第35話 それぞれの役目


「しっかり食べておるか? ジークの訓練はやたらと厳しいからのう。ちゃんと食べないと身体がついてこぬぞ」


「はい、アインさん! 身体が資本ですから!」


 いつ脱落者が出てもおかしくない過酷な訓練の中で思わぬ役割を発揮した者がいる。それがアインだった。


 当初アインは孤児たちからも“おじさん”たちからもそれぞれに「なんでこんなところにこんな人(美人)が?」と怪訝な目で見られていた。

 見た目は誰もが振り返るような絶世の美女だが、明らかに時折漏れ出る雰囲気オーラが並みの存在ではない。元軍人たちはすぐに危険なものだと本能で理解していたし、孤児たちもなんとなく近寄りがたくて遠巻きにしていた。

 ここまでは誰しも理解できるものだった。


 ところが事態はある日意外な方向へと転ぶ。

 どういうわけかアインが脱落寸前の孤児をこっそり慰めていたらしく、気が付けばそれとなく皆が彼女を頼るようになっていた。

 リーネが一生懸命頑張っているお姉さんだとすれば、アインは頼りになるお姉さん先生的な立ち位置に落ち着いた、もしくは甘える先になったというべきか。

 妙に古風な喋り方はするけれど気が利いて自分たちに優しい。孤児たちにはそれだけで十分だった。


「ジ~ク~、たまには町へ飲みに連れて行ってくれぬのかぁ?」


「おい! 訓練生の目があるだろ、昼間からあまりくっつくなって! あぁ、思い出した。おまえには頼みたいことが――」


 そのうち皆もアインがジークにご執心だと気付く。

 孤児たちは「アインさんが信頼しているならまぁ……」と納得し、おじさんたちは余計なことはしない方がいいと諦めた。いや、諦めたというよりも入り込むのは野暮だと思ったのだ。


「仲がいいねぇ。羨ましい限りだよ」

「見ている分にはな」


 アインはさておき、ジークが語った経歴の端々から、自分たちよりも年上なのは間違いないと察してはいる。

 見た目がこれだけ若く、それでいて振る舞いもなんだかふたりに対して、いつしか分隊の皆が親戚のおじちゃん的な視線を送るようになっていた。

 これはリーネに対しても同じだった。むしろそちらの方が“おじさん”たちには気になっているようだった。


「リーネの嬢ちゃん。ありゃあどうしたもんかねぇ。あまりおもてには出していないがちと不満そうだ」

「ああ、あれね。山で助けてもらったんだっけか? ジークさんのことが気になってるみたいだが」

「と言っても、アインさんがいたらどんな女だって二の足を踏むさ。あんなケタ違いの美女がいつも近くいたら普通はイヤになる」


 ついつい口が滑りそうになるが「肉食獣のようだ」とは絶対に言わない。“大戦”を生き残りながら、つまらぬことで虎の尾を踏みたくはなかった。デリカシーの有無はあまり関係ない残念なおじさんたちであった。


「それにしたって、思ったよりも控えめなのはどうしてかね? 惚れるまではいってないのか?」

「ああ。まだ自分の感情を自覚してないんだよ。俺は詳しいんだ」

「夜の町にばかり詳しいヤツがなんだって?」

「うるせぇよ。女を相手にしてきた時間はおまえよりずっと長いんだ」

「有料サービスじゃねぇか、笑わせるなよ」


 おっさんたちの織り成すどこまでも下世話な会話だが、新たな事業に手を出す漠然とした不安を抱えた彼らにとって気を紛らわせる楽しみのひとつになっていた。


 孤児たちは永遠に続くと思っていた訓練でも、大人たちからすればこのまま続いて欲しい平和の光景だった。




 ある日の夜、分隊員のひとりが神妙な表情で教官たちに割り当てられた建屋の談話室へと入って来た。


「どうした、ローマン? こんな時間に」


「早めに知らせとこうと思ってな。昔なじみの同業パラ・ミリに探らせていたんだがな。ジークさんが言っていた通りどうも妙な空気になってきたみたいだ」


 ローマンと呼ばれた小柄な男が頭を掻きながら外套を脱いだ。


「……って言うと、例のリーネの嬢ちゃんを攫おうとしたやつらか?」


 蒸留酒の酒瓶を手にしたスヴェンが問いかけた。


「ああ。根城のゼーリンゲンに探りを入れたが、どうも連中、兵隊くずれを集めているらしいぞ。誰彼構わず声をかけてるから目立って仕方ないようだ」


 ローマンがテーブルに着くと奥からジョッキが滑ってくる。


「ケッ。子供を食い物にしているヤツらが、一丁前に戦争でも仕掛けて来る気ってか。どこまでもクソッタレな話だ」


 誰もが嫌悪感を隠そうともしなければ、からかう者すらいなかった。

 訓練を通してこの数週間ずっと付き合ってきたのだ。今や孤児たちは彼らからしても子供同然の存在となっていた。そこへ手を出そうものなら誰であろうと生かして帰す気はない。


