覚えていないというのが本音だった。
「何やってるの?」
「いつも通りぃー」今度は、ソファーから携帯ゲームが見える。拾は隙があれば、一日中ゲームばかりしている。「私は常に、ゲームに関してはノンストップでいたいの」
「ユーロビートかよ」
よくわからないつっこみをしてしまう。彼女にとってゲームとは生活そのものである。
「それにしても、よくまあお父さんもなにも言わないよな、僕がゲームしてた時は1日30分だったんだけど」
「最初は言ってたよ、ゲームの話題になるたび、すごい顔するんだもん。ご飯食べる時とか、食べにくそうなくらいすごい顔だったよ」
「あれ……なんでじゃあ僕の時はだめで、拾の時はよかったんだ……?」
「だって、私成績いいもん。この前、練ももう少しゲームしてたら、もっと成績よかったりしてな、とか言ってたよ」
「理不尽な……」
親というのは子供にとって理不尽なものだと思う。
子供も親にとっては理不尽だろうから、それはもう仕方がないのだろうけれども。
「どう楽しい?」
「楽しいよ。みんなゲームばかりしてたら世界は平和だよねきっと」
「じゃあその、みんながプレイするゲームは誰が作るんだよ」
「私みたいに、クリアしたゲームのレベル上げをすればいいのに」
「それはすごい生産性が無い感じがするけど……」
まあ彼女がそれを楽しんでいる時点で、それはそれでいいのだろう。
「でもまあ今日、新しいゲーム買ったからもうそんなカルマを背負わなくてもすむけどねー」
「日常生活で、カルマとか言ってる時点で、ゲームに毒されている感はすごいけれども」いきなり話を切り替える。「それはそうと、拾さ、身長が延びないとか言ってなかったっけ?」
「なに、お兄ちゃん、私のコンプレックスを指摘することで快楽を得るつもり? そういうのはそういうお店でやってね。妹を利用しないでね」
「なに、そういうお店があるの?」
「興味示さないでよ、どうしてお兄ちゃんはそう性に関してはいつだって探求心を忘れないの……?」妹が顔をあげて、ゲーム画面を見せてきた。「これ見てよ」
「なになに……野菜の相場があがってるので注意してください?」
「違うよ、画面が違うよ! 上の画面を見てよ」
どうやら今時のゲーム機は画面が二個あるらしい。
「キャベツ20000円ってすごいね、デノミしたほうがいいんじゃない?」
「だから上の画面だって言ってるでしょ」
仕方がないので上の画面をみる。どこかで見たことあるようなキャラクターが、王冠を頭につけて金髪をなびかせていた。
「誰?」
「誰ってこのゲームの主要キャラよ……」拾は、胸元にゲーム機を持つと、くるりんと回った。氷上だと点数がもらえるほど軽やかだった。「私もこんな風になりたいな」
「えぇ、キャベツは安いほうがいいよ」
「お兄ちゃん話聞いてなかったの? ヒロインのオリビアのことを言ってるんだけど」
「オリビア? あれ、どっかで聞いたことあるような。もしかしてこれ、ネコソギティア?」
「あれ? お兄ちゃんなんでこのゲーム知ってるの? 何かのカルマ?」
なんでゲームのために僕がカルマを背負わなくてはいけないんだよ。妹が不思議そうにこちらを向く。
「そうか、オリビアか……」
ふと、少しだけ懐かしいような寂しいような気持ちになった。
「これはリメイクだよ、僕も別のゲーム機でやったことあるもん。その時は据え置きゲーム機だったし、こんなに綺麗な画面じゃなかったんだけれど」
「へー」拾は、明らかに興味がなさそうにテーブルの上に置かれていたゲームの箱をのぞき込んだ。「本当だ、あの名作がリメイクって書いてある。リメイクするんだから、そりゃ普通、名作だったとしか書きようがないよね」
「まあ、確かに、あの凡作が面白くなるよう頑張ってリメイクしましたとは書かないだろうけど」
「オリビアかー……当時、すごい好きだったんだよね」
「へー」
拾は興味なさそうに相づちをうち、そのまま視線をゲーム画面に戻してしまった。彼女がゲームに本気で集中しだすと、話しかけても返事すらしなくなる。これはもう会話は無理かなと思い、冷蔵庫から麦茶を取り出していると、ふと彼女の声が聞こえた。
最初、幻聴かなと思うくらい小さな声だった。
「オリビアの……この、オリビアって人のどこが好きだったの……?」
「うーん……」
少し考えたがストーリーのことが頭をよぎる。さすがにネタバレになってはいけないと思い、適当に話をつくる。
「豊満な体だよ」
「あっそ」
不機嫌そうにゲーム画面に、視線を戻そうとするのを、呼び止める。
「ああぁあ! そうそう、実は拾にお願いがあるんだよ」
「大好きな体の持ち主のオリビアに頼めば?」
無茶言い出したよ。
「そうじゃなくて、実は握手してほしいんだよ」
「何それ!」ソファーから、赤くした顔がぴょこんと出てきた。「お兄ちゃんまさか私のことが……」
「いやいや、実の妹を好きになるなんて、ライトノベルじゃないんだから、そんなことはないから」
とんだ偏見で反論する。
「確かに、鈍感じゃないとラノベ主人公になれないしね。お兄ちゃん、自意識過剰すぎるし」
「そうですね……」
思わず敬語になる。
敬語を使う時、あまりよくない印象がつきまとうのは僕がまだ高校生だからなのだろうか。たとえば、母が電話に出た時、急に神妙な面もちで敬語を使いだすと嫌な予感しかった。あれが一般的なものなのか、それとも僕が馬鹿で、小学生の頃はよく先生から電話がかかってくるからだったのかは分からない。
「なんで急にそんなこと言うの?」
「いや、握手がマイブームってだけなんだけど」
本当のところ、確かめたいのだ。
あの夢のことを……
「何それ……」妹は立ち上がった。「いいよ、ゲーム1個買ってくれたらね」
「高すぎるよ。今時CD一枚でプロと握手出来るんだよ」
「プロより素人のほうが高いものなの」
「そういうシステムなの?」
「うん」久しぶりにさわった妹の手は、昔つないだ手より大きくて少し恥ずかしくなってしまった。「冗談だけどね」
妹の手が小さくふれる。
「汗がすごい」
思わず口にしてしまった。
なにせ先ほどまで全力でゲームをしていたのだ、そりゃ汗だってすごいだろう。
妹は僕をにらみつけて、「もういい、自分の部屋に戻る!」と言って、立ち上がってしまった。
「お前、自分の部屋無いだろ」
「今日から、お母さんの部屋を私の部屋にすることになったの、お母さんは今日からお父さんと同じ部屋になったの」
「今まで自分の部屋ほしいなんて一言も言わなかったのに……どうして急に……」
でもまあ年頃の子供なので、自分の部屋くらいほしかったのかもしれない。
「あれ? じゃあ今までどうしてたんだっけ?」
拾はいつの間にかいなくなっていた。そういえば、彼女はそれはもうずっとリビングでゲームをしていた気がしたので、部屋がなくても困らなかったのかもしれない。
夢の中のことを整理する。
本当に夢だったのだろうか。しかし、眠ってしまいその瞬間異なる世界に行き、起きた瞬間に現世に戻ってきたとしても、それはもはや夢としか言いようがない。
16進法の数列に溺れる夢。
その夢の中でテストの点数を書き換えた。というより改竄したと言ったほうがいいかもしれない。
どうしてそんなことが出来たのかは分からないけど。
あの数字の羅列から、情報を手に入れて、それを書き換える。
あの感覚は、紛れもなく小さい頃慣れ親しんだチートだと思う。
妹に握手を要求した時、テストのように妹をパラメーターとして、夢の時のようにのぞき込むことが出きるなら……
そう思って、妹に触れてみたのだけれど、それは出来なかった。
「チートは1日1回だけ」
あれは僕が勝手に課したルールだったはずだ。ゲームがあまりに面白くなくなるからと、当時の僕は「チートは1日1回まで」と決めていた。
それが関係しているのか、この便宜上「チート」と読んでいる僕の能力は1日に1回だけ、というよりは24時間に1回しかできないらしい。
現に、さっきーー
妹の身長を変えようとしたのだが、それはできなかった。
代わりに、次に「23時間24分17秒」というパラメーターが頭に入ってきた。脳に直接焼き付いたという表現のほうが正しいかもしれない。
23時間24分17秒……実際のところは分からないが、一度使うと24時間使えないと考えるのが自然だと思う。現に36分くらい前……チートを使ったわけだから、そう納得するしかない。
いまいちこの「チート」の使い方が把握できていない。当然のことながら、チートは便利なのだけれども、それをうまく使い切れていないような、もてあそんでいるような、もどかしい感覚におそわれた。
特に24時間という制限は、少しがっかりした。
取り返しのつかないことをしてしまっても、24時間の間、戻すことができない。
「どうしたの?」
「うわああああ!」
思わず、立ち上がってしまった。
「何、変なことしてたの?」
「いやいや違うから、ほら、この健全な姿を!」
ただ単に驚いたんですよ。変なことをしていたわけじゃないですよ、というアピールのためにわざわざ自分の全身を見せるように、手を広げた。不良にお金を持っていないアピールするような無様さがあった。
「やましいことは何もしていない!」
「その割になんか、がっかりした顔してたけど」
「男子高校生なんだから、そりゃがっかりくらいするだろ」
「見た人が、がっかりする顔だし」
「そのクレームはどちらかというと、両親に言ってくれよ」鏡くらい持ってるのでそのくらいは分かる。「ってやかましいわ!」
チープなのりつっこみを拾は鼻で笑い、自室へ戻っていった。何しに来たんだよ。
話の腰が折れてしまった、一人なので話の腰もへったくれもないけれど、とにかくチートを使わなければ話が早いわけなんだけれども、そうはいかない。
便利なものをみつけてしまったら使わなければいけないのが人間である。車が危険だから使わないなんて人は居ないのと同じような理屈だと思う。
ピピピピピ。
電子音が、聞こえた。
思わず振り返ったが、誰もいない。
そもそも、機械音に対して「誰もいない」という表現もおかしいのだけれども。とにかく本当にかすかな音で、もし窓を開けていたなら風にかき消されてしまいそうな、かすかな音だった。
夢で聞いた音と同じ、耳鳴りのようにかすかに聞こえる電子音、どこかから聞こえるというより、脳に直接響くようなそんな音だった。
だけど、その音は誰かが僕を呼んでいる気がして、自分の部屋をキョロキョロと見渡す。
当然、誰も居ないし、どんなに耳を澄ませても、音は聞こえなかった。
「慎重に使わないといけないな……」
そういって、少し手遅れだったかもと考える。
ポケットから通帳を取り出す。残高が1700万円ほど、正確に言うと16進法でFFFFFF円、10進法で16777215円増えている。Fを重ねると楽だけれども、やりすぎてしまうのが、チートを使ったことある人なら分かるだろう。
大幅に増えた貯金通帳の額に、少し不安になりながらも、覚えたてのチートをどう使おうか、どう検証していくべきかに思考がスライドしていった。
次の日、帰宅すると相変わらず妹がソファーで寝転がって、ゲームをしていた。
「ただいま」
「はりほー」
拾は、とりあえず適当な三文字を口にして、三文字目を伸ばせば挨拶になると思っている節がある気がする。
「あの、今日もお願いがあるんだけど」
「どうしたの? 願いばっかりだね。近年におけるJ-POPじゃないんだから」
僕は妹の寝転がっているソファーに座る。
「どうしたの?」拾はソファーから立ち退かず、ゲームを続けている。「昨日から、お兄ちゃん変だよ。生まれつきある程度は変だけれども」
「なんでお前は、俺の生まれに関してやたら厳しいんだよ」僕はポリポリと頬を掻いて、なるべくサラリと言うように、心がけた。「ところで拾ってさ、”小さい”こと気にしてるの?」
「その小さいってどういう意味……?」
「あれ、何かが”小さい”ことで悩んでなかったっけ?」
「悩んでるって分かってるんだったら、いちいち言わないでよ」
腹が立っているような言い方だったが、その割にはあまり気にしていないように、ゲームのほうに集中していのか、それとも、そういう風に振る舞っているのか。
「え、いや、だって身長って生まれついてのものだから仕方がないだろ、っていうか拾、そんなに小さいか?」
「へ?」今日初めて、拾と目があった。「し、身長……?」
「へ?」
彼女の悩みが僕の想像しているものと違うことが分かった。
「でも、小さいって……あっ……」
何が小さくて悩んでいるのか、やっと気がついた。「いや、仕方がないだろ、妹の胸の大きさなんて気にしないだろ!」
大きな声で何を言っているんだ僕は。そう思った時にはゲーム機の、タッチペンを鼻につっこまれていた。
「痛い! 痛いから! 説明書に書かれていない使用方法で攻撃するのやめろ!」
「うるさい!」
鼻をほじくり返される。こんなことならば鼻毛をのばしておけばと後悔してしまう。
「やめろ! お前、これ以上やるとディスプレイが俺の鼻くそでべとべとになるぞ」
「ひぇ」急に冷静になった妹が、タッチペンを落とした。「ふわぁ……これじゃあ、しばらくタッチペン使えないよ……」
「綿棒でも使ってくれ」
できたら鼻くそほじるのに綿棒を使って、ゲームをタッチするのにタッチペンを使ってほしかった。
「お兄ちゃんって本当に、馬鹿だよね……」
「いやいや、だってほら……ほら?」
無言でじゃばじゃばとタッチペンを洗った後、ゲームを再開した。何も言わないが、おそらくまだ怒っているだろう。
「拾、そのゲームおもしろい?」
それなら、それで考えがある。ようするに彼女に触ってしまえば、すべて解決する……はずだ。
パラメーターを見るのには、対象者に触れなければいけない。つまりチートは触れなくては使えないのだ。だから昨日は握手なんて不自然な手段をとったけれども、冷静に考えれば、こっちから自然に触ってしまえばよかったのだ。
「ゲームがおもしろい? 難しいこと聞くね」拾が少し考えるようにうなった。「うーん、遊ぶって感覚じゃないかな……どっちかというとゲームの世界に入り込む、っていう感じかな、本当にいいゲームはそこで生活しているような感覚だと思う」
「いやまあ……そんな小難しい話を聞きたかったわけじゃないけれど」
「ヒャァ!」
妹が悲鳴をあげる。
僕が、冷たい手のままで妹のホクロに触ったからだろ。その時、妹の数値、パラメーターが頭の中で展開される。やはりこの感覚は、まだ慣れない。
数字の羅列は、やはりどこか懐かしい感じがした。
ふと、小さい頃に嗅いだことがあるよう香りだと感じる。
「何してるのお兄ちゃん……」
こっそり触るつもりが、がっつり触っていたことに気がついた。
「いや、特に……」言い訳が終わる前に、妹が叫んだ。「い、痛っ!」
「ん?」
「苦しい……えっ……!」
「どうしたの?」
拾は、質問には答えず胸元を押さえて階段を駆け上がった。
「どうなってるの!?」
という声が聞こえる。ゲーム機もソファーに置いたままになっている。彼女にとってこれは非常に珍しいことだった。
「悪いことしたかな……」
当然と言えば、当然なのだが……もっと何とかなるものだと思っていた。ゲーム機をもって、彼女の部屋まであがるとノックをする。
返事は無かった。慌てたような音が聞こえる。具体的にいうとドタバタと部屋を動き回る音、タンスを開けたり閉めたりしている音が聞こえた。
「どうしたの?」
「お兄ちゃん……」
小さくドアが開かれた。
「ひ、拾?」
「入らないで!」
「どうしたんだ?」
「それ以上開かないで……」ドアの隙間から千円札が出てくる。「あのお願いがあるんだけど……それでブラジャー買ってきて」
「へ?」
「お願いだから……大きい奴……サイズは分からないんだけど……とにかく大きい奴……」
「あの……」
僕は、妹の胸を不必要に大きくしてしまった。
その代償として、僕はブラジャーを買いにいくことになった。
「へぇ……」
流流の平坦にローなテンションが、さらに落ち込んでしまった。僕は近くの商店街で途方に暮れていたところで、流流を見つけ。妹のブラジャーを買ってもらうことになったのだ。
「いやその……」
そりゃ僕だって普段ならブラジャーを買ってこいと言われても断るだろうし、拾だってこんな特殊な事態でもない限り「ブラジャー買ってこいよ」とは言わないだろう。なにせ特殊な状況なわけである。
ただそんな特殊な状況を流流には説明できない。
「下着を買うこと自体は恥ずかしくもなんともありません」彼女にしては珍しく、風力発電に使えそうなほどの深いため息を吐いた。「私も女性ですので」
「ごめん……」
「謝られても困ります」
流流は、表情には出さないが怒っているように見えた。おそらく怒っているのだろう。
「ねえ、機嫌直してくれ……っていっても無理だよね」
「えぇ……、その下着の使い道を教えてくだされば、それで機嫌は直ります」
「それは……」
「もちろん、使い方次第ですけれど」と付け足した。
ブラジャー祭りを開催するなんて言った日には、チェーンソーで切られそうな空気だった。
「いやぁ、違うんだ妹のなんだ」
「妹さんですか?」
チートで胸を大きくすれば、勝手にブラジャーが大きくなると思っていたが……そうでもないらしい。そういえば、昔、ゲームで攻撃力をあげようと「筋力」という値を最大にしたことがあるが、そのゲーム攻撃力の計算に「筋力」が参照されていないらしく、筋肉モリモリなのに攻撃力はカメムシレベルというよく分からないキャラになってしまったことがある。そう考えたらテストの点数が65535点だったところで、成績があがるわけでもましてや僕の頭脳指数があがるわけでも当然無い。
そんなことを、流流に言うわけにはいかないので、適当な理由を考えた。
「そうなんだ。実は急病というか、風邪ひいちゃって……母も風邪だから洗濯してなくて……」
「家族で、風邪なんですか。それは大変ですね」
「そうなんだよ……僕も少し風邪気味でね……」
ごほごほと、嘘くさい咳を出す。
「大変ですね」
まるっきり信じてしまった流流に、少し悪い気がしたがどうしようもない。
「今回のことは、テストの勝負の件とは別にしておきますね」
「勝負?」
「もう忘れたんですか? ビリは一位の言うことを何でも聞くって約束です?」
「ああ、覚えてるよ」
嘘です。すっかり忘れてました。
「でも正直言って、木根君があんな高得点が取れるなんて思いませんでした」
「そりゃそうだろうね……」馬鹿みたいな点数を思い出して苦笑する。それを謙遜と取られたかもしれない。「先生も、よくやったって言ってくれたよ」
「やめてください」
「ん?」
「さっき吉田先生の話、しましたよね……ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「吉田先生のこと、大嫌いなんです。」
彼女はそういった。耳に張り付いて離れない、インパクトのある台詞だった。彼女が人を嫌うのも意外だったし、それを口にするのも意外だった。
だけど今は妹のことを考えなければ。
とりあえず、ブラジャーのサイズは間違い無い。
僕がバストサイズを書き換えたのだから。
拾は精神的なショックを受けていた。
胸が大きくなったせいで、サイズの合うブラジャーが無くなったせいでもあるが、それ以上に、僕以外誰も気がつかないということに対し疑問を抱いていた。
「私の胸……どうしちゃったのかな?」
「どうして誰も気がつかないのかな?」
「重たい」
そういった内容のメールが送られてくる。授業中でもお構いなし、いきなり胸が大きくなるという理解不能な状況に反して、深刻に悩んでいるようだった。
しばらく返信をしなかった。返す言葉が思いつかなかったというほうが正しいかもしれない。
