第13話 応射

「指令通り、彼には予備隊の監視をつけている」


 私たちが技能総局の研究推進本部に到着すると、重装備を纏った1課の警戒班長が出迎えてくれた。なるほど、流石に渦中の技能総局施設というだけあって敷地を囲う様に黒い人壁が蠢いていた。何人かの記者は、政治的文句を胴に巻きつけた飛行ドローンを投げ上げて、頭上の連絡橋に規則的に並ぶ1課の狙撃員は、それが市民の頭上に落ちるのもお構いなしに肩に担いだ小口径電磁銃による撃墜を繰り返している。等方性カーボンで覆われた柔らかな羽根は決して人間の皮膚、ましてその多くが自衛モジュール埋め込み手術の過程によって硬化したものを傷つけることはなかったが、その措置は明らかに不必要な怒りを蓄積させている要因の一つだった。


 3課の情報管理室から転送されてくるFW作動通報が、まるで私たちが誘蛾灯であるかのように赤い点の渦を作り上げていた。人が暴動の抑止のために不慣れな刑事の真似事に身を挺しているというのに、政権は表向きにはまったく協力するつもりはないようだ。


 私たちの前を人ごみをかき分けながら進む青年の表情は、本人の頭蓋よりも更に重たそうなゴーグルで隠されてはいたが、疲労に歪んでいたに違いなかった。


「手早く頼む。人手が足りていないもので」


「もちろんです。それから我々だけで彼と話がしたいので、配置を戻していただいて構いません」


「当然だ。リント委員の命でなければ、こんな変な特捜班ごとき......!」


「我々は課ですよ」


「ああそうだ、課だった。ええと、課長殿」


 会議場は各階の床にくり抜かれた円形の天窓が何層にも重なって、採光窓から降りた神々しく白く輝くベールを演出していた。それでいて、追従型の自走テーブルを従えた企業代表者らの足元から伸びる影の向きや長さは、てんでバラバラだった。昨夜家に帰れなかった解析官たちの休憩所と化した記者ブース裏を通り抜けて、非常灯だけを頼りに果てなく続く鉄階段を降りていく。薄い壁の向こうでは民間企業の代表たちがよく響く声で情報を共有しあっていた。中には三大テックのバスキュラー社開発顧問と呼ばれている男もいた。そういえば、ウバラの話ではここにケベデも来ているはずだった。ロビンも同じことを思い出した様で、私の方を見て小さく頷く。


「それで、彼の拘束拳銃は?」


「ああ、確認したら、便器に落として壊れたと。本部が預かっていた」


「便器に?」


「注意はされるだろうが、まあ適切な処置だった」


 青年が布に包まれたハンドガンを差し出してきたが、受け取ろうとした手が意思に反する様に宙で固まった。隣でため息をついたロビンが、摩擦テープが小汚くめくれていたグリップを躊躇いもせずに握りしめた。


「彼は今、代替品を?」


「おたくと違って予備はいくらでもあるんだ。未登録なのは、彼が保安局員ではないから。簡単な推理じゃないか」


 階段の各踊り場では、1課の解析官が露商のように逆探知機を床に広げて、壁越しに警戒の目を光らせている。これだけの重要人物が揃っているのだから、保安局が盗聴を警戒するのは当然だった。いかに人間の理性を補強するFWであれ、それを仕事にしているものに対してはやはり脆弱なのだ。それを受容し、一定程度の犯罪が存在することに対して健全な民主主義を見出している、デュルケム的で歪な治安維持体制がまさに目の前で広がっている。彼らに言わせれば暴動だって当然に起こりうる。


 もしエドメが何も口を割らなかったら。


 捜査は煽動犯、あるいは宇宙人の存在すら怪しい段階に逆戻りだ。レーダー号の真相も、ゾフィーの怪文書の解読も、私がそれらを追求する機会は失われるだろう。しかし、もしそうなったとしてもこの社会でおそらく誰ひとり困りはしないのだ。


