第9話
徐々に受験が近づき、数学の苦手な弥春は教材とにらめっこする時間が増えていた。矢中が教えてくれたらできるようになる気がするけれど、そんなことは頼めない。今日も彼らは宿題を確認しているが、たぶん弥春にあれは解けない。ひと段落したのか、堀が席に戻ってきた。
「塾さあ」
堀が何か言っているのに、だれも返事をしない。どうしたものか。怪訝に思って顔をあげると、彼はこっちを向いてしゃべっていた。
「あ、ごめん、私?」
当然という顔で笑いながら、堀はいつもの平坦なしゃべり方で話をつづけた。
「俺らのとこ月曜が休みなんだけど、普通日曜だと思わない?」
「え…私のとこも、月曜休みだよ。他の塾は休校日、月曜じゃないの?」
「みんな日曜が休みだよ。おれらの塾は開いてるから授業入るけど。」
他の塾のことは全然知らなかったので、そうなのか、と新鮮な知識を得た気持ちになる。
「日曜日、私も授業あるよ」
「うん。いるなーって思ってた」
堀が通っているのは矢中と同じく向かいの塾である。出入りを見られていたのか。ちょっと恥ずかしくて笑うしかないや、という結論に至る。堀は基本的ににこにこしながら喋ってくれるため、弥春も自然と表情が柔らかくなってしまう。
「俺らね、日曜の6時からとー、水曜の5時20分からの授業受けてるよ」
のんびりとした口調で堀は、弥春にとってものすごく有力な情報を公開した。矢中たちの授業日程を知って喜んでいるのがばれないように そうなんだ と返す。
後になって、どうして曜日だけでなく細かい時間まで教えたのかとても不思議になった。まさか、弥春が矢中を見ていることに気づいていたのか。不安になる。だがしかし、堀はそういうことを言いふらして楽しむ性格をしていない。とりあえず彼を信じ、あまり気にしないことに決めたのだった。
ブレザーの下に、セーターが必要になってきた。朝、校舎の一階は冷たい空気でいっぱいになっている。
「ねぇ」
マフラーをほどきながら歩く紗英に、ある提案をする。
「今日さ、帰りそのまま塾の自習室行かない?」
「うん、いいよ。珍しいね、弥春が家帰らないでどこか寄るなんて」
たしかに、弥春は今まで直接塾に行ったことはない。塾であっても、家に帰らずどこかへ行く、または寄ることは校則で禁止されている。決まりを破るのに抵抗感があった。
「校則守ってる場合じゃないなって思ったの。矢中さんも多分今日塾あるし。受験近いし。」
誰もいない廊下で紗英が弾けるように笑う。
「矢中さんね!それはもう行くしかない!」
抑えられない笑みをマフラーに埋め、弥春は彼女に手を振りながら教室に入った。
ここもまだ誰もいない。リュックを下ろし、乱れた髪を整える。昨日はあのシャンプーを使った。水曜日の今日、矢中さんが塾に行くから、自分も自習に行く。だから、あのシャンプーを使うべきだと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます