雨中の蟻

田中ざくれろ

第1話 雨中の蟻

 寒い。湿っぽい。

 雨が濃すぎてむせる。

 薄暗い、昼の戦場に土砂降りの雨が降っている。

 歩兵に厳しい銀色の連弾は、戦場を監視衛星の視界から隠す為に人工的に降らせたものだ。

 濃灰色の雲海は、時折奔る金色の光の棘に撃たれた人間や機械兵器が崩れ落ちる地上を眼下に広く孕んでいる。

 視界が閉ざされる。レーザー測距や熱感知も多大なノイズで阻害する土砂降りは、副次効果として土の地形をぐしゃぐしゃにする。

 都市迷彩のスモックに身を包んだ俺達の小隊は、もう五時間以上も空洞化した巨大マンションの基部に釘づけになっていた。

 市街戦と呼ぶには街は崩れすぎている。まるでひどい虫歯だらけの乱杭歯だ。

 遠雷の様な爆撃音。

「動きはあるか」

 冷温煙草をくわえた隊長が歩哨の俺に訊く。

 歩兵の頬に固定された、顎の補強具の様な防水スマホはハンズフリー。スピーカーからの風景音を俺の耳は聞く。

「ありませんね」

 隊で最も若い俺は小声で答えた。声は増幅されて隊長のスマホに最適音量で届く。これは秘匿通信だ。俺と隊長にしか聞こえない声。壁の向こうにいる小隊の仲間には届かない。

 前線司令部に増援を要請したのはもう二時間も前。

 今だ着かない。途中で襲撃されたにしても連絡があってもよさそうだが。

「本国に人工地震兵器があるのならば」俺は隊長へ開放通信で問いかける。「何故、敵国首都へ直接作動して壊滅させてくれないのでしょうか。そうすればあっという間に戦争は終わる」

 隊長が苦笑した。「戦争は歩兵を苦しめる為によく出来てるのさ」

「それは歩兵がいなければ戦争は出来ないという事でしょうか。首都を壊滅させても最高司令部は移転するだけだ。占領しなければ終戦は来ないという」

 隊長は失笑した。俺の大真面目な顔がおかしくてたまらないという風に。「歩兵は蟻さ」

 小隊全員が大笑いしている。聞こえない声に俺はそんな懸念をした。俺だけを非通話設定にして笑っている。そんな感じ。いつもそうだ。

「状況が動くぞ」

 ふと隊長が呟いた。彼にしか届いていない司令部からの電波を軍用スマホが拾ったのだ。

 西方。街の奥。

 味方本陣の方角から土砂降りの雑音を引き裂いて、多数の飛翔音が市街地上空を渡った。

 白煙を引き連れた多数の弾体が轟音と共に、雲の下に緩い放物線を描いている。あれらは作地図偵察用の長距離砲弾。有翼滑空弾には炸薬の代わりに電子カメラが取りつけられ、下界の広範囲の地勢を撮影し、味方陣営に常時発信している。

 情報によるZOCが戦場を支配する。

 百発ほどの大量飛翔。新しい敵分布地図を作ってこの渋谷の地勢を把握する。

 左腕の袖に縫い付けられている、スマホと連動したハンドヘルド・コンピュータの小型ディスプレイに渋谷の鳥観図が出た。偵察弾の帯型の撮影範囲内に敵配置が筒抜けになる。リアルタイムだ。

 と、各地の敵から空中に向けて敵弾が閃き、高速で飛翔している偵察弾を射撃し始めた。ほぼ正確に偵察弾は撃墜されていく。

 しかし今の偵察弾で渋谷一部帯域の敵兵器配置が明らかになった。俺達が欲しかった情報だ。

「HQ、第一一一小隊移動する」

 雨飛沫の中で隊長がスマホに囁き、増援を待たずして小隊はマンションの陰から一斉移動を開始した。

 俺はヘルメットをプリセット位置にきつくかぶり直し、マウスコートをゴーグル端まで上げ、小隊の長い列の一人として市街地を歩き始めた。野戦服に仕込まれた補助筋肉。足取りは軽い。

 スモックは雨の水分に反応して迷彩色が濃くなっている。

 偵察砲弾を砲撃していた場所から少し離れた場所でまた砲撃が始まった。今度は砲弾がバラバラとほぐれて眼下に種まきを行っているのが解る。地上に地雷をばらまいているのだ。その方角からの敵兵の到着をふさぐ。俺達は新たな地雷原から離れる様に前へ進んだ。

 小隊規模で突撃小銃を構えながら、荒廃した渋谷を移動する。

 爆撃でアスファルトが掘り返された泥だらけの地面を、野戦ブーツで踏みしめながら進む。

 土砂降りで視界は悪い。

 対BC兵器用の野戦服は肌の露出がなく、雨の冷たさは感じない。

 左袖のディスプレイのマップに第一一一小隊が到着すべきビルディング基部が指示される。三〇〇メートルほど先。さっきまでの隠れ場所より頑丈で快適そうだ。

 背景雑音から土砂降りの音はほぼクリアされている。スマホ・スピーカに接した耳に届くのは、近くの雨音よりむしろ遠方の爆撃音。

 口元のストローを噛んでスポーツドリンクで乾いた口内を湿らせる。

 ディスプレイの戦略マップにはほぼ全体にピンクとブルーの大きな染みが広がっている。俺達の移動に従ってブルーの染みは前進していく。半透明の円が重なった陣取り合戦の様なそれはZOC、敵味方の各兵力の威力制圧範囲を表示していた。二色の染みが重なった場所は交戦地域だ。

 二色の染みが戦場の印。各兵器が移動する事でその戦術的有効威力の範囲が広がっていく。ZOC。ゾーン・オブ・コントロール。制圧範囲。この陣取りが戦況を表示している。敵の色を蹴散らせ、味方の色で塗り潰せ。その果てで戦局は決着する。

 気のせいか電子機器の動作が重い気がする。電子干渉か。

 もしかしてあれが近くにいるのか。

 小隊の先鋒が目標のビルディングに到着する。

「探査ポッドだ!」

 先鋒の声がスマホのスピーカーから響いた。

 先鋒のヘルメットに装着されたカメラが、彼の見ている物を左袖のディスプレイに映し出す。

 あれがいた。ビルディング内に滞空する全長二メートルほどの円筒形の機械だった。二重反転ローターがあり、その場にヘリコプターの様に滞空している。表面には眼の様な大きな電子カメラが複数ある。

 探査ポッドはこれを含めて非常に沢山の数が戦場内にばらまかれている。敵味方両方共だ。これ自体の戦闘力は弱い。だが周囲を探査し、敵の電子機器を妨害し、味方の無線を強力に探査して獲得情報を送信する能力は非常に脅威で、これが一つあるだけで電子小隊一個分のZOCを獲得する。この一機があるだけで戦況の染みは大きく拡大する。

 地上戦とは如何に一つでも多くの味方探査ポッドを確保し、敵探査ポッドを潰すか、それにかかっていると言っても過言ではない。

 探査ポッドは尾部にある機銃を撃った。

 それは小隊の先鋒に命中して後方へ転倒させるが、防弾機能がある野戦服には軽傷を与える事しか出来ない。

 先鋒に続いて到着した兵士達が突撃小銃を一斉連射する。ポッドの表面に炸裂弾の小爆発が連続する。

 ポッドはふらふらと動き出した。ローターで移動するポッドは後方から撃たれ続け、やがて糸が切れた様に地上へ落下して横倒しになる。

 マップの上で現地点のピンクの染みは縮小した。

「二時方向に人型戦車!」

 それと同時に先鋒の驚きがスマホから響く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る