第3話 後編
「車ごと転落死? 」
持ち主は女性関係も派手な男だったようで、死亡時には色々な説が流れた。遺族は「息子はそれほど運転が上手くないので、自動運転だったはず、車会社の責任」と主張したが、本人が運転していたドライブレコーダーが残っており、すべては運転手の、死者の起こした事故となった。
「ドライブレコーダーの最後で、複数の女性の名前を叫んでいた」
という話が世間を飛び交う中、私たちは結婚式の準備に忙しくしていた。でもまた同じように結婚直前にウプシロン株で亡くなるというカップルのニュースで、嬉しさが半減してしまった。
しかも二人は、例のカップルと瓜二つのようで、同様にそのマンションの住人、職場の人にも感染者はいなかった。この事が更に私たちの恐怖を倍増させた。
「感染経路が全くわからないって、これだけ数が少ないのにどういうこと」
確かに不可解だ。多くなれば難しいが、全国の感染者が一桁かゼロの現在において「わからない」は許される事ではないはずだ。
私が今、例の「自分の能力」と思っていることを彼女に話したところで、何の解決にもならない。そして亡くなった二組、車の持ち主を「快く思っていない」のは圧倒的多数派だと言うこともわかる。
「とにかく、あまり出歩かないように、大人しくしていよう」
と二人で式までの日を過ごすことにした。
その日は彼女は実家に行き、私一人夕方の公園のベンチに座った。すると珍しく、一人の中年男性がベンチの反対側に座り、話しかけてきた。特に特徴がある人ではなかった。今でも何故か顔が思い出せない。
いや、思い出さないようにしているからかもしれない。
一般的な天気などのことを話した後
「パリの町は一人の建築家が作ったと言うことをご存じですか? 」
「え? 」
あまりに急な話題でもちろん驚いた。
「あの素晴らしい統一性は、一人の人間が作ったことによるという見解が多いのですよ」
「は、はあ」
としか私は言うことは出来ない。どこかでそのことを耳にした事はあったが、その建築家が誰であるかは、もちろん覚えてはいなかった。
「ご結婚なさるんですよね、おめでとうございます。とにかく今はご不安かと思いまして。結婚前に亡くなるカップルが多いので」
「あの・・・失礼ですがどなたでしょうか? 」
「あなたの幸福を願う者です。あなただけではない、最大多数の最大幸福と言った所ですかね、ご存じですか? 」
「確かイギリスの哲学者の言葉でしょう? 高校の時に習ったかな」
「よくご存じで。私はその世界を構築する手伝いをしている者です。本当に便利な世の中になりましたよ、我が子に対して無頓着かどうかも、遺伝子でわかるんですから。まあ、見た目でもかなりわかりますが。ですから、あなたはご心配なく過ごされてください。ご家族の不慮の事故と健康管理にはお気をつけて」
そうして彼はすっと立ち上がった。
「出来るだけ、今日の事は内密にしていただきたい。白昼夢とでも思ってくださると好都合です。婚約者には「そんなに不安に思わなくて大丈夫だよ、正直に真面目に生きていこう。そうすればきっと上手くいく」という内容のことを、あなたの言葉で、強い態度で言ってくださると助かります。それでは」
夢のように、彼はすぐに見えなくなった。
その日は一人恐怖に震えたが、次の日私は、彼女に
「ウプシロンを心配する必要はないよ、これから色々なことで苦労することもあるだろうけれど、それも二人で乗り越えていこう」
と出来るだけ毅然と言うと、不安は落ち着きと穏やかさを呼び、それは美しく、優しい微笑みを浮かべた。
忘れることの出来ない彼女の表情だった。
それで十分だった。
彼が誰かを、私が考える必要はもう無い。
小恐怖 思い通りの世の中 @watakasann
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