第33話 犯人

「そいつが、煽動犯よ!」


 ピカの叫びと共に、私の目の前で笠を被った相手が再び火薬銃を構える。私はその腕にしがみつき、弾は耳元を掠めて水面に着弾した。敵は銃をあっけなく手放して私を引き摺り上げる。両腕の皮膚が義指のようなものに巻き込まれる強い痛みを感じる。薄まった血が腕を伝ってカラーサンドの脈を染めていき、私は貯水池の横に倒れ込んだ。間髪入れず鳩尾に蹴りが入り、呼吸を奪われる。


「答えろ」


 仰向けにされ、くぐもった声が遠くに聞こえる。不気味な笠が影を作り、ガスマスクの向こうが男であるか女であるかも分からない。抵抗しようと相手の襟元を掴んだが、自衛モジュールは起動しようともしない。


「なぜあの死体からFWを盗んだ?」


「......盗んでな、い」


 頬に鈍い痛みが走り、視界に星が飛ぶ。乱暴に首根っこを掴んでいた金属繊維のグローブに隠れた指が、後頭部をざらざらと探った。


「FWを付け替えたのか?」


 私は頷くように頭を振った。


「いつだ、いつからだ」


 笠が額に当たる。黒塗りのガラスにぼやけた私の顔が反射している。


「今はどうだ」


 否定しようと頭を振ると、頭に激痛が走る。


「我々を欺こうとしたのか?」


「知らな......」


 髪が引っ張られ、頭蓋がガタガタと揺れる。その間に意識が戻ってきて、相手の背後に伸びる小柄な影を捉えた。ゆっくりと抵抗を弱めて体勢を傾けさせる。水中から拾い上げたのか、見慣れぬ銃身を握ったピカの拳が振り上げられる。


「どうなんだ、我々の味方なのか、我々を騙していたのか?」


「どけ」


 拳銃のグリップが相手の笠に当たり火花を散らした。私の腕を押さえつけていた方の腕が、ガスマスクを確認するようにして離れる。ピカが離れたのを見て裸足の足を勢いよくたたみ、弾倉が格納されたジャケット越しに相手を強く蹴り飛ばした。よろめいた敵をピカが背後から絞め落とそうとする。


「ラフカ、走れ!」


「只人は口を開くな」


「離れて!」


 ピカを引き剥がそうと後ろに突き出された肘から、弧を描いたナイフが目にも留まらぬ速さで飛び出す。私が叫びながら立ち上がった時には既に、ピカはぐうと呻き声をあげて背後によろめいていた。脇腹から流れ出す液体を堰き止めようと、か細い指が青白くなるまで押し付けられている。しかし努力虚しく、揺れる赤い瞳が私の方を見つめながら、彼女は膝からくず折れた。私は頭からさっと血が引くのを感じた。


「お前!」


 ピカの指をすり抜けて落ちた銃を拾い、理性を支配しはじめた果てしない怒りに身を任せながら、相手の頭を何度も殴りつけた。抵抗されるたび左腕の外皮が剥がれ落ちていくのも構わず、とにかく動けなくなった親友から離れることだけを考える。とうとう、後退りを続けていた相手はライ麦の絨毯に脚を取られてモロコシ畑の中に倒れた。馬乗りになり、マスクに指をかけて首元に銃口を突き付ける。


「お前こそ誰だ」


「......彼女の紹介の通りだ」


「そうか悪人か」


 指を引き金にかける。金属弾の重さが持ち主に相手への殺意を意識させる。エドメの時とは違う、意思から独立した万能感が神経の末端まで駆け巡る。


「何も聞かず殺すのか」


「なにも、死体にだって記憶は残る。ストレンジのように」


 人差し指に力を込めた。相手の冷静さは、私の裸で微弱な不意思を克服するのに十分な怒りをもたらしてくれた。


「さあ、どうかな」


 引き金を引いた。少ししてカチリと軽い手応えを感じた。思考の感覚はその後にやってきた。喉を迫り上がってくるほど激しく胸が早鐘を打ち、銃口が相手の防弾服に食い込むほど押し付けられていたことに気づいた。そして、相手のガスマスクから細かく途切れた息が漏れ出して、それが堪えきれなかった笑いであることを悟った。焦るあまり操作を間違えたか。銃が濡れていたが、まさか旧式か?


