第32話 強化魔法、五段階。

 * * * *


 二人がぶつかり合った衝撃で、空気が破裂した。


(……くッ、重いッ)


 白髪の魔族は手に伝わる痺れに歯を食いしばり、ナイフを一度押し込んで、そして後ろに飛んだ。


 崖ギリギリのところで、体勢を立て直す。


「見掛け倒しも、ここまでくると見事なものだ」


 そう言いながらも、内心では警戒を強めた。


 目の前のこの男。ただの人間の普通の男。

 妙なやつだ。

 その手には、濃藍色のどこか仄暗さを感じさせる剣が持たれている。


 見た目だけは禍々しいが、中身は空っぽだと思った。

 剣に闘気が込められていない。一流の武器はパッと見ただけで、その凄さが分かる。それが例え鞘に収められている状態だとしても、直感的に判断することができる。


 しかしこの男が握っている武器には、それがない。

 何も感じない。凄みも、何も。

 最初、それを見た時には、ただの玩具だと思った。

 けれど、不自然なほどに何も感じないこの剣は、何かがおかしい。


 そしてこの男も、何かがおかしい。


(魔族のことも知っていた……)


 こいつは、普通じゃない。


 白髪の魔族は、改めて目の前の男の警戒を強めることにした。


 漆黒の魔力が魔族の左手に灯る。瞬間、その手にはナイフが出現していた。

 右手のナイフと、左手のナイフ。


「……その首、かき切ってやるッ」


 地面を蹴る。そして、瞬く間のうちに接近。


(捉えたッ)


 あっという間に男の懐に入り込んだ白髪の魔族は、逆手に持った右手のナイフで、男の首を貫いた。


 ガキンッ。


「なにッ」


 鈍い感触。

 すんでのところで、男の剣の刀身に防がれており、決定打にはならなかった。


 けれど、こちらにはナイフがもう一本ある。

 右手のナイフを敵の刀身にぶつけた状態で、本命の左手のナイフを敵の脳髄へと叩き込む。


「チッ」


 避けられた。


 男は頭を後ろにのけぞらせることによって、突き出されたナイフを躱していた。


(けれど)


 魔族は笑った。

 その右脇に挟まれていたのは、3本目のナイフ。

 素早くそれを持ち替えると、再び攻撃を仕掛ける。


 狙いは、敵の手の甲。

 剣を握っているその場所に、抉るように突き刺す。


(チッ、また避けられた)