「やむにやまれないときは……なんて構えていたが、こりゃそうも言ってられないかもなぁ」


 小太りで調理担当のティモが声を上げた。

 悲観的な言葉にも聞こえるが、どちらかといえば単純に平穏な時間が過ぎ去ることへの嘆きだった。

 その証拠に誰も彼も目だけは妙にギラついている。必要とあらば“やる気”だった。


「んじゃあどうする? 明日から柵の修繕でもしておくか?」


「現実逃避するなよ。それじゃあ根本解決にはならない。放っておいたら襲撃を受けかねないなら、こちらから攻め込むことだって検討しておくべきだ」


 慎重派で知られたオットーからの意見が出る。

 もっとも敵を残らず潰すことを慎重と呼ぶかは議論になりそうだが。


「たしかに策源地への攻撃は有効だな。だが、こちらを手薄にするわけにもいかないぞ」


「そこは悩みどころだな。突撃隊を編成して……」


 酒が入っているのもあるだろうが、次第に全員の意見が攻撃的な方向へ傾いていく。さすがにこれは良くない。


「待て待ておまえら。いくら分隊が集まってもな、今の俺たちはパラ・ミリで民間人だぞ? 自衛ならさておき、こちらから手を出したらまずいだろ」


 それまで黙っていた副分隊長のマルセルが声を上げて止めに入った。辺境とはいえドンパチを起こそうものならこちらが犯罪組織扱いされかねない。


「でしたら、とりあえず最初だけは損害なしで守り抜くしかないですね」


「ジークさん」


 気付けばジークが入口のところに立っていた。後ろではアインが興味深げに皆の様子を眺めている。


「既成事実さえ作ってしまえば、あとは俺がどうにかします。数さえ減らしておけば殴り込めますからね」


 実際には今からでも殴り込めると思う。アインもいれば確実に勝てる。


「待ってください。ジークさんにそんな真似をさせるのは……」


「今でも中央に顔が利くのは俺だけです。やり方によってはどうにでもなる」


 半分嘘である。

 行方不明同然に退役してから十年だ。とっくに軍の人脈なんて途絶えてしまっている。

 中央はしっかりマークしてくれているようだが、こちらは向こうで誰が動いているかまったく知らないのだ。

 それでもジークは構わずやるつもりだった。どうせこうなることすら織り込み済みで末期のジョナサンを寄越したのだ。そうまでして自分を表舞台へ引っ張り出したいなら、責任くらい取らせてやる。


「これから先もこの場所を守り、事業を広げていくのは俺じゃなくて皆さんです。そのために協力しているんですよ」


 その言葉で薄々感じていたことが確信へと変わった。彼は身代わりになる気なのだ。

 もっとも孤児たちに厳しく接しているのはジークだ。無茶こそしないが教官たちの中でキツい訓練を課すのは分隊員たちではなく彼が率先して進めていた。

 きっと彼は一番効率の良い方法で憎まれ役を引き受けて、出て行くつもりなのだ。


「そうまで言われたら否とは答えられません」


 ズルいことをすると思ったが、口にするのは野暮だった。


「決まりですね。武器は俺の方で用意しましょう。最新式のはないけれど大戦末期型くらいなら調達できます」


 そこで全員が驚きの視線を向けた。


「え、そんなものを引っ張ってこれるアテがあるんですか?」


 世のパラ・ミリの多くが軍放出の古い武器を使って糊口をしのいでいるというのに。


「まぁね。さすがに連中も軍の横流し品くらいの武装はしているはずです。対するこちらが民間の銃で戦うわけにはいきません」


 ジークならひとりでも戦えるだろうが、それでは意味がなかった。


「でも、どこからそんな……」


「あー。細かい内容ばかりはナイショナイショです」


 ジークがそっと人差し指を立てた瞬間、誰もが黙って静かに頷いた。

 すべてを察したとも言う。元軍人だけに『知る必要のないこと』には敏感だった。

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