考えた末「大丈夫」とだけ返信すると「うん」とだけ帰ってきて、メールは届かなくなった。
拾に対して申し訳ない気持ちに支配されながらも、なぜ、彼女が自分の胸が大きくなったことに気がついたのか、と考えるようになっていた。
まずテストの点数のケースを考えてみると、僕以外だれも気がつかなかった。
なのになぜ拾は、自分の胸のサイズが大きくなったことに気がついたのか。それに関して「チートの対象者だから」という説を考えてみた。
直接書き換えた当人はチートに気がつくのかもしれない。
次に「僕の妹だから」という説。
僕がチートを使えるのだから、その親族である彼女も何かしらチートめいた能力を持っているのかもしれない。
第三に、妹が「ゲームに詳しいから」という説。チートという行為を理解できるだろうから、だから自分の胸が突如大きくなったことに気がついたのではないかという考え。
どれもピンとこない。
チートとはいつだって、自分の周りがどこか不釣り合いな世界になる。それが本来の数値から、かけ離れているほどに違和感が増し、不自然になっていく。
例えばゲーム上に、身長というパラメーターさえあれば、500センチメートルになることだって出来るだろう。それに関して、世界は何のリアクションもない。
普通のゲームは身長が500メートルの人間に対してのリアクションが用意されていないからである。
「やっぱり分からないことばかりだよね」
「何だよ急に、殴っていいのか?」
貴味がファイティングポーズを作る。
「いやだよ、痛いのは嫌いだし……」
「で、なんかあったのか?」
「いや、なんというか」どう言うべきか少しだけ整理する。「もし、自分がよかれと思ってやったことが、迷惑がられたらどう思う?」
「そんなのお前が悪いに決まってるだろ」
「いや僕とは言ってないけど……」
「じゃあ、その迷惑かけた奴が悪いに決まってるだろ」
「身も蓋もないね」僕は貴味に聞いたことを後悔した、かもしれない。「でもまあそうなのかも」
「謝るしかねーだろ」
「うーん……」謝ると言っても、胸を大きくしてごめんというのもおかしな話じゃないかとは思う。「まあいっか」
「で、どうしてなんだよ」
「あれ? 何の話してたっけ?」
「お前がエロエロ探偵だっていう話だろ」
いったいどんな流れで、そんな壊滅的なネーミングセンスのあだ名をつけられることになったのか、まったく思い出せなかった。
「なぜ探偵……」
「いやどうも、探偵ってアダルトビデオとかだと探偵=エロいってイメージがあるだろ」
「ないよ……とんだ風評被害だよ……ん? ちょっとまって、探偵=エロいってことは、エロエロ探偵って、エロが三つも入ってるじゃないか」
「足りないのか?」
「いっぱいいっぱいだよ!」
あらゆる意味でいっぱいいっぱいだった。
「どんな話をしてたら、僕がエロって話になるんだよ」
「お前が言い出したんだろ、旅先では絶対エロマンガを買うっていう話」
「ボケーっと話をしていたら、そんな話題になっていたとは、なんという不覚」
「お前、将来出世しなさそうだな」
「まず旅先だとウキウキした気持ちがあるから、なんか特別なことしたいよね。それに、旅先だと絶対に知り合いに会わない。だから購入する恥ずかしさもほとんど無いでしょ」
「不覚とかいいながら、くだらないことべらべら喋ってるな」
「それに、あれは読み切りがほとんどだから、後腐れがない。いわば短編集と言えるもので、それに絶対にはずれがない。王道を行くストーリーばかりだ」
うーん、少し考える。
自分で言うのもなんだけれど、旅先でエロマンガは本当に買ったほうがいいと思う。
「それに処理に困ることがない、これもいいよね。旅先のホテルにそのまま捨てればいいだけだし、さすがにお客様ー!エロマンガをお忘れですよー!とか言いながらホテルマンが追いかけてこないでしょう」
「知らないですよ」
「最後に……ん?」
相づちの声が、なんかやたら流流に激似だったので貴味の席を見てみると、流流に変化していた。