 連続する暴動の食い止めは、煽動犯の逮捕ではなく、民主的な革命という名のもとで行われる権威継承によってたやすく実現されるのだろう。保安局の捜査能力に不信が少々付き纏うかもしれないが、現行の精神場理論に傷がつくこともない。煽動犯の目的は知らないが、暴動という手段を選んだ人物だ。しばらくは声を潜めるに違いない。唯一完全に職を失うのは、散々物理心理学を道具同然に使役してきた政治家たちだろうか。今、そいつらの命に下っている自分を振り返って虚しくなる。


「失礼」


 突然、踊り場でしゃがみ込んでいた1人の解析官が私の前に立ちはだかり、大量の光ファイバーがぶら下がった手で肩を乱暴に掴んだ。


「なんだ?」


 私よりも早く、ロビンがコートの襟を広げて識別子を見せつける。


「よしておけ。このお方は保安局5課長だ」


 案内の青年がなだめると、解析官は後ろに下がって道を開けた。


「申し訳ありません。ゴミが付いていたもので」


 私は手を差し出し、それを受け取った。しわくちゃに握りつぶされた、ただの小さな光沢紙の一切れだった。それをポケットにしまい、私たちはさらに深部へと進んだ。




 エドメ警部補は議場から最も遠い、ドローン充電施設の入口を警備していた。見たところ彼のいるフロアに他の警察職員はいない。技能総局所有のドローンと、1課の予備隊員が3名、それぞれ階段と昇降機の前に直立している。予備隊員の方は、私たちが到着したと同時に青年に連れられて上階へ戻って行った。


 背筋の伸びた初老の男性。古典的に整えられた髭がその几帳面さを物語っている。彼はずっと目の端で、去っていく予備隊員の防弾着で保護された背中をちらちらと追っていた。私たちが目の前で立ち止まるとは思っても見なかったのか、声をかけると人を知らないウサギの様に後退りした。彼はそのまま壁に手をつきながら、腰のホルスターに手を伸ばす。


「エドメ警部補、その腰の拳銃を見せていただいても?」


「失礼ですが、どなたです?」


 私が識別子を提示している間、ロビンが充電室の横開きの鉄ドアを開けた。赤色灯と共にブザーが鳴り、冷たい空気が首筋を掠めた。私はエドメの肩に手を置き、部屋の中へ誘導する。彼の歩き方はブリキ人形のようだったが、私の意図に素直に従ってくれた。


「入隊時の射撃試験の成績は?」


「4.6ポイントですが。これは、なにかの捜査ですか?」


「優秀なのね。はい、これあなたの銃よ。動くか確かめて」


 私は彼が手渡してきたバスキュラー製のそれを内ポケットに突っ込んで、ロビンから渡されたエドメの拳銃を差し出した。エドメが困惑しつつも受け取ったのを見て、私はすぐに手を引いた。


 エドメは装弾されていないことを確かめると、慣れた手つきで可動部の動きを確かめていく。一度ホルスターに挿し込むと、彼の手を認識した認証装置が起動して銃身が赤いラインを浮かび上がらせた。保安局が管理するバスキュラーの拘束銃ではなく、警察組織で人気のクオークルシリーズのテーザーガンだった。


「ええ。使えるようですね」


「義体制圧システムは?」


 エドメはカートリッジを外して爪で先を弾き、飛び出してきた銅色の長針を2本抜き出した。グリップの裏にあった突起を押すと、軽快な音と共にバネの働きによって銃身が指一本分長くなり、バッテリーの残量と装填された弾丸の識別コードを示す数字がグローブのパネルに現れた。ガスカートリッジをはめ込もうとして、エドメの手が止まった。かかった時間は3秒と少しと言ったところか。


「許可をくださいますか?」


「許可がいるの?」


「ご存知かと思っていましたが、1年前の事故をきっかけに安全装置が標準装備されるようになりましたので。上官の許可が無ければトリガーは固まったままなのですよ」


「分かった。しまってちょうだい。ロビン?」


「ああ、正当防衛にしては、再装填に十分に手間がかかっているように見えたな」


「エドメ警部補、あなたの主観でかまわないわ。その特殊弾の殺傷性について一体どれほど認識しているか教えて」


 エドメは警備ドローンが格納されている壁にもたれかかり、金網越しに階下の様子を覗き見た。そしてまるで誰かに助けを求めるかのように充電室の端から端まで見渡してから、落ち着いた様子で答えた。


