第33話 死ぬのは救いだ。


 龍殺しさんが来たせいで、魔族が逃げてしまった。


「……そっちがいつまでもトドメを刺さないせいだ」


 と、崩れた崖の上に立っている龍殺しさんは、俺のせいだと言ってくる。俺たちは、無事に崖の崩落を回避していたのだ。


 けれど、龍殺しさんが言っていることも正解だ。そして龍殺しさんが来てくれてよかった。あのままだったら魔族にトドメを刺してしまっていたかもしれない。

 あまりにもこの剣の使い心地が良かったものだから、思わず目的を忘れてしまうところだった。


 俺の目的は、あの魔族を殺すことではない。


 あの魔族は、貴重なサンプルだ。

 あの魔族になら、少し前から家で熟成させていた『黒龍の血』を使えるかもしれない。


 だから、死なせてなるものか。


「俺は追うつもりだけど、そっちはどうだろう」


「……遠慮しておく」


 こちらを見ずに答える龍殺しさん。


 だろうと思った。


 どうもこの龍殺しさんは、活動に制限があるようなのだ。

 そして、その龍殺しさんの視線の先。そこには、王都付近の平原で、なおも魔力を吹き出しているセリカ・ロードライトとジュリア・ルピナスの姿がある。


 その後、俺はこの場を後にして、魔族を追うことにした。



 * * * *



「……さっきの男が敵だったら、王都はすぐにでも壊滅させられるかもしれない」


 そして一人、崖の上に佇んでいる龍殺しは、魔族を追ってこの場から去った男のことを考え、敵でないことを祈るばかりだった。




 **************************************



「あははははッ! やった! やったぞ! あの男も龍殺しも、出し抜いてやったッ!」


 目にも止まらぬ速さで駆け抜けながら、極度の緊張から解放された魔族が、その高揚感のままに高笑いをあげていた。


 あの男も、龍殺しも、今頃瓦礫に潰されて、自分のことを見失っていることだろう。


 死んでいるとまでは思わない。


 けれど、優勢から一転して、地獄に叩き落とされたあの二人。


 その心情を考えると、これほど愉快なことはない。


「ざまあみろッ! ざまあみろッ! ざまあみろッ! あははははッ!」


 広大な平原の中を走りながら、魔族はそれからも笑い続けていた。


 その瞬間だった。


「!?」


 背後に、気配を感じた。


 まさか、と思った。


「ま、まさか……!」


 そんなわけがないと思いつつ、笑みを瞬時に引っ込めた魔族は、走りながら止まることなく背後を振り返ってみた。


「ッ!? なんで貴様がここにいるんだッ」


 怖気が走るその感覚に、ビクッとした。


 なんせ……いる。


 奴がいる。


 先ほど龍殺しと一緒に崖の崩落に巻き込まれたはずのあの男が、立っていたのだ。


 自分の後ろ。


 だいぶ走って逃げた自分の、背後に。


 しかも、不気味だったのはそれだけではない。男は動いていない。ただ立っているだけだ。何もない平原のど真ん中に立っていて、その手には剣が握られているが、何をするでもなく、走って逃げるこちらの方を見ながら真顔で立っている。


(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いッ)


 先程まで笑っていた魔族は、もう笑いを浮かべる余裕なんてなかった。


(……見たところ龍殺しは追ってきてはいない。あの男を引き離せば、私の勝ちだッ)


 そうして魔族は懐から木の実を取り出した。これは代々妖精族に伝わる木の実。口にすると俊敏性を上げることができる。


 そこに強化魔法で脚力を強化して、これまでの二倍、いや三倍をも超えるスピードで、逃走を図ることにした。


 光の速さで移動していることで、周囲の景色が瞬く間のうちに後ろへと流れていく。


 そして、十分に駆け抜けた所で、後ろを振り返ってみた。


(……ここまでくれば、奴を必ず引き離せたはずッ)


 しかし、奴はそこにいた。


「ッ!?」


 変わらずに、動くこともなく立ったまま、歩こうとも走ろうともせずに、剣を手にしてこっちを見ているだけの男。


 心底ゾッとした。


 あれだけ、走って逃げたのにも関わらず、まだ立っている。


 なぜ、引き離せないのだろうか。


 だから。それをさらに撒くために、魔族は進路を変え、遠くに見えた森へと入ることにした。


 木々が鬱蒼と生い茂ってい深い森。森で生まれ、森で育ってきた彼女にとって、ここは都合の良い場所だった。

 ただの人間のあの男は、木々を避け、草や植物の蔓に足を取られないように気をつけながら、数日前に雨が降ったのだろう、ぬかるむ土にも注意しながら追ってこないといけないのだ。