「え、あれ……貴味は?」
「教室で聞きたくない話じゃないから、代わりに聞いといてくれって言われました」
薄情すぎる。
「まあいいや、それで最後の理由なんだけど」
「続けないでください」
つっこまれてしまった。
「え、じゃあ聞かなくていいの?」
「私がエロマンガに興味があるように見えますか?」
「多少……」
「そうですか」
嘘です、全然興味無さそうです。
そこで流流の、いつもと異なる点に気がついた。
「あれ? そういえば今日はメガネをかけてないの?」
「そっちも今日は、ブラジャーを購入しようとしてないんですね」
「言わないでって……」
僕はため息をついた。
「そうでしたね、すみません」流流は小さく頭を下げた。「どうも最近変なことが続いて」
「それって……クラスメイトが女性の下着を購入しようとしていた以外になにかあるの?」
「それが、唐突に視力が戻ったんですよ」
「レーシック手術とか?」
分かっていたことなのに聞いてみる。
「いえ、そんなんじゃないんですよ。本当に唐突なんですよ。この前話している時に、いきなり……」無表情が下を向いた。「なんだったんでしょう」
ここ一週間の間に、少しずつチートについてわかってきた。
やはり「チートを使いたければ、その対象に触れなければいけない」のだ。
「そうそう、この前、占ってもらった時ですよ。手相を見てもらった時です」
「あの時か……」
そして、なぜ胸の大きさが変わったことを拾が気がついたのか?
これに関しては「チートによって書き換えた内容は、対象者は気がつく」という考えで間違いないだろう。
現に、彼女は……視力があがったことに気がついている。
彼女の視力を向上させたのは僕だ。実験に使ったようで申し訳ない気持ちになるが、視力が良くなって怒られるようなことも無いだろう。
ちなみに彼女の視力は現在3.0になっている。
「しかも、片目ずつなんですよ、不思議ですよね。一日目は右目だけが、二日目は左目も視力がよくなっていて、しかも気持ちが悪いくらい見えるんですよ」
「視力が良いと便利?」
「どうでしょうね……」彼女は少し間をおいた。「便利だと思います」
何か不満がありそうだった。
「実は不便?」
「不便なことはないですけど、不満な点はありますよ。嫌なことも見えてしまいます」
やはり24時間制限はつきまとう。「一つのパラメーターを変えてしまうと、24時間は変えることが出来ない」それは、例え、右目と左目という切り離せないような関係の数値だったとしても例外ではない。
次に「変えることができるのは数字だけ」という点。
ゲームならフラグ等も数値で管理されているため、チートでフラグを書き換えることにより頼まれても居ない用事を済ましたりもできた。例えば、でっかいイソギンチャクに出会ったことがあれば「1」、であったことなければ「0」という風に、数値で管理されている。
だけど、その”フラグ”を、見つけることも変えることもできない。
現実のフラグがゲームのように複雑ではないので対応できないのか、それともフラグなんていう過去という現象は、今には存在しないということだろうか。どちらにしろ、現実にはフラグというものは存在しないと考えたほうが良さそうだ。
「でも視力だけじゃなくて、何かしらいきなり良くなるようなことがもしあるとしたら、何がいい?」
「変な質問ですね。無いですよ」
彼女は即答した。
「ないんだ……」
「そうです、困っていることって、大抵の場合、過去のことですよね? 今更、私が多少変わったところで、過去がどうにかなるとは思えません」
「なるほど」
あと、チートは、過去は変えれない。
流流が立ち上がる。どうしたのだろうと思ったら貴味が帰ってきたようだった。何も挨拶することもなく、そのまま自分の席に戻っていった。挨拶もいらない関係というのはうらやましくもあり、少し寂しいような気もした。
「捻り出して来てやったぜ」貴味が椅子に座りながら、話しかけてくる。「また、あれやってたのか? 女みたいな趣味だな」
