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 教室の薄暗い照明が、世界とかみ合っていないかのような音をたてて、薄暗い教室を演出している。窓の外は、まだ昼間だというのに灰色で、雨水がゾンビのように窓に張り付いてそのまま滴り落ちていった。雨は何かを理解してほしいのかもしれない。

「カタツムリって何を考えて生きていると思う?」

 友人の、安室貴味(あむろたけみ)は、よく訳の分からない質問をしてくる。そのくせ、表情はどこか儚げで、カタツムリに世界が滅ぼされたとでも言いたげだった。

「知らないよ……このアサガオ意外と葉っぱ枯れてるぜーとか、殻の中になんか耳垢的なものが詰まってるぜー、とかじゃないかな」

「殻は耳じゃないぞ」

「知ってるよそんなこと」

 まあカタツムリの私生活に関して詳しいわけでもないので、本当に殻が耳の役割をしていないと確証はなかったけれども。

「いや、でも意外と反響して耳っぽい役割をしている可能性も捨てきれない……?」自然に話題を変えていきたかったけれど、諦めて話題を強引に切り替えることにした。「それはともかく、こっちも質問していいかな?」

「すでに質問文じゃねーか」

「まあそうなんだけど、あのさ、僕、昨日、小テスト受けたとき寝てたよね」

「寝てたな」

 昨日のテスト中に寝てたことは覚えている。ほとんど白紙で提出したというなんともみっともない話だ。

「お前は、テスト中ならいつだって基本的に寝てるだろ」

「基本的にって……、じゃあ何? 名前書いたり数少ない理解できる問題を解いたりする時間は応用ってこと?」

「例外かもしれないぞ」

 問題解いている時が例外なら、基本はゼロということになってしまう。僕は無料オンラインゲームか。

「それよりさ、僕がどんな夢を見たか分からない?」

「は?」

 貴味が反り返ると椅子がキィーという音を立てる。椅子すらも呆れているように聞こえた。

「いやいや、分かるんだよ言いたいことは……変なこと言ってるって自覚はあるんだよ。でも、ほら、僕がどんな夢を見てたかヒント的なものが無かったかって聞いてるんだよ」

「ヒントってなんだよ、お前は、トンカチを持って寝たら、日曜日に父親と犬小屋でも建てる夢でも見るのかよ」

「違う違う……そういうことじゃなくて……もっとなんか……」なんか手がかりのようなものがあればと思って聞いてみたものの、自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。「ヒントというかほら、たとえば寝言とか」

「お前は睡眠中に、確定申告の夢を見てまーすとか言うのかよ」

「そこまでじゃなくても、なんか単語とか……」

「テスト中に寝言とか、さすがに教師に起こされてるだろうし、今よりもっと馬鹿にされてるだろ」

「うーん……え、僕のこと馬鹿にしてるの?」

「気にすんな」

 当然、貴味には僕の見た夢が分からないらしい。

「一緒に考えてよ」

「嫌に決まってるだろ、全然興味ないわ。岩手県の降水確率くらい興味ない」

「いやいや、岩手県の降水確率だって、岩手県民の人々からすれば興味津々な話題なわけだよね……だからこの話題も、僕にはどうしてもひっかかる話題なんだよ……」

「わかったよ……面倒なやつだな」

 めんどくさそうに頭を掻く。あらゆることに興味が無さそうで、それでいてくだらない話題は率先して取り入れるという独特の価値観と探求心を持つ貴味だったが、僕の夢の話には興味がまったくなさそうだった。確かに、他人の見た夢ほど面白味のない話題はそうそう無い。それなのに、面白い夢を見たとか言って話題に出してくる人が多かったりもする。

 まあそれは夢の話に限らず、大抵の話題がそんなものだったりするのだけれども。

「そっちこそ、ヒントというか手がかりとかねーのかよ」

「ヒント1からヒント4があるけど、どれから聞きたい?」

「どれも聞きたくねーよ」

 つれない奴だ。

「冗談だよ。なんか溺れてる夢だった気がする」

「じゃあ溺れてる夢見てたんだろ」

「いやいや、なんか水に溺れてるとかじゃなくて、別の何かに溺れてたんだよ」

「虚栄心に溺れてたとか」

「この流れで、微妙な比喩を用いたりしないよ……ちなみに自尊心に溺れる夢でも、泡銭に溺れる夢でも、酒に溺れる夢でも無かったと思う」

「じゃあ液体に溺れる夢を見てたんだろ」

「それ、身も蓋もないよね……」

 そこでチャイムの音とともに話題は打ち切られ、結局、夢が具体的にどういうものだったのか思い出せないまま、授業に突入してしまった。

 昨日の夢は何かとても重要なものだったような気がする。夢に重要なことなんてあるはずがないのに、昨日、テスト中に目覚めてからはそのことばかりを考えていた。

 一応断っておくが、自分の見た夢に、こんなに執着するのは今回だけだ。ことあることに自分がどんな夢を見たか気になっているわけではない。

「木根」

 担任の吉田の声は、生徒はもちろん、全てに興味無さそうな声が聞こえる。木根というのは僕のことで、フルネームで木根練(きねねり)。

 母が木根糸で、父が木根東という名前だったから、名前をくっつけて「練」という安直なネーミングだった。母の変に理屈っぽいところと、父の頭の悪いところをくっつけたような性格なのは、この名前のせいなのかもしれない。

 僕の名前が呼ばれ、思考が中断させられる。点数が悪いと分かり切っているテストの為に返事をするのは、実にアホらしい。いや、テストの点数が悪い時点で、間違いなくアホなので、アホらしいという表現は正しくないかもしれない。

「今回は頑張ったみたいだな」

「え?」

 今、なんて言った?

 今回は頑張ったな?

 混乱してしまい、その場に立ち尽くす。

 今回は頑張ったな?

 何も頑張っていない、何を言っているんだろう。

 吉田の嫌なやつだが、一応は教師なのでそんな嫌味は言わないだろう。

 テストを見る。

「なにこれ……」

 思わずつぶやいてしまう。

「次も頑張れよ」

 吉田の声が脳に直接響いたような感覚。

 目の前の光景に脳が理解をやめてしまった。

 これは、昨日見た夢の続きなのではないか?

 そこでやっと、思い出した。

 昨日見た夢を……

 ピピピピピという音が、脳に直接響いた気がした。


 僕は100点満点のテストで、

 65535点を取った。

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