第40話 魔弾
「……この様子だと、わたしたちの出番はなさそうじゃな」
次第に優勢へと傾いていく戦いを眺めるアインがそっとつぶやいた。声そのものは退屈そうだが、同時にどこか安堵しているようにも見えた。
子供たちの安全が確保されたことよりも、自分が出張らずに済んだからかもしれない。わざわざたしかめる気もないが、一般的に知られた魔法士とは明らかに異なる姿を彼らに見せたくないのかもしれない。
「ないならその方がいい」
ジークが答えた。
「ここから先、俺たちは可能な限り裏方であるべきだ」
無難な内容に留めておきつつ、ジークは愛用のライフル以外の武器をあれこれとバッグに入れていく。普段身軽な彼にしては珍しく物が多い。
「行くのか?」
アインが短く問いかけた。すでに相棒が何をするつもりか理解しているのだ。
「そこをどうにかしないとこの話は終わらない」
淡々と答えるジークの決意は固い。
「ならば付き合おう。戦いに臨むのであれば、たとえ見守るだけでも“相棒”が必要じゃろうて。何かしらの役には立てるぞ」
特に荷物はない着の身着のままでアインは腕を組む。いつもと変わらない姿だが、彼女は彼女で静かな怒気を漂わせていた。
「よく言うよ。それより子供たちの傍にいてやらないでいいのか? “アイン先生”」
「ふふ。そこはそなたと同じ考えじゃよ。わたしのような者がいつまでもいては彼らの自立が進まぬ。支えてやれるのは訓練の間だけじゃ」
本心ではとても心配なのだろう。妙にそわそわしている。いや、だからこそか。
不安要素を断つためにアインも自ら敵の根拠地へ出向かんとしている。
「じゃあ片付けるとしますか」
組織同士で協議する集会から戻ったエッカルトは屋敷の雰囲気がおかしいことに気付いた。出迎えもそうだが庭の警備さえも見当たらない。
「誰もいないのか!」
叫びながらエッカルトは屋敷の中を歩く。
「おい、誰か!」
途中の部屋も無人のままだった。酒が注がれたグラスなどはそのままだし、ラジオもついたままだ。かといって争ったような形跡もない。
そしてとうとう誰にも会わないまま自分の部屋にまで戻って来た。
「ずいぶん遅かったな。待ちくたびれたぞ」
不意に投げかけられた聞き覚えのない声にエッカルトの動きが止まる。いや、首だけが声の方向に向けられた。
「酒とメシは美味かったか? あ、ついでに女もか?」
椅子がくるりと反転し声の主が姿を現す。
「おまえは……」
呻くような、あるいは無理矢理喉奥から絞り出したような声だった。
見たことのある顔だった。それもそのはずだ。
なにしろエッカルト自身が一度目は「殺せ」、そして二度目は「生かして連れて来い」と部下たちに命じた男がいたのだから。
「ジークフリート、テメェがなぜ……」
辛うじて言語になっていたが、込められた怒気のせいでほとんど獣の声にしか聞こえなかった。気の弱い人間が相手であれば、これだけで卒倒していたかもしれない。
無論、対するジークは一顧だにしていない。
「悪いね。帰って来るまで勝手に待たせてもらったよ。組織間の会合だったか?」
「屋敷にいた連中はどうした……」
かき集めた“腕っこき”を五十人弱送り込んだが、本拠地の守りはまだ二十人以上残しておいたはずだ。
にもかかわらず誰もいない。間違いなく戦闘の痕跡はなかった。手下どもはジークの情報など知らないのだから殴り込まれたとして逃げ出すとも思えない。
「立ってないで座ったらどうだ。今日は話をしに来たんだ」
エッカルトの問いかけにジークは答えず、代わりに手を机の上にゴトリとボトルが置かれる。年代物の希少なワインだった。
「フレンツェンの赤、バルザックだ。1950年」
告げられた銘柄と年数からするに、地下のセラーから勝手に持ち出したわけではなく、自分で持ち込んだものらしい。
気に入らない態度の男だが、酒の趣味だけは悪くなさそうだった。話してみたら案外気が合うのかもしれない。
だとしても、最後には殺さずにいられないであろうほどエッカルトは苛立っていた。
「この期に及んで話だと……? テメェ、ここまで来たからにはそれ相応の覚悟できているんだろうな……?」
自分が窮地に立たされていると本能的に理解していながら、エッカルトは威嚇するように歯を剥いて言葉を発する。面子を捨ててはやっていけない職業病からの態度だった。
そんな相手から浴びせられる殺気を物ともせず、ジークはコルクを抜くと棚から運んできたグラスにゆっくりと注いでいく。魔法でコルクの下からボトルを切断するような無粋な真似はしない。
「先に飲んだらどうだ」
グラスを差し出す。
エッカルトは一瞬の迷いを見せつつも口へ運んだ。
豊かで深みのある熟成されたブドウと樽の香りと、角の取れた重みが喉を通り抜けていく。口の中に残る余韻も穏やかでどこまでも心地よい。
