第1話

 弥春が水曜日のシャンプーを変えたのは、3年生になってしばらくたった、ちょっと早く感じる衣替えの時期だった。

 

 さらさらしたまっすぐな茶髪。穏やかな一重の瞳。頼りない背中と、気だるそうな歩き方。


 彼の表情を読み取るのは難しくて、ふてくされているようにも、何も考えていないようにも見える。でも話しかけた誰かが傷ついた顔をすることも、行動が遅れることもない。


 このひとのことをもっと知りたい。気づいたときには、そう思っていた。




 中学最後の体育祭。

 体育祭とは、目立つ子たちが内輪で楽しむものなんじゃないかと思ってしまう。目立ちもしなくて運動神経も悪い者にとっては、数多くある学校行事の一つに参加している、ただそれだけのことなのではないか。弥春は平均かそれ以下の運動神経しか持ち合わせていない。

 一方、矢中は体育の授業の様子を見る限り、平均か、少しマシか、と思われる。どちらにせよこのクラスには陸上部とサッカー部が多いのだから、彼らにかなわないという点からすれば、弥春と大差ないだろう。ひょっとしたら少し悪目立ちしてしまうかもしれない。


 目立たない組の仕事はパネル製作と小道具づくりに限られる。ダンスの振り付けや替え歌を考える彼ら彼女らから離れ、塗料や糊と格闘するのが役目だ。ポンポンづくりの定員は多かったのにすぐに埋まってしまい、弥春はパネルを手伝っている。事前に美術部の友人が下書きしてくれたところに色をのせていく、緊張する作業だ。すみっこでポンポンを裂いている矢中を定期的に観察しつつも、手元には細心の注意を払い続けている。失敗したり、間違ったりしたら、彼女がかいてくれた下絵を汚したことになる気がした。

「ほのかちゃん、ここって藍色?白抜き?」

「えーっと、そこは…藍色。」

 了解、と刷毛を持ち直して、とりかかる。

 向こうの教室から、楽しげな歓声が聞こえた。




 ポンポンが積み上げられ、パネルの大部分を占める色が塗り終わったころ、生徒会から作業時間の終了を告げられた。下校をせかされて、こちらの教室もあわただしくなってくる。


「うわ、すごく進んでる。おつかれさま!」

 短髪の男子が入ってくると、一気に教室が明るくなった。

 学級委員兼実行委員の早見優はやみ すぐる。性格よし、運動神経よし、成績よし、の逸材だ。そして、矢中とはかなり仲がいい。

「早見、スズランテープってこれ以上買うとまずい?」

「うーん、会計係と相談したほうが確実だけど…テープならあと4つくらいは行けたと思うよ。」

「早見ー、これ俺が作ったんだ。傑作じゃね?」「早見くん、今日でここまで進んだんだけど、色とか進度とか、大丈夫?」「早見、ちょっと…」


 早見、早見、早見。彼の人望の厚さがよくわかるなあ、と思いながら塗料を使い切ろうと刷毛を動かす。前髪が塗りたての部分につかないように顔を離して、弥春は白い紙に藍を広げていった。

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