第15話 ダークパールの輝き

 * * * * * * * *


 上級悪魔のデーモンが地面をえぐりながら飛ばされていく。


「やったの……?」


「いや、まだた」


 そう言って、彼は間髪入れず追撃するために、地を蹴ってこの場からいなくなっていた。


 ……見えなかった。

 銀髪の少女オリビアはその速さに、思わず言葉を失ってしまう。


 さらに、気づけば周囲にいたレッサーデーモンたちが蹴散らされていた。彼がこの場を離れる際に、全滅させて行ったのだと思われる。あの一瞬で、倒してくれていたのだ。


「……さっきみたいに、レッサーデーモンが追加で出てくる気配もないわ」


 それならばと、オリビアも彼を追って、元凶の元へと向かうことにした。


 ……それにしても、彼は一体何者なのだろうか。


 臆せずキングデーモンに立ち向かっている彼。

 先程の動き、捉えることはできなかった。

 一瞬だ。


 そして彼は怒っていた。


「きっと、街に被害を出そうと企てているあのキングデーモンのことが、彼も許せないのね……」


 それは自分も同じ気持ちだ。


 奴は言っていた。『三年前、スタンピードを起こすつもりだった』と。

 そして『三年の歳月をかけて、今またあの恐怖を再び』と。


 到底見過ごすことはできない。


「彼も、それが許せなくて、キングデーモンを食い止めようとしてくれているのよね」


 心強い味方だ。


 ほどなくして、オリビアもその彼が敵を追って行った場所の近くまでたどり着くことができた。


 しかし。


「う……っ。近づけない……っ」


 衝撃と、その余波。


 真っ赤な炎と、爆ぜる地面。


 熱風が肌を撫で、焦げ臭さを感じる。


 その周囲を囲むように、青色の稲妻が迸っている。


 戦っているのだ。

 彼とキングデーモンが。


 その死闘は、既に苛烈を極めていた。


『貴様だけは許しておけぬ。絶対になッ』


 破裂音。

 彼の拳と敵の拳が衝突していた。


『その力、どうやって身につけた。貴様、もしや魔族かッ』


「魔族なんかと一緒にするな。それにしても頑丈な奴だ。硬さだけなら黒龍以上だ。これならいい素材が採れそうだ」


『なんだとッ』


 彼はキングデーモンに、素材を見る目を向けていた。


「わざわざ素材の方から、出てきてくれるとは」


『クク……、何を言っているのか分からんが、所詮この程度かッ』


 敵を中心に暴風が巻き起こる。

 彼はそれによって一歩後ろに下がることになった。


「まさか、あのキングデーモン……力を隠しているというの?」


 不敵に笑う敵の姿に、オリビアがその気配を感じた時だった。


 敵の魔力が急激に膨れ上がった。


 ただでさえ強靭だった肉体が倍以上に膨れ上がり、背中には漆黒の翼が生えていた。


 その姿はまさに悪魔。


 手には紅黒の三叉の槍『トライデントスピア』。


『貴様も剣を抜くがいい。さもなくば、我の魔具によって一瞬でその命を散らすことになるだろう』


「随分な自信だな」


『クク……。貴様には借りがある。三年分の苦しみを与える。死後も苦しみ抜くがいい。貴様には、未来はない』


 刹那、敵の槍が彼の腹部を貫いた。

 けれど、彼は僅かに交わし、三叉の間の部分に逃れることによって、鋭利な先端から回避したようだった。


 それでも彼が剣を抜くことはなかった。


『まだ、抜かぬか。舐め腐りおって』


 一度、槍を引いた敵が、再度槍を突き刺す。彼はそれを僅かな動きだけで躱す。


「いけないわ……」


 オリビアは気づいた。


 彼の周囲に蔓延している漆黒の霧の存在に。

 あれは、もしや、瘴気ーー。

 有害であり、僅かでも体内に入り込んでしまえば、人体に悪影響が出て、やがて死に至る。


「あのままじゃ、彼が危ないっ」


 オリビアは剣を握り、彼を救おうとする。


 けれど。


「どうした。抜かせてみろよ」


『……貴様、なぜ瘴気にかかっていないッ!?』


 蔓延する瘴気を、至近距離で吸い込んでいるはずなのに。