 これならば容易く引き離れる。


 そして、振り返ってみると……。


「!?」


 また、いた。


 奴がそこに立っていた……。


「貴様ッ!」


 魔族は森の中で足を踏み縛り、瞬時に振り向いて構えた。


「どこまでもしぶといやつだッ。ここで始末してやる」


 瞬間、魔族の姿が一瞬にして消える。男は森の中に佇んでおり、その髪の一部がまるで切り裂かれたように、地面へと落ちた。


「捉えられるものなら、捉えてみろ」


 耳を澄ませると、微かに木々が揺れる音が森の中に溶けていた。


 木々の枝や幹を蹴り、目にも止まらぬ速さで縦横無尽に移動する魔族が、全方向から男の首を狙い始めたのだ。


 前から、後ろから、上から、斜めから。


 高速で動き回る魔族の姿を、誰も捉えることはできず、いわばここは檻だ。獲物をじっくりとなぶり殺すための死刑場。


「ぎゃははは! ぎゃははは! グフッ」


 その魔族の顔面が、鷲掴みされていた。


 背後からナイフで襲い掛かろうとした瞬間、そこを狙って男が素手で魔族の顔を鷲掴みしたのだ。


「おっと、すまない。つい捉えてしまった」


「き、貴様ッ!」


 魔族は男の体を蹴って離れると、手に持っていたナイフを投げてそれを膨張させ、爆発を起こし、その爆破に紛れて、この場から逃げることにした。


(まともに戦っても、この男には勝てない……)


 認めたくはない。

 けれど、もう認めるしかない。


 そして、この男からは逃げられないということも薄々感じ始めていた……。


「避けれるかな? 避けれないのなら、そのまま串刺しだ」


(……仕掛けてくるッ)


 逃走を図る魔族が走りながら振り返ると、背後で剣を逆手に構え、こちらに投擲してこようとする男の姿があった。


 剣を投げるつもりのようだ。


(バカめッ、避ければこちらの勝ちだッ)


 なんせ、奴の武器はあの剣だけだ。投げられたそれを避けてしばえばあいつは丸腰。さらに投げられた剣をこちらが拾うことができれば、むしろ優位に立てる。


「そらよッ」


(来るッ!)


 ビュン、と魔族は風が突き抜けたのを感じ、一瞬息をすることもできなくなってしまった。


「ッ!?」


 ……死んだかと思った。


 そう思うぐらい、敵が投擲した剣の速度は早すぎて、目で捉えることもできず、気づいた時には魔族の頬すれすれを通過していったのだ。


(危なかった……)


 もう一ミリずれていたら、自分は死んでいた。


 けれど。


「バカな奴だッ。これで貴様は武器を失った。剣を投げた貴様は、今や丸腰ーー」


「さあ。二投目を行くぞ」


「ッ!?」


 ビュンッ。


 魔族の脇の下を物凄い早さの何かが、通過していた。


「また外れか。じゃあ今度は三投目だな」


 そして再び構える男が持っているのは、先程投げられたのと同じ剣。


「き、貴様ッ、なぜ投げた剣を持っているッ」


 ビュンッ。


 そして目にも止まらぬ早さで、魔族の頭部ギリギリを通過したその剣は、まるで持ち主へと戻るようにフッと消滅しており、再び男の手に舞い戻っていた。


「この剣は特別性だから、ちゃんと戻ってきてくれるんだ」


 まるで剣を自慢するように、再び投擲をしようとしている男。


「バカな……そんなの……魔族以上ではないか……」


 これには魔族も、絶句するしかなかった。


 そんな剣、聞いたことがない。


 魔族になれば、自らの魔力から武器を無数に生み出すことができる。それをこの男は人間の身でありながら、似たようなことをしている。


 この男のどこそんな力があるのか。


 それとも持っている剣が、ただ特殊なだけなのか。


 もう、魔族の頭では、考えられなくなってしまった。


 そして、男は再び剣を投擲してこようとしている。


「こ、こうなったら消しとばすしかない……ッ」


 魔族の全身から、禍々しい魔力が漏れ始める。そして前に向けたその手のひらに集ったのは、全ての魔力を込めた一撃。瞬時に膨れ上がり、驚異的な圧力がこの場を支配する。


 避けることは無意味だ。


 たとえ避けたとしても、この辺りはその余波で全て消失することになっている。


 そして魔族はためらうことなく、それを男へと放った。男は、手に持っていた剣を投擲し、瞬間、爆発で視界が閉ざされるのだった。



 * * * * * * * * * *



 光も届かない地下の密室に、四つの気配が集まっていた。


「あははっ! ざまあみろッ! 今度こそ、ついに逃げ切れたぞッ」


「「「「ッ」」」」


 そこに疲れ果てた状態で帰ってきたのは、白髪の魔族だった。

 男から逃げ切った魔族は、仲間の元へと戻ってくることができたのだ。


 しかし。


 その魔族の姿を見た瞬間……四つの気配は苦い顔をした。


「チッ、間抜けめッ」


 そう言うと、そのうちの一人が舌打ちをしながら、腰から剣を抜いた。

 そして近づき、白髪の魔族の心臓を容赦なく貫いた。


「グボォッ」


(ど、どうして……)


