第30話 その裏で


 ミズガルズ共和国の首都メルハウゼン。一時はミッドランド最大の激戦地となり市街地の半分近くが破壊された都市でもあるが、やはり政治の中枢だけあって戦災からの復興は最優先で進められてきた。

 過去の戦勝記念で建てられた凱旋門は幸運にも戦火に焼かれることはなく、街の中心にある国会議事堂と東部の大統領府へクロスするように街路が作られている。

 東西南北に伸びるこの大通りが“大戦”に勝利した自尊心を高めるため真っ先に整備された。

 あくまで権威を優先させる、誰の目にもわかる政治的なパフォーマンスの一環だった。


 最新式の六七式自動小銃アサルトライフルを肩から下げた衛兵が等間隔に立つ首都中心部からやや離れ、エルベンヌ大河を渡った先にある堅牢な建物がミズガルズの国防省兼フォート・ステラだった。大国の軍事侵攻にも耐えられるよう五芒星の形状となっており、それぞれ頂点部分に作られた監視塔を支援できるようになっている。内部にも様々な武装が配備されており、近年主流となる対空噴進弾もそのひとつとなっていた。


「クソ……! どうして俺が……!」


 国防省の建物地下に作られた資料保管庫の中で、人知れず懸命に資料を漁るひとりの男がいた。フリッツに脅された、哀れな小悪党にして国防省の職員ヨーナスである。


「なんで……! なんで今になって、こんなヤバい橋を渡らなきゃならないんだ……!」


 誰もいないとわかりつつも、後ろめたさからヨーナスの口を衝いて出る愚痴も小声に抑えられていた。ただしこの愚痴は先ほどから何度も繰り返されている。

 普段から書類整理とは名目ばかりの雑用が主な仕事のため、このエリアに入ったとしても必要以上に怪しまれることはない。

 ――ないだろうが、万一疑惑を持たれる恐れを考えると、通常業務の傍らかつ長い時間をかけてまでは調査できなかった。


「横流しの件なんてとっくの昔に片付けたつもりだったのに、あの陰険野郎め……!」


 毒づきつつもヨーナスは手を止めなかった。

 今の安定した生活を失いたくない一心で、彼は額に汗を滲ませながら部屋の中にずらっと並んだ引き出しを次々に開けて、目当ての資料を探していく。

 普段の仕事ぶりを知る同僚が見れば腰を抜かさんばかりの勢いだった。


「だいたい、手がかりが少なすぎなんだ。偽名を名乗ってたらどうするつもりだってんだよ……!」


“大戦”では、数えるのもイヤになるほど多くの死者が、軍民問わず出た。

 個人を証明するための資料も地方などでは戦火に焼かれてしまったらしく、戸籍のみならず軍籍までもが密かに売買されているといった噂もある。

 これは足を突っ込むと横流しどころじゃない――地方の悪党の依頼以上の危険な案件となるので関連しそうな資料が視界の隅に映っても全力で知らないフリをする。


「ええと、ジークフリート・フォン・ライナントカ……。貴族の出か? 名前と自警団の写真の似顔絵だけで探せってのも無茶苦茶な要求だぜ」


 話は逸れたが、今回探せと言われた男が本当に今も生きている人間とは限らない。巧妙に偽装された可能性もあるが、

 高級軍人の地位や名誉のすべてを捨ててまで地方の山に籠る意味がヨーナスには理解できなかった。

 だからだろうか、彼の雑念が膨大な資料の中から偶然を引き当てる。書類の束をいそいそと捲っているとついに目当てのものに辿り着いた。


「おいおい……なんなんよだこいつは……! 十年前から似顔絵そのまんまじゃねぇか……! いや、そうは言っても魔導猟兵マギス・イェーガー強化兵チューンドだったらこんなもんか?」


 驚きはすぐに静まる。これくらいの若作りなら、科学も魔法も進歩した現代で驚くには値しない。映画俳優ですら若返り術を受けているともっぱらの噂だ。フリッツも始末するには少々面倒な相手とカチ合ったものだと同情するだけだ。


 しかし、続く資料が別管理された棚にあると書かれていて不審に思う。

 仕方なく指定された棚へ行くと、そこには明らかにそれまでとは異なる資料――表に出せないものばかりが並んでいることに気付く。いや、気付いていないふりをしながら目的のファイルを引っ張り出す。