「ええ。プログラムで散々外部記憶に刷り込まれましたから、私の主観と呼べるかどうかは分かりませんが。ああ、同僚に聞いても答えはまったく同じだという意味です。チップが体内に残留することによる中毒を警戒せよ。加えて至近距離で発射された拘束弾は火薬銃のそれと同等の威力をもつ」


 そう言って私を見上げた瞳は、作り物のようでありながら鈍い光を放っていた。


「やはり、あなたがたは不憫なミケルさんのことでいらしたんですね。言われて思い出したが、懐かしい事件だ」


「不憫な? あなたが被害者についてなにをご存知だったのかはこれから観させていただきます。エドメ警部補、内務総局監査室の許可に基づき、外部記憶装置解剖および聴取への協力を命じます」


 彼は銃をホルスターにしまうことなく、先ほどからずっと手の上で弄んでいた。平然と、ただその様子はどこか悟りを開いていたように私には見えたが、言葉を一つ一つ丁寧に置いていく。


「誰に言われて来たのか知らないが、これ以上は辞めた方がいいですよ。それに、あなたはマフィアの手先に過ぎない。私は真の正義を執行したに過ぎない」


 語気が強まった。私の反応は遅かった。


 私の背を突然押しのけたロビンが、エドメの腕に手を回して、ゴム張りの壁に押さえつけようとしたが、エドメは見事にそれを振り解いた。私は慌てて爪を立てて彼の首を掴んだ。私の義手は彼の義手に敵わなかった。彼の精神は私の想定を遥かに超えて誰かのものになっていた。ロビンが今までの醜態からは想像できない速さで腰に手を伸ばす。


「私を撃つのか? 私を撃てばいい。そうすれば真実はあなたを引き摺り込もうとするだろう!」 


 エドメがロビンに組みかかった。吹き抜けの中で反響して、耳障りの悪い衝撃音が脳を突く。エドメを引き剥がした時、彼の手が私のジャケットの中に押し込まれた。私はそれを反射的に掴んだ。


「はなせ、博士!」


 ロビンの叫びは間に合わなかった。私の顎下にひんやりとした針が突き立てられたと感じたときにはもう既に、耳の下を鋸で斬られたかのような痛みが襲っていた。一瞬呼吸が奪われ、視界が白濁する。重力がだんだん背の方にかかるのを感じる。頭を金網に打ちつけると同時に、自衛モジュールが展開して左腕の感覚が無くなった。視界の隅で白煙を火花が照らした。しかし16発の滑走弾は全て天井に吊るされたドローンの脚部を破壊して役を終えた。腕から自衛用の警棒を生やしたエドメから逃れるように床を転がる。ペグが緊急起動し、左の視界が座標点と3次元グラフによって簡略化された映像に切り替わった。


--マスターの錯乱を感知しました。5分間興奮レベルを上昇させます。任務を完遂してください--


 頭が朦朧とする中立ち上がると、隣で入れ替わるようにロビンが膝を床についた。


「私を撃てばいい!哀れなミケルよ。私を撃てば。真実はあなたを引き摺り込む。私は過去しか見ていないが、これは必然だ。おまえは夢だ。夢だ!」


 エドメの手はロビンの拳銃を握りしめていた。彼は意味をなさない言葉を繰り返しながら、敵味方関係なく催涙ガスを撒き散らすドローンを押し倒し、後退りして部屋から出ていった。


 ロビンの元に駆け寄る。コートの裾がぬらぬらと非常灯の灯りを映していた。


「追え!」


 傷を見ようと伸ばした手は乱暴に振り払われた。


「絶対に逃すな、絶対に死なせるな」


 私の視野に研究推進部の構造が映る。ロビンが保険に仕掛けていた発信機を追尾して、ペグが警備ドローンの映像の共有を始めた。ペグに指示を出し、通路の貨物センサーを起動させ、防火扉を閉じさせる。痛みはもうなかった。誰よりも早く、私は彼を撃つ。

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