 私は状況を処理しきれないまま相手の首元に指を捩じ込んでマスクを剥ぎ取ろうとした。その時初めて敵の抵抗を感じた。剥ぎ取る力が一瞬弱まる。


--殺すな--


 もう一度力を込めようとして、今度は声が聞こえた。湧き出る殺意以外何も分からないまま、震える腕を誰かが力強く引き留めたような感覚に陥る。声に従って手を止めると、マスク越しの笑い声が明確な音となって耳に届いた。


「なにを、した?」


「何もしていない。殺しをやめたのはそっちだ」


 今度は意思を持って指に力を入れてみるが、相手は私の腕を容易く引き離す。そして、私の動きを封じたまま、攻撃の手を休めて淡々と言葉を並べはじめた。


「もしそれが自分の不意思でないというのなら、その答えを我々は知っている」


「それは......!」


 一瞬戸惑ったのが隙になった。技をかけられて、私は畝の中につんのめる。


「死者の姿が見えたか、或いは」


 立ち上がった私の腕を払い、銃が草の合間に見えなくなる。口に入った土を唾と一緒に吐きかけるが、相手はそれを拭うこともしない。


「死者の助言を受けたのなら」


 謎の相手はマスクの向きを直しながら、ゆっくりと近づいて来る。後ろ歩きで距離を取り、警戒しながら辺りを確認する。鼓動が落ち着いてくる。


「その助言に従え。どうやら我々が戦う必要はないようだ」


「死者?」


 息を落ち着かせる。相変わらず頭は上手く回っていないが、反撃よりも優先すべき行動があることを、幸いにも思い出すことができた。光の反射から、貯水池はかなり遠い。ピカが自力でこちらにくる気配はない。


「そうだ」


「なら残念ね」


 相手の歩みが止まる。私の踵は、農業ドローン用のレールの終点に到達したことを知らせていた。すぐ後ろは採光窓の整備足場だ。


「幽霊の声は、お前が敵だと言った」


 血のついたナイフが飛び出したままの腕が私の義手に刺さる。体重を背後にかけるようにして、左腕を大きく振りながら接続を解除した。チタンの留め具が重装備の敵の体重に耐えかねて弾け飛ぶ。数メートル、私の左手と共に鈍い衝突音をあげて黒い体が落下したのを確認して、力の抜けた脚を必死に引き摺りながらピカのところまで戻った。




「ピカ!」


 彼女の服から染み出した水に、鮮血が混ざって地面に広がっている。


「ピカ、だめっ、しっかり」


 抱き上げると、身体が冷え切っていた。しかしその瞼はゆっくりと開き、震える指で傷の位置を示してくれる。丸めたシャツが押し当てられていたが、そこからも水が滴っている。私はそれがずれないように力を加えた。小さな悲鳴が聞こえた。


「立てる?」


 身体に対し不自然に生暖かい手が私の首の後ろに回った。


「絶対に大丈夫」


 腰に片手を回し、手首から先のなくなった左腕で支える様にして持ち上げると、彼女の身体は驚くほど細く軽い。歯を食いしばる彼女の顔を直視できず、私は一時的に静かさの戻った冷ややかな畑の中をひたすら走った。足の感覚は戻っていた。天文塔の影の中に入り、私たちが出て来たゲートが視界に入る。ゲートの向こうには、銃声を聞きつけたか監視室の警備員が1人立っていた。


「博士!」


「彼女を、怪我をしている」


 ピカは気を失いかけていた。声をかけ続けながら、警備員の手を借りて静かに床に下ろす。傷を見せると、彼は唇を噛んで躊躇わずに制服を破った。


「何があった」


「襲撃よ」


 草をかき分ける音がした気がして、後ろを振り向く。斜陽が怪しく波を際立たせているが、その中に黒い影は見えない。


「誰も通らなかったが」


「装甲区画への入り口はいくらでもある。それよりもはやく」


「ああ」


 やはり気になって、もう一度モロコシの波の向こうを見る。


「......どうしたの?」


 一見穀物の輝きのような、しかしそれにしてはやけに煌めく金色の房が見えた気がした。その下から、壊れた案山子の様に、片方にだけ枝が突き出している。私が立ち上がってその錯覚に目を凝らしていると、足元でピカが掠れ声を出した。


「ねえ、どうしたのって」


「人かしら。でもあいつじゃない」


「ラフカ?」


「ゾフィー......?」


「ラフカ、だめ」


 遠くで風が吹き、葉が一斉にはためく。絹糸に紛れて、明らかに違う質感の何かが乱れながら光を反射させた。その黄金色のベールが剥がれて、私は確かにオパール色の2つの眼光を捉えた。白いローブを纏い、私たちが先程までいた方向を指差し、あの日の様に戻ってこいと言っている。私にどうしても見せたいものがあると。


「博士、どこへ」


「ごめんなさい、彼女を頼むわ」


「やだ、ラフカ!」


 ピカの声がコンクリート壁に反響して私に刺さる。私は彼女の方を見ずに、横風の強まった畑へと再び足を踏み出した。粉になったペンキが舞い上がり、警備員がゲートを閉める。ゾフィーだった影は暗く日陰に染まり、乱れていた髪はいつのまにか黒く光る笠に置き換わっていた。

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