 男は武器を引き、その攻撃を避けていた。


 同時に後ろに飛ぶ二人。


 一瞬の攻防、しかし二人の間では数十秒にも渡って繰り広げられたように錯覚した。


「なかなかやるじゃないか」


「ッ。誰に向かってそんな口を聞いている」


 ここで男が、余裕そうにそんな煽るようなことを言ってきた。


 魔族は苛立った。


「身の程も知らぬ弱者が偉そうに」


 いつだってそうだ。


 弱者は嫌いだ。奴らは、虫以下の存在だ。


 才能のある強者に擦り寄り、まるで寄生虫のようにその恩恵にあやかろうとして、最後には群がって引きずり落とそうとしてくる。


 都合のいい時にばかり頼り、都合が悪くなったら手のひら返し。


 滑稽な連中だ。


 そしてこの世界には、そんな連中がわんさかといる。


 見るだけで、吐き気を催す。


 生きているだけ価値のない虫ケラ以下の存在だ。


 そして目の前のこの男も、それの同類だ。

 魔力は凡人よりも少しだけ高いようだが、才能ある者に比べればそんなものはないも同然。


 必死に足掻いてきたようだが、この世に存在する才能ある者の足元にも及ばない。


 どうやら自分の身の程を知らない愚か者のようだ。


 哀れで、可哀想な奴だ。


 笑えてくる。


「ククッ。本当に、可哀想なやつだ。そんなに悲惨な才能だと、生きるのも辛いだろう。私がすぐに楽にしてやるから、ありがたく思うんだな」


 そう言って、右手に持っていたナイフを投擲。狙いは敵の頭部。


 バシッとそれが受け止められる音がした。


 そして間髪入れず、男にナイフが襲いかかる。左の手に持っていたナイフ、隠し持っていたもう一本のナイフ。さらにもう一本。


「これも受け止められるかな?」


 まるで楽しむように言う魔族。


 パシパシパシと全てのナイフを受け止める男。


 両手を開けるため、どうやら先ほどまで握っていた剣は、鞘に戻したようだった。


 そして、受け止めたそのナイフをこちらに見せびらかすように、向けてきた。


 何か言いたそうな顔だ。


「貴様が言いたいことは分かるぞ。『自分の武器を手放して、大丈夫なのか?』と言ったところだろう。だが問題ない」


 次の瞬間、魔族の手の中には、無数のナイフが何本も握られていた。


「まだ隠し持っていたのか」


「残念、不正解だ」


 隠し持ってはいない。


 手始めに、右手に握っていた数本のナイフを再び投擲する魔族。

 そしてそれを先ほど受け止めたナイフを利用して、撃ち落とそうとしていた男だったが、その刹那、男の手の中にあったナイフが膨張し、爆発を引き起こしていた。


 炎に飲まれる男。


 そこにナイフを投擲。追加で投擲。さらに投擲。


 爆発が連鎖する。


 それでもナイフを投擲し続ける魔族。


「ふふっ。頼むから、これぐらいで死なないでくれよ。これぐらいで死なれたら、これ以上楽しめないからな」


 まあ、無理だろうけど。


 魔族は、憂さ晴らしも兼ねて、余分にナイフを投擲し、さらに爆発を誘発させていった。


 そして土煙が晴れた時、そこに立っていたのは、無傷の男だった。


「なにッ!?」


「どうした。もっと楽しませてくれよ」


 馬鹿な。おかしい。

 どうして、ダメージを負っていない。なぜ余裕そうに笑っている。


「く……ッ」


 再びナイフを投擲しようとした魔族だったが、やめた。

 ナイフの残数を気にしてやめたのではない。ナイフなら無数に出すことができる。

 なぜなら魔族はその肉体から武器を生み出すことが可能だからだ。魔力も肉体の一部に含まれる。

 つまり魔力を凝固させれば、ナイフを無数に量産することが可能だ。


 そして、この魔族はナイフの扱いには自信があった。


 それはナイフだけに止まらない。


「貴様を剣の錆にしてくれる」


 魔族が構えたのは、歪曲している剣シャムシール。


 ここからが本当の戦いだ。


 刹那、再び衝突が巻き起こり、剣と剣がぶつかる音が辺りに鳴り響いた。


 そしてそれが交わされていく最中、魔族は気づいた。


(こいつの剣の中に……闘気が生み出され始めているッ)


「そろそろ本気を出してもいい頃合いかもしれない」


(……今まで本気ではなかったのかッ!?)


 魔族はたまらずに、剣をぶつけ、その反動で後ろに飛んだ。

 この戦い方が癖だった。

 軽やかな身のこなし。ヒットアンドアウェイで、敵を翻弄する。それが昔からの……そう、思い出したくもないあの頃からの戦い方だ。


 今では避けていたその戦い方を、今回は無意識のうちに使う羽目になっていた。


 そんな魔族の目の前で、これまで一度も感じたことのない何かが起きようとしていた。


「まずは、魔力の流れるところから、お見せしようか」


 まるで自慢するかのように、剣をこちらによく見えるように掲げ、スッと魔力のようなものを剣に流したその男。


 瞬間、濃藍色の剣の表面に、赤い血のような文様が浮かんでいた。


 その刹那、ブワッと男の剣から魔力が溢れ、途轍のないほどの圧力が場を包み込んだ。


「……うっ」


(……なんだこの力はッ)


 そして、男はさらに魔力を剣に流し続けていた。


 その度に、光を帯びる剣。計5回。


 そして、光が集約された後に残ったのは、紅と蒼の二色の文様だった。


「とりあえず、今日は五段階までにしておくか」


「う……ッ!」


 刹那、まるで溜まっていた圧が破裂するような衝撃が、この場に襲いかかってきた。


 魔族はその衝撃に飛ばされないように、足を踏んばるだけで精一杯だった。


 こいつのどこにこんな力があったんだ。


 魔族は歯を食いしばって衝撃に耐えながら、目を開けるのも難しい中で敵を睨んだ。



 ーーその時、背後に殺気を感じた。



「なッ」


 振り下ろされる鋭い刀身。


 背中に走る殺傷の跡。痛みを感じながら、首だけで振り返ると、そこにはもう一人、新たに現れた者の姿があった。


 その身を龍の装備に包んでおり、龍の素材で作られた武器を持っている人物。


「!? ……貴様は龍殺しッ」


 どこから現れたのだろうかその龍殺しは、いつの間にか自分の背後を取っていて、そして自分の体に傷をつけていた。


「私の後ろに立ったものはッ皆ッ死んできたッ」


 魔族は怒鳴るように言いながら、龍殺しから距離を取る。


 後ろを取られることは、何よりも嫌いだ。


「こっちも行き止まりだ」


「!?」


 しかし、その背後にあったのは、濃藍色の剣を握っている先ほどまで戦っていた男の姿。


 挟まれた。


「……ッ、貴様ら、そう言うことだったのかッ」


 魔族は唇を噛んだ。


 そう考えると、全てに納得がいく。


 魔族のことを知っている男。


 龍を狩り続ける龍殺し。


 龍殺しが、この男に魔族のことを伝えたのだろう。


 なんせ、龍殺しは魔族の邪魔をしている存在だ。


 龍殺しのせいで、元々希少な龍の血が、さらに手に入りにくくなっている。ここ最近は全く手に入っていない。


「……っ、少し出遅れた」


 と、その龍殺しは、白髪の魔族に剣を向けながら、その後ろにいる男を睨んでいるような気もした。


(……無理だ。二人同時では、勝てない。……こうなったら)


 魔族は瞬時に諦めることにした。


 セリカ・ロードライト。ジュリア・ルピナス。


 とりあえずの目的は、果たしている。


「二人とも、瓦礫に埋もれて死んでしまえ」


「「……っ」」


 瞬間、足場が崩壊し、崖が崩れた。

 魔族は土煙に紛れこの場から退避し、男と龍殺しはそれに巻き込まれ、瓦礫の中へと押し潰されたのだった。


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