「趣味ってわけでもないけど……それに今日はやってないよ」
拾の巨乳事件以降、占いと称してチートについて調べようとしている。しかし、どうも人の視力や胸囲を変えても、なんだかいい結果に繋がっていない。別に他人の幸福の為に率先的に使っていきたいというわけではないけど。
しかし、触れた物しかチートを使えないという性質から、自分に使うこともできない。
「占いなんて当たるのか?」
「占いが当たるなら、理不尽な世の中になると思うよ」
「じゃあなんでやるんだよ……」
と言いながらも、手のひらを見せてくれた。一応、手相を見ているという名目だから、それっぽいことをする。
「手洗ったよね」
「多少は洗ったぞ」
彼の多少の範囲を知りたかったが、まあ捻り出した後、アレを鷲掴みにしたわけでもないだろうし、あまり気にしないようにした。
「あら、楽しそうじゃないの」
女性の声だったが、流流ではない。顔をあげると、一人の女子生徒が立っていた。パーマがくるくるとかかっていて、肩まで延びていた。天然パーマではないだろうけれども、おしゃれというよりは、お母さんが髪にボリュームを持たせるためにとりあえず巻いてみたような印象をうけた。
「誰だかわかんないみたいな顔するのやめなさいよ~」指をくるくると回した。「一応、このクラスの委員長なのよぉ?」
「委員長?」
思い出してみても、彼女のことを思い出せなかったし、このクラスの委員長というのがどういうことをする存在なのかも記憶になかった。
「ごめん……」
素直に謝る。貴味は何も言わなかった。
「私は鈴木美亜、美亜って呼んでちょうだい」
流流もおなじようなことを言っていた。
「名前で呼んでほしいブームとかあるのかな?」
「知らんわ」貴味が言う。「で、その委員長さんが何の用だよ」
貴味が割り込むように入ってきた。
「あらー、男同士で手をつないで何してるのかなって思っただけじゃなーい」
ほっぺたに、手のひらをあてて、噂をしていますみたいなポージングを決めている。少しだけ混じった関西弁のイントネーションが相まって、どことなく近所のおばさんを連想させる。
近所のおばさんにいこんな人物が居るわけではないので、ただのイメージだ。
「占いだよ」少し恥ずかしくなって、手を離す。「マイブームなんだよ」
「あらー、私も占い好きなの、混ぜてくれないかしらー」
「え、やだ」
また、思わず正直に答えてしまう。別に美亜のことが嫌だったわけじゃなく、占いというのはただの方便であり、あくまで自分のチートに関していろいろと調べているだけなのだから、巻き込むのが嫌だったのだ。
じゃあ貴味は巻き込んでいいのかっていうのは置いといて。
「こいつの占い当たるんだぜ」
「えぇ……い……」
思わず「いらんこと言うなよ……」と口から出てきそうになるのを、なんとか最初の一文字だけでとどめる。
「水晶玉とかいるのかしらー?」
「いや、別にそういうのは無いけど、手のひらを触らなきゃわからないかも」
そういうと、「こうかしら?」といきなり手を握ってきた。
「何か分かった?」
いきなり女性に手を握られて、緊張してしまう。
「えっと86かな……」
「……」
近所のおばさんみたいな饒舌さを誇る美亜だったが、少しの間黙りこんでしまった。
「それは、何の数字か一応聞いてみようかしら」
「ごめん忘れて」
僕を見下すように彼女は「それは占いじゃなくて、予測でしょ」とつぶやいた。
「いやまあ、どうでしょうね……」
妹の件といい、僕はどうしようもない、無類のおっぱい好きなのかもしれない、エロエロ探偵かもしれない。
「はぁ……」
僕は大きくため息をついた。
美亜は、次の瞬間には興味を失ったらしく、もうすでにほかの友人と思わしき人物と話をしていた。
貴味は珍しく何も言わなかった。
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