今日の会合で飲んだワインも決して悪いものではなかったが、これには及ばないと思わず唸るほどだった。
「突然で悪かったな。『酒でも持って挨拶に行く』って連絡してからのが良いかと思ったんだが……万が一逃げられたりしても面白くないからな」
手前のグラスに注ぎながらジークが言った。からかうような気配はない。
自分自身も楽しみだったとばかりにグラスを煽っている。
「フン、軍人崩れが言ってくれるじゃねぇか……」
「なぁ。面子にこだわるのもわかる。でも、ここらでやめにしないか」
「――なんだと?」
不意に切り出された提案に、エッカルトは一瞬何を言われているのかわからなかった。
「これ以上やってどうなる? 久しぶりに世捨て人から俗世に復帰して、大事なものに手を出された怒りからついやっちまったが、一方で冷静な自分もまだ残っている。それともどちらかが全員死ぬまでやるのか?」
仮に継続したところで、先にそちらを皆殺しにできる――とは言わない。
組織を畳んだあとの面倒極まる残党も含めて、この男に面倒を見させる、いや責任を取らせたい。そうでなければ町の治安に懸念が残る。
「どうだ? それなりの被害を受けたとは思うが、まだこの先生きていくだけの資産は残っているだろう?」
エッカルトは絞め殺さんばかりに睨みつけるだけで、ジークの問いかけに答えない。
視線の奥で、これまで生き残って来た頭脳が高速で回転しているのが見て取れた。
あとは利益の天秤を傾けてやるだけだ。身内を殺したわけでも、大事な所有物を燃やしたわけでもない。
「新天地に渡って暮らせばいい。イルベリア半島なんてどうだ。ポルナリまでいけば気候も温暖で島も多い。早期のリタイアなんて悪くない人生だと思うぞ?」
エッカルトは考える。
たしかに今なら抜け出せる。ミズガルズのいち地方の闇に君臨する野望を捨てさえすればいい。癪ではあるが、ジークの言ったように貯えもそれなりにある。いっそポルナリの小さな島でバーでも経営するか。「昔はやんちゃだった」とか“大戦”の記憶を客に話しながら余生を過ごすのもいいだろう。
だが――すべてをナシにして逃げ出したとして、一度通じた“あの連中”が自分を放っておいてくれるだろうか?
末端が接触してきたとはいえ、大元にいるのは間違いなく国家規模の組織だ。今は向こう側が混乱しているとはいえ、余計な情報を知る自分をいつまでも放置してくれるとは思えない。同業への“見せしめ”にされる可能性もある。それこそ楽には死ねないかもしれない。国外ならば事故に見せかけて死ぬ可能性が高いのだろうが……。
そしてなによりも――これまで生きてきた者としての矜持が許さない。
「返事は今じゃなくてもいいさ、簡単に答えが出るなんて思っちゃいない。数日中にゼーリンゲンからいなくなってくれたなら了承したと判断する」
そう一方的に告げたジークは席を立ち、ひらひらと手を振って扉へ向かって歩いていく。カーペットを踏みしめる音とエッカルトの歯の軋みと唸り声だけが部屋に流れる。
「待ちな! 俺の答えはこれだ!」
椅子を蹴って立ち上がったエッカルトの怒声とともに響き渡る銃声。ジークの無防備な背中に容赦ない銃撃が浴びせられた。
一瞬のあと、音のなくなった部屋に空薬莢がテーブルを叩く音だけが生まれる。
「……そうか」
ジークの声がそっと部屋に広がる。低いながらもやけによく通って聞こえた。
放たれた十数発の弾丸はすべて目標に命中する前の空中で静止していた。よく見れば弾丸と見えない何かの間で魔力の粒子が青白い光となって散乱している。
「なんだ……おまえは……! いったいなんなんだ!?」
弾倉を空にし、無意味に引き金を引き続けながらエッカルトは叫び声を上げた。どうにもならない状況にまで陥った者の、悲鳴じみた叫びだった。
「こうなったからにはちゃんと答えるよ」
静かに振り返ったジークは一瞬残念そうに息を吐き、空中で止まったままの弾丸をひとつ摘んで明後日の方向へ放り投げる。
代わりに反対側の手で掲げられたのは拳銃だった。
「トールP49……《魔弾の奏者》……」
エッカルトの声が初めて怒り以外のものに震えた。
ミズガルズ軍でも限られた者――功労勲章を得た特殊部隊の士官用にしか与えられなかった幻の銃に気付いたためだ。エッカルトはそれを見て“本物”を敵にしたのだとようやく実感を得た。
「知っているかもしれないが一応名乗っておくよ。第一特別任務部隊
そっと呟かれた言葉のあとを一発の銃声が追い、次いでエッカルトが力を失い背後の応接椅子へ倒れ込んだ。
「やれやれ。せっかくワインを置いていこうとしたんだ。ちゃんと味わえばいいものを……」
ジークはテーブルまで戻ると、ほとんど減っていないワインにコルクで軽く栓をしてボトルを掴んで部屋を出て行く。
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