第2話 執行終了
人ごみをかきわけるようにして、俺は目標の側へと近づいていった。目標の声が聞こえるところまで近づくと、
「なあ、そんなこと言わねえでさ! 頼むから付き合ってくれよ! 金のことなら心配ねえからよ! なあ!」
と、目標が半ばヤケクソ気味に女を口説く声が聞こえてきた。女の身なりを見る限り商売女のようだが、そのうっとおしそうな表情から察するに、商売とはいえ目標を相手にする気などさらさらないようだ。ま、商売とはいえ、女にだって相手を選ぶ権利はあるわな。
俺は目標の哀れさに、薄ら笑いを浮かべた。すると、目標がそれをめざとく目に留めたらしく、女を口説くのを中断し、俺の方へと向かってきた。
「なんだよ、兄さん。なんか、面白いことでもあんのか? あ?」
顔を斜めにし、眉間にシワを寄せてメンチをきりながら、目標が俺に絡んできだした。こいつぁいい。こちらから話しかける手間がはぶけたってなもんだ。さっさと執行しちまう予定だったが、ごほうびに少し執行猶予でも与えてやるとするか。
「逆に聞きたいんだが、笑っちゃいけないことでもあったのかい?」
「あぁ?」
目標が小指で耳掃除をするようなジェスチャーをして、酒くさくてきたねえツラを俺にずずいっと近づけてきた。
「わりいけど、よく聞こえなかったんだよなぁ。もう一度言ってくんねえか、兄さん?」
「顔も悪けりゃあ、耳も悪いってことか。それじゃあ姉ちゃん達に嫌われてもしょうがねえな」
「てめぇ!! ケンカ売ってんのかコラぁっ?!」
目標の怒鳴り声に、周囲の人間達も足を止めてこちらを見始めた。周囲の人間達の目には明らかな期待の色が浮かんでいる。まったく、野次馬根性もここに極まれりってところだな。こういう繁華街では、ケンカやひったくりなんかも一種のエンターテインメントとして受け入れられている。自分達に被害がなけりゃあ、人間ってのはどんな残酷なことでもスリルという言葉を使って享楽に変えちまうんだから始末がわるい。ちょいと癪に障るが、ここはそのご期待にこたえてやることにするかね。そのほうが後の執行も楽しめそうだからな。
「最初に因縁をふっかけてきたのはそっちだろう? つまり、こっちはケンカを買ってやってるんだ。さっさとかかってきなよ」
「イキってんじゃねえぞコラぁ!!」
目標が怒声とともに右ストレートを俺の顔面に向かって打ち出してきた。俺はそれを顔を軽くずらしてかわし、かがみ込むようにして目標の懐に入った。そして体のバネを目一杯にきかせて、目標の体にボディブローを叩き込んだ。
「おぐぅ?!」
こもったうめき声をあげ、目標が前のめりになって地面に倒れ込んだ。そして全身を小刻みにふるわせながら、ここに来る前に詰め込んできたであろう胃の中身を地面にぶちまけはじめた。
「おいおい、一発で終わりかい? もう少し時間をかけて楽しませてくれないと、周囲のギャラリー達も興ざめするってもんだぜ」
俺の言葉で、あまりの瞬殺劇になかば呆気にとられていたギャラリー達が、我に返ったかのように一斉に歓声をあげはじめた。その中には目標が必死に口説いていた商売女の姿もあり、歓声をあげつつ熱烈な視線を俺に向けていた。やれやれ……勝手にその気になってるようだが、悪いが俺にその気はねえし、そもそもそんな暇もねえ。付きまとわれちゃあ面倒だし、さっさと執行を済ませるとするか。
俺はまるで水の中に投げ込まれたミミズのように地面をもがく目標を
「なあ、ニシナさん。ニシナ・ダイキさんよ」
「うぅ……な、なん……で、お、おれの……なま、えを……」
とても受け答えができるような状態じゃないだろうが、それでも突然、自分の名前を呼ばれた驚きからか、目標が必死になって俺の言葉に応対しようとした。よしよし。とりあえずこれで本人確認は終了だな。次は罪状確認だ。
「一週間前に発生した、強盗殺人――身に覚えはあるよな?」
そう投げかけると、目標が目をいっぱいに見開いて、俺を見た。苦しんでいる表情とは別に、明らかに驚きと焦燥のような色が目標の表情にあらわれるのを俺は見てとった。口をはせませないように、俺はたたみかけるように続けた。
「答える必要はないぜ。本人確認ができた時点で、さっさと執行に移ってもいいんだが、それじゃあ色々と法に抵触しちまうんでね。これがお役所勤めのつらいところってやつさ」
俺が微笑交じりにそういうと、目標はほふく前進のかっこうで俺のそばから必死に遠ざかろうとしはじめた。俺はすかさずスーツの中に手を突っ込み、拳銃をとりだした。周囲のギャラリー達の歓声が途絶え、辺りに張りつめた空気が満ちるのがわかった。
「まずは、足だ」
目標の大腿部に狙いをさだめ、俺は引き金をひいた。かわいた破裂音がこだますと同時に、目標の大腿部から血しぶきがあがった。
「きゃあああああ?!」
さきほどまで俺に熱い視線を送っていた商売女が叫び声をあげた。それを皮切りに、周囲のギャラリーたちも一斉に十人十色の叫び声をあげ、クモの子を散らすように俺の周囲から逃げ始めた。うざってえなぁ……自分達が被害をこうむるかもしれないと思ったとたんに、これだ。まったく、人間ってやつぁ浅はかな生き物だねぇ。まあこの状況もいつもと変わらないといやぁそれまでだし、とりあえず今は執行に集中するとするか。
「逃げようとしたってことは、俺が誰だかわかってるってことだよな? わかってるってことは、この後の展開もちゃんと理解できてるよな?」
俺の言葉が聞こえていないかのように、目標は、ただただ必死に俺の側から離れようと地面をはいずるだけ――いや、よく耳をすますと目標が何かぼそぼそと呟いているな。俺はそれを聞くために、目標の頭上へと近寄った。
