第38話 彼女たちの想い


 ――どうしても納得がいかない。


 ひっそりと工場跡を出たリーネは、足早に敷地の中を進んで行く。


「わたしだって――」


 外には出るなと言われていたが、やっておかねばならないことがあった。

 なんとか自分たち、いやせめて自分だけでも何かできないかと直談判する。そのためにジークのあとを追いかけて来たのだ。


 寒さと夜のとばりの下りた付近に人の気配はない。

 歩きながら視線を左右にさまよわせると、ふと声が聞こえたような気がした。

 仄かに漂ってきたのはコーヒーの酸味を感じさせる香り。ふたたび辺りを見回して気付く。監視塔の上からだ。


 音を立てないよう近付き、梯子の手摺りに指を掛けた。そこで誰か――ジークとローマンのふたりが話しているのが聞こえてきた。


「ジークさんが彼らに身に着けさせたのは――――最低限のものと――――でしょう?」


 高いところで喋っているからよく聞こえない。リーネは動きを止めて耳を澄ませる。


「ライナルト大佐。あなたはひと区切り着いたら、ここを離れるつもりですね?」


 その言葉を聞いた瞬間、リーネの心臓は小さく跳ね、次いで全身が粟立つような感覚を覚えた。


 ――どういうこと!?


 梯子を登って問い詰めようと身体に力を入れた瞬間――肩に手を置かれ、同時に口がそっと塞がれた。


「しー。静かに」


 耳元に寄せられる凛とした声と視界の隅に映る細くしなやかな指。それだけで誰かがわかったおかげでリーネは悲鳴を上げずに済んだ。

 こちらの身体から力が抜けるのをたしかめた上で、口を塞いだ手がゆっくりとどけられる。


「ア、アインさん……」


 ゆっくりと首を動かすと、背後には絶世の美女が唇に伸ばした指が添えてこちらを見下ろしていた。


「しっ。声を上げるでない。向こうへゆくぞ」


 間近からの迫力にリーネは声が出せなくなり、こくこくと頷くしかなかった。

 それにしても、近くで見ていると同性でも変な気分になるくらいアインは綺麗だ。それになんだかいい匂いがして、頭の中がくらくらしてくる。

 もちろん、リーネは軽い催眠魔法をかけられていることには気付かない。


 半分呆けた状態で、されるがままにリーネは物陰へと引っ張り込まれる。


「……さて、盗み聞きとはあまり感心せぬなぁ。そも、そなたらは外に出るなとジークに言われたばかりであろう?」


 あらためて言葉に出されると、自分がひどく聞き分けのないことをしている気になってくる。

 ただ、アインの口調は内容に反してなじるものではなかった。むしろ「どうしてこのようなことを?」と問いかけるような響きさえある。


「わ、わたしにも……何かできることがあるんじゃないかと、そう思って……」


「ふむふむ、なるほどのう……。そなたはジーク、いやみんなの役に立ちたかったのじゃな?」


 途中で言い直したのが少しだけ気になったが、おおむね言われた通りだとリーネは黙って頷いた。


「誰かの役に立ちたい気持ちはわかる。見ているだけしかできないもどかしさも」


 これはアイン自身の経験からの言葉ではない。異世界に邪神アイオーンとして君臨していた彼女にそのような記憶は存在しなかった。

 ならばどこから来たのか。それはこの世界へ顕現する際に依り代となり混ざり合った、とある少女の意識の断片がなぜか今になって浮かび上がって来たからだ。


「アインさんにもそんなことが?」


「誰しも生きていれば色々ある。ジークもまたそうであろう。そなたに明かしていないことも含めてな」


 誤魔化すような言葉になってしまった。好みではないが、年若いリーネを納得させるにはこうしたもっともらしい言葉が効くのだろう。


「でも、この件が片付いたらジークさんは町を出るって。このままじゃわたし、あの人のことを何も知らないし、恩返しもできないままで――」


「リーネ、それは思い違いというものじゃ」


 アインはそっと首を振った。


「思い違い?」


「左様。ジークはそなたに何と申した? 『教えるのは生き残り方だ』と告げたではないか。それは今晩起きる戦いへ加わるためのものではなかろうて」


 なんでアインさんはあの夜いなかったのにそれを知っているんだろう……。

 リーネは疑問に思ったが、すぐに思考は元の話題へと戻る。


「恩を返そうとするのはそなたの勝手。じゃが、受け取る側のことも考えねば、それは独り善がりの単なる“押し付け”となってしまう」


「……それは恋人だからわかることなの?」


 知らずのうちに口を衝いて出る言葉がキツくなっていた。アインにはこうして話を聞いてもらっているのに、どうしてなのか自分でもよくわからない。


「わたしがジークの恋人? ははは!」


 きょとんとした表情をすると、アインはすぐに小さな声ではあるが堪え切れず笑い出した。


「違うんですか?」


 無邪気に笑うアインを見ていると、リーネは心がもやもやとして言葉にも棘が混じってくる。ますます自分が勝手に突っ走っているだけのひどく格好悪い子供な気がしてならない。

 だからこそ、穏やかな表情を崩さないアインに胸中を見透かされているようで、余計に心がざわつく。


「わたしとジークはそうさな……。“相棒”じゃな」


「相棒っていうのはあんな風に仲良さそうにくっついたりするものなんですか」


 まただ。ふたりが仲良くしている姿を想像すると不思議と胸が苦しくなってくる。


「……リーネ。そなたには納得しにくいことかもしれぬ。じゃが、あれがわたしとジークと、ジークとわたしの関係で、それ以上でもなければそれ以下でもない」


 アインは迷いながら、少し困ったような表情でその言葉を口にした。


「人間とは……想いを言葉にするのは……とても難しいのう」


 不意に夜空を見上げたアインがそう漏らす。

 ジークとはまた別の、幾星霜を過ごしてきたような重みのある言葉に感じられた。


「じゃがな、リーネ。我らは今の関係が落ち着くべきところに落ち着いた結果じゃと思うておる。おそらくジークもそうじゃろう。あれも長いことひとりでいたからのう。結構不器用なんじゃよ」


 アインが見せたのは悪戯めいた表情だった。それを聞いてもリーネとしてはやはり物足りず素直に頷けはしなかった。アインもそれは重々承知しているようだった。


「アインさんは……ジークさんの過去を知っているの?」


「そうじゃなぁ……。ある程度ならな」


 アインにしては珍しく言葉を選んでいた。

 リーネは食い下がる。


「ねぇ、あの人はいったい何者なの? 院長先生だけでなく、その友達とも親しく話しているけど、昨日今日知り合ったくらいじゃああはならないと思う」


 若さゆえの鋭さかそれとも生まれ持った才覚か。リーネの目の付けどころの鋭さにアインは内心で感心した。この様子では「知ってどうする」と問うだけ無駄だろう。あるいは、これが人間の若さなのだろうか。


「知りたければそなた自身の口で訊くべきじゃろう。ジークとは五年くらいの付き合いじゃが、わたしにも知らぬことはたくさんある」


 そこまで言うと、静かにアインは歩き始める。この話はここで終わりということらしい。


「……皆のところへ戻るぞ。そなたがいないと心配する」


「はい……」


 穏やかな口調だが否とは言わせないだけの何かが含まれていた。リーネもここで食い下がったところで意味はないとひとまずは諦めた。


 まだまだ納得できないことはある。そこにわがままが含まれていると自覚もしている。

 ただそれらをどうにかするのは明日からでも遅くない。リーネはそう自分に言い聞かせた。

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