 グサリという鈍い音が響く。


 白髪の魔族は口から血を吐き、服の心臓部分が血に染まっていくのを感じながら、どうして自分が刺されたのか分からなかった。


「……敵はどうやら範囲の広い探知が使えるようだ。ここはもうバレているはずだ。捨てるぞ」


 そして四つの気配は、この場を去っていた。


 血を流し地面に倒れる魔族を残して、だ。


 彼らと、自分は仲間だった。


 なのに……容易く切り捨てられた。


 白髪の魔族の最期は、実にあっけないものだった。


 そして、天井が揺れ、そのまま崩れ落ちてきた。

 仲間たちは痕跡を残さないように、この場所ごと崩落させ、証拠隠滅を図ることにしたようだった。


 白髪の魔族は逃げることもできず、そのまま瓦礫の下敷きになった。


 瓦礫の下から血溜まりが広がった。


 ……あの時も、似たようなものだったと思い出した。



 ーー『悪く思うな。もしお前がダークエルフではなく、普通のエルフだったならこうはならなかったのかもしれねえな?』ーー


 仲間だと思っていたものたちに裏切られた過去。


 力になりたいと思った。自分が周りよりも才能で優っているということは、昔から知っていた。

 だから、その分、手助けができればいいと思っていた。


 でも、裏切られた。


 そして悟った。


 才能のない弱者に手を差し伸べても、助長を促すだけ。奴らはいつか裏切るゴミの集まりだ。この世界は多数のそういう奴らで形成されている薄汚いゴミのような世界だ。


 だから、自分と同じ、才能を持って、同じような経験をしてきた者たちの仲間入りを果たし、魔族へとなれたことで、やっと自分の居場所を見つけられたと思った。



 なのに……これだ。



(……っ)


 最初から、自分の居場所なんてどこにもなかった。


 簡単に、始末される。


 彼らは彼らで損得勘定でしか動かない。使えなければただのゴミ。ただそれだけのことだったのだ。


(私も弱者と同じゴミだったんだ……)


 瓦礫の下、全身が潰れる痛みに悲鳴をあげることもできないまま、魔族の目から涙が溢れた。


(早く、死にたい……)


 魔族は死を望んだ。


 死ねば、何も考えなくてよくなる。楽になれる。死ぬことは救いだ。


 しかし元々の種族だったエルフから魔族に変化したその体は、なかなか死ぬことを許してくれない。


 心臓を貫かれても、全身が潰れても、意識ははっきりと残っているし、痛みが麻痺することもなく、むしろはっきりと伝わってくる。


 まるで、地獄だった。


 そんな暗闇に閉ざされた魔族の瞳が、光に照らされた気がした。


 瓦礫がどかされる音が聞こえる気がする。


 そして、程なくして、魔族の肉体は瓦礫の中から引っ張り出されていた。


「き、きさまは……」


 涙の浮かぶ目で、魔族は自分を掘り起こした人物の姿を見た。


 それは人間の男だった。


 王都の崖の上で武器を交えたあの男。


 ここまで自分を追ってきていたあの男。


「鬼ごっこの次は、かくれんぼだったか」


 そして、そんなふざけたことを抜かす男。


「は……はは……っ」


 魔族は思わず笑っていた。ムカつく男だ。


 けれど、なぜか今はそれが無性に可笑しかった。


「……ころして……」


 そして、男にこちらの願いを聞く義理はないことを承知で、魔族はそれを願っていた。


「……苦しい……死にたい……。でも、まだ死ねない……。こんなに苦しいのなら、魔族になんてならなきゃよかった……」


「死にたいのに死ねないのは、苦しいもんな」


 男は同情してくれた。


「俺もそうだから分かるよ。なんたってこの世界に来た時に、女神様に死ねない体にされたんだ」


 そんな変な冗談をまるで愚痴のように語っていた。


 そして男は懐から真っ黒な血で満たされた容器を取り出すと、魔族の口元へと近づけた。


「これを飲めば、楽になれるよ」


「ありがとう……」


 魔族は安らかな笑みを浮かべて、そっと目を閉じるのだった。


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