「た……た、すけ……て……」
おいおい、今さら命乞いかよ。だったら
「あんたが殺した相手もあんたと同じように命乞いしたんじゃねえのか? だけど、あんたはその命乞いを聞かなかった。ってことは――あんたが今からどうなるか、わかるよな?」
といって、うつ伏せになっている目標を足で転がし、あおむけにした。そして目標にはっきりと見えるように拳銃を構え、目標の心臓へと狙いをすました。目標は眼球が飛び出さんばかりに目を見開き、食い入るように拳銃を見つめていた。その表情には色濃い絶望がにじみ出ている。
「それじゃあ、あの世にいったら被害者と和解でもしろよ」
俺は人差し指にゆっくりと力をいれ、引き金をひいた。まるで被害者の怨念が鳴らしたかのような、祝砲ともとれるような乾いた破裂音が響く。
銃弾は目標の心臓に寸分たがわず到達したのだろう。その証拠に、間欠泉の噴出のような鮮血が目標の胸からほとばしった。目標は一瞬、胸元をかきむしるような仕草をしようとしたが、心臓への直撃弾は目標にその猶予を与えず、即死させた。その表情は絶望と生への渇望をにじみださせたまま凍りついていた。
「さて……」
俺は無線機のスイッチを入れようとスーツの中に手を突っ込もうとした。だが、
「きゃぁああぁあぁぁああぁあああ!!」
という、商売女の狂乱に染まった叫び声がそれを中断させた。商売女に視線を向けると、地面に座り込んだままわなわなと怯えた表情で小刻みに震え、その足元には水たまりができているのがみてとれた。きったねえな、もらしやがったなこのアマ。
しゃあねえな、周囲のギャラリー達も騒がしくなってきたことだし、報告の前にまずは周りを黙らせるとするか。俺は拳銃をスーツの中のホルスターに突っ込みながら声をあげた。
「みなさん! ご安心ください! この行為は事件などではございません! これは法の執行なのです! 俺――いや、わたくしは……」
俺はスラックスの後ろポケットにねじこんでいた手帳をとりだし、それを周囲のギャラリーに見えるように高々と掲げて見せた。
「この手帳のマークをご覧ください! おわかりでしょうか? 皆さんもご存知のとおり、これは特別法務執行庁のマークです! つまりわたくしは特別法務執行官であり、この男に法の執行をくだしただけなのです!」
ざわついているギャラリー達の中から、一人の若者がおそるおそるといった感じで俺に問いかけてきた。
「あの……それじゃあ、この男は……」
「そうです。この男は殺人犯です。だからこそ、このように法の執行をその身にうけたというわけなのです」
ざわついていたギャラリー達が静まり返った。そして少しの間を置いて、ギャラリー達から先ほどよりも一段と高い歓声があがりはじめた。歓声の中には、「自業自得だぜ!」「くたばりやがれ犯罪者め!」といった、目標に対する罵声も含まれていた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。この死体は我々特別法務執行庁のもので処理しますので、どうか皆様方はお気になさらず、今日というすばらしい夜をご堪能ください。それではご協力ありがとうございました」
そういって仰々しく
「うまく事が運びましたか?」
「グンバツの成果でございますよ。テストなら花丸の成績だぜ」
「それは素晴らしい成果でございますね。あなたのことですから、きっと周囲の民衆達にもそれなりのアピールをしたのでしょう。それはきっと、今後の――」
「ところで、早く処理班をよこしてほしいんだが?」
またもうっとりとした口調になりだしたので、俺はオペレーターのご高説をさえぎるように言葉をかぶせた。すると、不服そうに、
「……かしこまりました。それではすぐに処理班をお送りいたしますので、あなたはこちらへ帰還なさってください」
と、まるでいじわるをされた女の子が、ふんっ! と不満を表すように、オペレーターが無線を強制的に終了させた。まったく、可愛げがあるのかないのかよくわかんねえやつだ。俺は無線機のスイッチを切り、その場から離れようとした。だが、その時、
「ねぇ……」
という薄ら寒さをおぼえるような猫なで声が、不意に俺にあびせられた。その声のした方に目をやると、先ほどの商売女が体をくねらせるようにして、俺を見つめていた。その瞳は、甘えと官能の色で濡れている。めんどくせえな……さっさと振り切っちまうのが懸命だろう。
「すみませんが、職務中ですので――」
「そんな、つれないことおっしゃらなくてもいじゃない。ねぇ……」
そういって、商売女がなれなれしい素振りで俺の側へと近寄ってきた。ったく、冗談じゃねえぜ。俺はさっさと帰りたいんだよ。こうなると目標のついでに処理しちまいたいところだが、そうすると今度は俺が他の執行官の目標になっちまうし、ここはなんとか穏便にすますとするか。俺は近づいてきた商売女の胸倉をつかんで引き上げた。
「ひっ?!」
突然のことに商売女が反射的に表情を引きつらせた。その引きつった顔に、俺は
「いいかい、姉ちゃん。男が女を拒絶してる時ってのは、死んでもその女を抱きたくねえってことなんだぜ? あんたも商売女なら、引き際ぐらいちゃんと見極めることだな」
商売女の返事を待たずに、俺は商売女の胸倉をつきとばすようにして放した。商売女はしりもちをつき、怯えた目つきで俺を見上げている。
「それでは――職務中ですので」
言葉遣いをきれいに正し、俺はその場から離れた。
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