第14話 殺意

 --K塔エレベーターへ向かってください--


 エドメが向かった先は予想外の空間だった。警備ドローンの通報で施設の閉鎖が始まる中、会議場を貫通する高速エレベーターに乗り込んだのだ。リント委員から技能総局基部のセキュリティ権限を委譲されたペグが、5基すべてを緊急停止させる。遠隔監視システムの同期映像には、確かに背を向けた1人の男が写り込んでいる。貨物センサーは60キロの荷重がかかっていることを示している。


 発信器は、閉まり切った籠の内側で忙しなく動き回り、エドメが下降の感覚が訪れないことに焦っていることを示していた。しかし1つ懸念があった。シャフトの設計をみると、驚いたことに最上部は委員執務室、最下部は層間輸送チューブの貨物集積センターまで一つ繋がりの空間を作っているのだ。


「籠から逃げないかしら」


--問題ありません--


 私の不安はすぐに払拭された。というのも基部のエレベーターは、可変ガイドレールを備えたタイヤ式のものだったのだ。世代間輸送船時代の遺物に、輸送籠をぶら下げる主索はなかった。シャフト内には、円心部の主柱と、5本の壁付レール、需要に対応して軸転換を行うための補助索が40メートル毎に設置されているのみで、到底生身の人間1人による上下の移動が許されるものではない。運良くペグが操作するタイヤに轢き殺されることなく隣接する階に逃げ込めたところで、そこでは手柄に飢えた1課の行動官たちが待ち構えていることだろう。


「とんだ間抜けか、私を誘っているのか。ペグ、開けてちょうだい」


--博士の知覚レベルは現在低下しています。警戒してください--


 ペグの警告が遠くで響く。鼓動が速まり、視界に映り込む情報の輪郭が異常なほど明晰になる。全てペグの計算に基づく化学薬品投与によって活性化されているだけに過ぎないが、主観では冷静に現状を分析できた。


 エドメが私の顎を撃ったせいで、私の手元の拘束拳銃の残弾は1発。加えて保安局が彼に貸与していた2発装填の銃が一丁。


 エドメの手元には、彼には使用権限のないロビンの拳銃が一丁、そして私たちの目の前で対義体特殊弾2発が装填されたエドメの拳銃が一丁。許可を得ていない以上それも撃てないはずだが、警戒するに越したことはない。


 両手でしっかりと私の拘束拳銃を構える。ハッチの無機質な扉がゆっくりと開く。黒い服に身を包んだ人影が、正面の角に張り付くように立っていた。私は肩を扉が擦るのを気にせずに突入した。


「手を頭の後ろで組んで跪け!」


「......はい?」


 私の怒声と、相手の腑抜けた鼻声が三角柱の室内でこだました。スーツ姿の男が何もわからないという顔で片膝をつく。


 エドメではない!


 思わず、トリガーにかけていた指の力が緩む。それが失敗だった。次の瞬間、禿げた男は私の背後を睨んで舌打ちをしたかと思うと、腰を落とした体勢から脚を伸ばして私を蹴飛ばした。体制が崩れたところを、どこかから現れたエドメに組み倒される。男が銃を蹴り飛ばし、それはフローリングの上を跳ねながら遠のいて行った。気を取られた隙に、顔が冷たい床に押し付けられる。エドメが吐息混じりに囁いた。


「不憫な女だ」


 エドメは初めからエレベーターに乗っていなかった。ペグが映像を切り替えた一瞬の隙を突かれた。禿頭の男は彼の仲間か。エドメがわざわざ自分のテーザーガンを便器に水没させて、使用者未登録の拳銃を手配させた理由はここにあったのだ。今回煽動犯に何かしらの作戦があり、そこに実行犯の始末役が必要だったとすれば、それは1度人を殺したエドメであるはずがなかった。


「エドメ、お前、追っ手は殺したと言ったな」


 禿頭の男が怒りを滲ませてエドメに尋ねた。私をエレベーター内に引き摺り込み、仰向けにさせ、今までに出会ったこともないような冷徹な瞳で見下ろす。少し経ってエドメが口にしたのは、相変わらずよくわからない事だった。


「俺を殺させようとしてるんだ。その女は何か違う、気をつけろ」


「分かった、その口を閉じろ。女、誰の告げ口か答えろ。なぜエドメに辿り着いた?」


「よかった。あなたは話が通じるのね。なら取調室でお互い情報を共有し合いましょう。お友達に宇宙人はいない?」


「その人工脳壊れてるんじゃないか?」


 男は私の首を掴んだ。エドメに撃たれた部分に圧力が加わり擬似体液が染み出す。それでも顔色ひとつ変えない私に、男が尋ねる。


「硬いな、何パーセント残っているんだ」


「4割」


「半人か、俺と同じだな」


 男が力を込めると、スーツの袖を押し上げるように強化筋繊維が膨らんだ。ペグが扉を閉めた。私も同時に声を張り上げた。高所恐怖症のことなどどうでもよかった。


「ペグ! 下まで落として」


 両腕で禿げた頭をきつく絞めあげ、逆立ちするように足をけり上げる。モーターが激しく回転しブレーキ盤が外れる音と共に、体にかかっていた重力の感覚が消滅した。壁を足場にして、私たちは腕を絡ませあったままきりきりと舞う。放り出されたエドメがその義足を振り回して、ミラー諸共、脆く設計された脱出口を蹴り開ける。ガイドレールに付いた作業灯が、暗くどこまでも昇るシャフトを照らしていた。


