第37話 お見通し


「訓示は終わりましたか?」


 監視塔を登っていくと、上でローマンが出迎えてくれた。

 雪山に近いだけあって夜はまだまだ寒く、彼も見張りとして魔法瓶から注いだコーヒーを飲んでいた。


「こちらをどうぞ」


 梯子を上って来る音に気付いて用意していたのか、こちらが何かを言う前に金属製のマグカップを差し出してくる。

 彼はこういうところでとても気の利く男だった。


「これはどうも。……訓示だなんて、そんな大層なものじゃないです。ただ、血気に逸ってバカな真似をしないよう、罵声で釘を刺しただけですから」


 礼を言ってジークはカップを受け取り口をつける。かなり熱い。だがこの冷えた空気の中では身体へと心地よく染み入ってくる。


「十分でしょう。ここから先はまだまだ大人のやるべき領分です。時には嫌われ役にだって回らなければいけません。それが上官の仕事ですから」


 白い息を吐きながらローマンは笑みを浮かべて一度コーヒーを啜った。

 蓄えられた口髭の下からは親父臭い笑みが覗いていた。


「まさにまさに」


 ジークも調子を合わせてコーヒーをあおった。


「教官・上官なんて兵隊に嫌われてナンボですからね。連中、まだまだヒヨッコの兵隊未満です。それが自分たちも戦おうだなんて十年早い」


 そういうものだとわかっていても甘い顔ばかりは見せられない。ジークは孤児たちを厳しく評する。


「たしかにそうかもしれませんが……。ジークさんがこの短期間で彼らに身に着けさせたものは、今の世界で生きるために必要な最低限のものと……あとはちょっとした自信でしょう?」


 向けられた双眸には、歴戦の兵士に相応しい鋭さが浮かんでいた。これから戦いに臨む者の表情でもある。さすがと言うべきか。隠しごとはできそうにない。


「はは、わかってもらえる人がいるとやっぱり嬉しいものですね」


 自然と笑みがこぼれていた。

 ジークとて年端もいかない子供たちをシゴキ倒して喜ぶ低俗な趣味はない。覚悟は決めたつもりだったが、身近に理解者がいると知っているのといないのとでは、やる側にとっても精神的な面でまるで違ってくる。


「私も“大戦”時……国家徴兵された若者に対して、促成栽培ですが教育を施した経験がありまして……」


 遠い昔を懐かしむようにローマンは視線を上げる。透き通った空の向こうには星が瞬いていた。やはり誰もがそうした記憶を持っている。


「彼らが訓練の内容を完全に理解する必要はありません。ですが、教育を受けただけでも自信になる。今はそれでいい」


「よくわかっておられる」


 青年は唇を小さく笑いながら頷いている。


「実体験があれば少しは語れるものですよ。でも、こんなご時世ですから余計に価値のあるものです。あとは自覚すれば自然と洗練されて――少しでも長く生き残れますから」


 ローマンは表情ですべてを語っていた。

 彼のような歴戦の兵士が施した訓練ですら、生存率をわずかに上げるだけのものに過ぎず、彼らの多くは戻らなかったのだと。


「そう願うのみです。どれだけ大層な肩書を持っていようが所詮は“大戦”を生き延びただけにすぎない。私にできることは……あまりに少ない」


 ジークも視線を上げて答えた。

 こうして星を眺めていると十年前と夜空は何も変わっていない。自分自身も大きく変わったようで、それでいて何も変わっていないようにも感じられる。

 きっと、みんなそんなものなのだろう。だから必死で生きようとする。


「ライナルト大佐。あなたはひと区切り着いたら、?」


 何気ない仕草からローマンが問いかけてくる。絶妙の間だった。

 ジークの顔にふたたび困惑混じりの笑みが生まれた。

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