 何事もないように、平気そうな不敵の笑みを浮かべている彼。


『三年前のあの時も、貴様は瘴気で満ちているダンジョンへと足を踏み入れた。誰も入れぬはずなのにッ』


 キングデーモンが焦ったように、再度槍を突き刺した。


 しかし、その瞬間、タイミングを合わせたように蹴り上げる彼。


 威力があったのだろう。

 その蹴りを受けたことにより、敵の手から槍が離され、宙へと舞う。それが一度、二度、三度……勢いのままに回転し、重力に従って落ちてきた。


 彼は落ちてきたその槍の握り手の部分を、受け止めていた。


「なかなかに、いい武器じゃないか」


『き、貴様ッ。だが、それだけだと思うなよッ』


 一歩、後ろに下がるキングデーモン。


 刹那、その血のように真っ赤に充血した眼から、彼に向かって線が迸った。


 彼はそれを槍で受け止める。


 瞬間、大爆発が巻き起こった。

 膨大な魔力を伴う光束だったのだ。


 土煙が巻き起こる。


 次に晴れた時、彼の手にあった槍は跡形もなく消し飛んでいた。


『ほう……? 貴様は無事だったか』


 再び、眼を光らせるキングデーモン。


『だが、これだけとは思うなよ。その気になれば、このような事も可能だ』


 地面が揺れ、火柱が敵の周囲にいくつも立ち上がる。

 熱気が場を支配して、離れたところにいるオリビアまで炎のすぐそばにいるかのように錯覚した。


『警告する。今のうちに懺悔しておく事だ』


「誰にだ」


『無論、我にだ』


「だったら特別にこちらも忠告してあげよう。それは撃たない方がいい。撃ったら、お前が死ぬことになる」


『我が死ぬ? 貴様今、我が死ぬと言ったか……?』


 くつくつと堪えるように笑うキングデーモンだったが、とうとう我慢できなくなったようだった。


『傑作だッ。この後に及んで、そのような戯言を吐くとは。さては貴様、馬鹿であろう?』


 死ぬのは貴様だ。死ね、とキングデーモンは躊躇う事なく火柱を操った。


 瞬間、火柱は彼の方へと向けられる。よって、彼は炎に包まれていた。


 目玉が溶け、皮膚が焼け、骨も残らず消滅する。後に残る消し炭までも、その威力の前で消滅してしまう。

 ……かに思えたのだが。


「!」


 その時、オリビアは見た。


 火柱が反転し、キングデーモン自身へと跳ね返っていく光景を。


『なにッ!? ぐあーーーー』


 悲鳴は聞こえない。その業火に飲み込まれてしまったからだ。


「どうやら馬鹿はお前だったようだ」


 そう余裕そうに言ったのは彼だった。


 炎に飲まれた敵の目の前で、涼しそうな顔をしている。その周囲にはうっすらと透明な膜のようなものが展開されていた。


 それは、反射魔術。

 相手の魔法をそのまま跳ね返すカウンターである。


「せっかく忠告してあげたのに馬鹿なやつだ。わざわざ、自滅しようとは。まだ生きているだろうか。キングサーモンさん」


『……我はキングデーモンだッ』


 ブワッと炎が薙ぎ払われた。

 そこにいたのは、息も絶え絶えになっている上級悪魔の姿。


 まだ生きていたようだ。


 しかし、本来、悪魔の中でも高位に存在するその悪魔が、今は赤子のように容易く翻弄されている。


「彼はそこまで強いの……」


 オリビアもその強さに戦慄する。


 上級悪魔がまるで相手になっていない。彼の強さはまさに悪魔的な強さがある。


 そんな彼はもう終わらせると言わんばかりに、地を蹴ると、一瞬にして敵の懐へと潜り込み、最初そうしたように拳を叩き込んでいた。


『ぐあァッ!』


 そして吹き飛ぶ敵。彼は、先回りして、やってきたその頭部に蹴りを叩き込む。


 再び、飛ばされるキングデーモン。


 なんとか体勢を立て直し、反撃に打って出るも、それを軽くいなし、彼は再びその頭部に蹴りを入れた。


「さて」


 彼の手のひらに、眩い稲妻が迸った。彼はその手で、敵の懐を躊躇うことなく貫いた。


 瞬間、敵は体内から蹂躙されるように、もがき苦しみながら地面を転がった。


(勝てるわ。このままいけば、間違いなく彼が勝てる)