--5秒で再上昇します--


 黄色い照明が点滅し、緊急通話装置が火花を散らした。私はエドメともう1人の男に挟まれる位置にいた。エドメが急かすように男に叫ぶ。


「出ないのか?」


「まだだ。女、質問に答えろ。なぜお前はエドメを追った?」


「嫌よ」


 私は肘を闇雲に振り下げたが、何にも当たらなかった。男は笑い声をあげて私を羽交締めにした。それを見たエドメが拳を振り上げる。


「もう一丁あるだろ、逃げたきゃ撃ってみろ」


「なら教えて、私が理性を克服する方法を!」


 意識が朦朧としてきた。それでも体を捻り、なんとか胸ポケットから拳銃を取り出した。方法は手が覚えていた。装填されているのは通常弾だが、それをエドメの首の付け根に押し当てる。エドメがそうしたように。カーボンで強化された皮膚に対して、至近距離発射時のセーフティは発動しない。エドメの瞳に恐れの色が浮かぶ。私はそれを見て、殺意を持って、震える指に力を込める。


 待ったをかける自分に強く言い聞かせる。今彼を撃つことは正当防衛になる。宇宙人のことを聞き出すには、どちらか1人さえ生きていればいい。私の無意識が、生かすなら禿頭の方がいいと言っている。これはもっとも合理的な判断だ。


 撃てる!


--上昇します--


 3人の体がふわりと部屋の中を落下し、速度がゼロになると共に床に叩きつけられる。次の瞬間、体重を遥かに超える負荷が全身にかかった。狙いが逸れて、電荷を帯びた2本の針がセラミックの壁に傷をつける。私たちは銃を拾おうとする相手を互いに妨害しながら立ち上がった。天板に空いた穴から冷たい風が入り込み、狭い空間で吹き荒れる。


「逃げるな!」


 エドメは恐れ知らずにも、加速し続ける籠の枠にぶら下がって、天井から脱出を試みる。私はその金属が露わになった踝を掴んで彼を引き摺り下ろした。そのせいで、私はまた2人の男に壁に押し付けられる形になった。


 ペグが視界に大量の警告を表示する。私の強制覚醒時間は残り1分ほど。外傷は義眼の映像翻訳機に到達しており聴覚器の損傷も激しい。どうしようもなく力が抜けていく。


 倒れそうになる私を、禿男が頬を掴んで支えて、何か言おうと口を開く。しかしその質問は直前で別の考えに遮られたようだった。彼の舌が空転し、暫く静寂が流れる。


「おい、こいつはどこに向かっている?」


 男が私に尋ねた。


「最上階よ」


 答えを聞いて、なぜか男の表情に焦りが生まれた。最上階には技能部門担当のリント委員と、その直属の護衛官がいるはずだ。これだけ痕跡の残る行為に身を投じてなお、捕まるつもりはないということなのか。回転数の落ちた頭の中を、疑問符が埋め尽くす。このタイミングで第一の暴動と同じ手段を選んだのはなぜか。


 相変わらず、私たちはまだ何も知らなさすぎる。この際、まともな受け答えができないエドメはどうなってもいい。この男を逃すわけにはいかない。そんな私の願いは、想定されうる最悪の形となって裏切られた。


「逃げないで。どうせ降りられるところはないわ」


「心配ご無用。もう少し色々と聞き出したかったが、ここまでだ」


 なにか硬いものが私のみぞおちに入った。身体が意思に反して凍ったように固まる。次の瞬間、男は目にも止まらぬ速さで床に散っていたガラス片を拾うと、エドメの側頭部に力強く刺した。エドメの義手があらぬ方向を掻き、力を失った。


「だめ!」


 エレベーターの加速度が緩まる。足の支えが効かなくなり、エドメと私は折り重なるように床に倒れ込んだ。男はヘリを掴み、重たそうな身体を籠の外に出す。最後に何か言ったようにも見えたその背は、シャフトに響く轟音の中に消えた。


 私は床を這って、血を流し倒れているエドメの傷を確認する。外部記憶装置が剥き出しになっている。しかし息はある。


 しばらくして籠の振動はなくなった。到着を伝える軽快なチャイムが鳴り、エドメの体を切るように細い光が差し込む。それは私たちを埃舞う籠から解放し、そして冷ややかに包み込んだ。私はそこで待ち構えているであろう護衛官に助けを求めた。


「いそいで、救命班を」


 何人かがエドメの体を運び出す。何人かの保安局員が私のそばを通り、その全員が私を無視する。一通り出入りが終わると、彼らは半円を描いてハッチを塞いだ。何かがおかしかった。


 1人の人間が、以前私の上に影を落としていた。残った力で目線をあげると、見覚えのあるブーツが視界を遮っていた。最近聞いたばかりの声がする。


「それは、ラフカがやったの?」


 ピカだった。


「ラフカが、宇宙人、なの?」


 ペグによって強制的に意識が遮断される寸前、私に銃口を向ける彼女を見た。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る