 オリビアはそう確信した。


 どうやっても、敵に勝ち目はないはずだ。


『お、おかじい……これは何かの間違いだ……ッ』


「!」


 しかし、その瞬間、彼がこちらへと駆け寄ってきていた。


 ーー危ない。


 そう言わんばかりの、表情で。


 ニヤリ。圧倒され、地を転がった敵が、そのような不敵な笑みを浮かべているのに気づいた刹那、敵がその拳を地へと叩きつけていた。


 瞬間、亀裂が走る地面。それがオリビアの方へと一瞬のうちに迫ってきて、そして地が割れた。


 ……このままだと落ちる。


 やけにスローモーションのように思えた。


 オリビアの体が傾き、背を後ろにして、割れたその地の亀裂の闇へと吸い込まれるように落ちていく。


「……っ」


 その時、手を握られる感覚があった。

 そばにやってきていた彼がオリビアの手を握り、落ちていくオリビアを引っ張り上げ、助けてくれたのだ。


 ……自分の命と引き換えに。


「ま、待って……っ」


 しかし、待たない。


 オリビアを引っ張り上げた反動で亀裂へと落ちていく彼。オリビアが手を伸ばし、その手を掴もうとするも、彼は手を離し、ついには闇の中へと落ちてしまった。


『ククク、クハハハハッ。実に無様な最後だッ』


 勝ち誇ったように笑いながら、立ち上がるキングデーモン。


 目障りな男に一矢報いたことで、いくらか憂さ晴らしできたようだった。


『足元が疎かになっていたようだな。無様だ。だが、まだ終わらんぞ。貴様は地の果てでもがき苦しむといい。生きたまま、死を感じ、そして死ね』


「……私を庇って……」


 裂けた地の底は見えない。


 彼は自分を守り、身代わりになってここに落ちていった。


『次はお前だ。女よ。街を絶望に陥れる前に、貴様にも地獄を見せてやる』


「く……っ」


 こちらを向く敵。近づいてくるキングデーモン。


 オリビアは剣を握る。


 自分の何倍もあろう、その上級悪魔はうすら笑いを浮かべている。


 ……勝てない、とオリビアは直感で分かった。

 殺される、ということもすぐに分かった。


 けれど、逃げることはできなかった。


『逃げてもいいぞ。だがもし貴様が我を止められるのならば、あの街は助かるだろうな』


 やれるものならな、とこいつは分かっていて言っているのだ。


「く……っ。私だってっ」


 そうしてオリビアは地を蹴って、迫ってくる敵へと剣を振り下ろす。


 右上段からの斜め切り。


 そこらの魔物であれば、容易く両断できるだろう一撃だ。


 しかし……。


「うっ」


 ガンと鈍い音がし、手に衝撃が走ったと思ったら、その刀身が宙に舞っていた。


『そんな鈍など、我の皮膚も通らんぞ』


 折れた刀身が地面に突き刺さる。


 剣が折れていた。


 敵は何もしていない。

 皮膚に当たったこちらの刃が、逆に折られてしまっていたのだ。


『相手にもならん』


 敵がその強靭な拳を振りかぶる。瞬間、躊躇うことなくオリビアの腹部が貫かれていた。


「がは……ッ」


 飛ばされる。


 そして地面に叩きつけられ、息ができなくなる。


 腹部には鳴り止まない鈍い痛み。


 吐き気もやってきて、次第にそれらも感じなくなっていく。


(これが死ぬ感覚なんだ……)


 オリビアは察した。


 そして、笑うしかなかった。


 一撃でこれだ。武器もとうに折れてしまった。


 どう足掻いても勝てっこない。


(お父さんの剣、だったのに……)


 あれはかつて冒険者だった父の形見の剣だった。


(リリ……ごめんね)


 妹の姿が頭に思い浮かぶ。


 冒険者というものをやっているオリビアだ。

 いつか、こんな日が来るんじゃないかと思っていた。


『ティラスの花』を手に入れるためにダンジョンに潜り続けていた時も、常にその覚悟はしていた。

 あの3年前の時もそうだ。


 病気の妹を治すために。


 けれど、治すためには危険を冒さないといけない。


 けれど、自分が死ねば、結局治すことなんてできない。


(もっと私が強かったら違ったのかな……)


 朦朧とする意識の中、オリビアの暗くなっていく視界の中には、こちらにトドメを刺しにやってくる敵の姿が入ってきた。


 そして、自分の側。地面の上。そこに何かが落ちているような気がした。


(これは剣……私の折れてしまった……。お父さんの形見の剣……)


 いや、違う。


 ずっと身につけてきたのだ。

 この剣はそうではなく、別の剣だということが分かった。


(もしかしたら、彼の腰に下がっていたものなのかも……)


 彼の腰には一振りの剣が下げられていた。


 結局、彼がその剣を抜くことは、一度もなかった。


『クク……ちょうどいい所に武器があるじゃぁないか。どうした。それを使って、再び我に斬りかかってみるか?』


 まるで煽るように笑いながら、こちらへと到達した上級悪魔。


『だが、これが本来あるべき姿なのだ。貴様らは三年前、スタンピードで死ぬはずだった。三年の余生を送ることができたのだ。遅かれ早かれ、その運命だったのだ』


 まるで、だから『三年分の感謝をしろ』と言わんばかりに。


「く……ッ」


 オリビアはその言葉に、歯を食いしばる。



 腹が立った。


 なぜ、こいつに殺されないといけないのか。



「……私たちは三年前に死ぬはずだった……ですってッ」


『ほう、まだ立ち上がる力が残っていたのか』


 オリビアは意識が朦朧としたまま立ち上がる。何が彼女を動かしているのか。それは分からない。

 けれど、どうせ死ぬのなら、最後には立ち向かって、こいつを切り刻んで死んでやりたいと、そう思ったのだ。


 その手には、漆黒の剣。彼の腰にあった物。


『今更そんなもので、我に勝てると思っているのか?』


「……逆に聞くわ。どうして私があなたに勝てないなんて思うのかしら?」


 虚勢だ。


 それでも、このままやられっぱなしで死ぬことだけは嫌だった。


(お願い、力を貸して……)


 願うようにオリビアが鞘から剣を抜く。


 現れたのは、漆黒の刀身。

 磨き抜かれたダークパールの輝き。


 夜空のようだと思った。


 オリビアはそれを握り、敵の前に立つ。


『懲りん奴だ』


 そして一気に敵に肉薄して、右斜めに振り上げたその刀をそのまま斜め下に振り下ろした。


「さようなら……」


 妹に別れの言葉を残して、オリビアの一撃が終わった。


 その一撃はまるで水を切るかのような静けさで……そして切られたキングデーモンの傷口からは血が噴水のように溢れ出していた。


『グブハァ……ッ! うお”……グブハァ……ッ!』


「えっ」


 傷口を抑え、よろめくキングデーモン。

 その表情には驚愕の気配があった。信じられない。貴様、今、何をした、と。


 しかし、驚いているのはオリビアも同じだった。


「き、斬れてる……」


 斬れないと思ったのに。


 簡単に、斬れてる……。


 さらに、気づいたら自分の怪我が回復している。


「もしかして、この剣のおかげなの……」


 どくんどくんと握っている剣から、力が流れ込んでくるような気がした。気のせいか、いや、気のせいではない。


 心が落ち着き、まるで凪いだ水面のよう。


 その水面に、一滴の水滴が落ちる感覚があった。

 落ちた水滴は波紋を起こし、広がっていく。


 そしてオリビアの中で、何かが今、芽吹いていた。


 それはオリビアの眠っていた才能。彼女が本来持っていた可能性。


 ーー『オリビアは天才だ。いつかそれが発揮される時はいつか必ず来る』ーー


 昔、父がそう言ってくれたのを思い出した。


 今までどちらかというと、自分は実力がある方だと思っていた。でも、飛び抜けて強いわけでもなかった。


 けれど、今なら分かる。


 この剣が教えてくれた。


「覚悟しなさい」


『き、貴様も我の邪魔をするかッ。粉々に粉砕してくれるッ』


 警戒と怒りの色を滲ませ、振りかぶられる敵の拳。先程、自分を死に追いやったその攻撃だ。


 それをオリビアは躱すこともせず、逆に立ち向かっていき、ダークパールの剣で一閃した。すると、容易く敵の腕は切断されていた。


「安心して。すぐに楽にしてあげるわ」


『く、クソッ。来るなッ』


 一歩前に出るオリビア。


 敵は一歩後ろに下がり、そして地面が断裂している地点へと追い込まれていた。


『か、かくなる上はッ』


「! 待ちなさい……!」


 何を血迷ったのか、そのまま敵は底の見えない割れている地面の中へと、自ら飛び降りていた。


「……逃げたわねっ!」


 オリビアもその後を追おうと、亀裂の中へと飛び込もうとする。


 その瞬間だった。


『グブハァ……ッ!!!』


 先ほど飛び降りたばかりのキングデーモンが、ボロボロになって打ち上げられてきた。

 その直前には何発もの鈍い音が響き渡り、まるで地の底で誰かに打ちのめされた後に、蹴り上げられたかのようであった。


『や、奴めッ! まだ生きていたのかッ!』


 地の底を睨むキングデーモン。


 そして、最後が近づいていた。


『三年だ……ッ。本来なら、三年前に貴様らは死ぬはずだったのだッ』


 上空で莫大な魔力を溜めながら、地の底へ放出しようとするキングデーモン。


「それはあなたの方よ。三年越しに死になさい」


 そして一閃。


 刹那、敵は血飛沫を上げながら両断されていた。


 こうして三年前に本来死ぬはずだった上級悪魔は、三年越しに討伐されたのだった。


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