 早く片付けてしまおうとページを捲ったヨーナスの表情は瞬時に硬直した。


「だ、第九特別行動部隊指揮官、ジークフリート・フォン・ライナルト陸軍大佐……。は!? 顔も同じで!? いやいや待て待て待て……!!」


 網膜に映し出された予期せぬものに、ヨーナスは絶句するしかなかった。

 顔写真と名前と最終階級と思われる箇所以外――つまるところ、資料のほとんどが黒く塗り潰されて閲覧不能となっていた。


「生まれからなにからの経歴が抹消されている? どういうことだ……!?」


 疑問の声が喉から絞り出されるも、ヨーナスは黒塗りの下に隠された文章を解読したいとは微塵も思わなかった。

 すでに額の汗は通常のそれではなく、冷や汗から脂汗へと変わってきている。自分の体臭が鼻を刺激した。明らかに極度の緊張状態に陥っていた。


「フリッツ……! チクショウ、あいつは疫病神か……! いいや、俺が関わるのはここまでだ……。資料だけは複製してくれてやる……。だが、もう二度とこんなのに巻き込まれるのはご免だ……! 報酬も要らねぇ……!」


 ほぼほぼ独り言そのままの言葉をメモに殴り書き、ヨーナスは複写機で密かに写し取ったそれを地方行きの郵便の中へと投げ込むように紛れ込ませた。一刻も早く“それ”から離れて、イヤな記憶を酒で吹き飛ばしたかったのだ。

 最後の仕上げは機密情報の横流しとしてはどう見ても雑だったが、それだけに同僚たちは彼の行動を不審に思わなかった。いつものようにさっさと仕事を切り上げて飲みに行きたいのだろうと片付けてしまったほどだ。



 一方、そのようなノイズには左右されない人間も存在する。


「――以上が現在の状況です。フロイド氏は現地で身罷られたようですが……」


「ドクターの件は残念だったが、本人たっての希望でもあった。ここまでは予定通り――いや、少し面白い方向に転がっているか」


 国防省最上層階のとある個室。部下から報告を受けた中年の男が小さく頷きながら答えた。

 整えられた灰色の顎髭を撫でる姿は、鍛え抜かれた肉体も相まって貫禄に満ちており、肩の階級章はそれらの裏付けとして、ブラインドから差し込む日差しを受けて金色に輝いている。


「よろしいのですか? 大佐を復帰させるなら支援を行わなくて……」


 少佐の階級章を付けた若い士官が、最後にそっと問いかけた。


「君は現役時代のあいつを知らなかったな。魔導騎士マギス・ナイツの隊長を務めた人間なら、この程度のチンピラ程度に翻弄されまいよ。それに正式に復帰するまで我々とは無関係だ。憲兵総監にも目を付けられたくない」


「つまり漏れ聞こえてくる数々の伝説は誇張ではないと?」


 少佐には疑念の表情がはっきりと刻まれていた。

 実戦を知らない戦後組だけに、魔導騎士部隊の残した数々の戦場神話を誇張表現と思い込んでいるフシがある。

 当然、軍の中には実際よりも盛られた戦果はいくつかあるが、第九特別行動部隊の戦果だけは一切誇張されていない。それどころか敵情報を攪乱するため、わざと戦果を世間に公表していなかった。それを知らないのだ。


「“大戦”中の彼らは本当に凄まじかった。だが、月日は人間を鈍らせる。あいつとて例外ではないだろうが、それくらいなら乗り越える気概はあるはずだ」


 懐かしげな笑みを浮かべる上官に、少佐は「また昔話か……」と言いたげな視線を送る。幸いにして回想に夢中だったため気付かれずに済んだ。


「ちなみにヨーナスはどうされるのです?」


 これ以上聞いていても仕方ないと判断した少佐は話題を変えた。


「情報漏洩を見逃すのかと言いたいのかね?」


「はい。今は復興の時期です。あのようなスキャンダルに結びつきかねない者を放置しておくのは……」


 直接的ではないが“始末”は必要ないのかと問いかけていた。


「あの程度の小物なら放っておいても構わん。小悪党なりに分は弁えているようだ。まぁ、仕事ぶりがマシになるよう、少しくらいのプレッシャーはかけてもいいだろう。味を占められても困るからな」


 上司の決定に少佐の眉が動く。あまり納得のいっていない様子だった。


「ついでに、それとなく敵対組織に情報を流してやれ。ゼーリンゲンの抗争が少しはマシになる。ああ、海外系の組織じゃないぞ。工作員愛国バカどもが入って来る」


「……ではそのように」


 一礼して退室する部下を見送った男は短く息を吐き出して椅子に背中を預けた。


「案外、会わせてみたら面白そうだな。早くここまで辿り着いてほしいものだ」


 わずかに刻まれた皺以上の経験を裏付けるように、鷲の眼にも似た灰色の瞳が妙にぎらついた輝きを放ちながら窓の外を見つめている。双眸に揺らぐ感情は紛れもなく期待のそれだった。


「……いよいよ表舞台に戻って来る決心がついたか、“同盟の死神ジーク”。“大戦”は終わったが……今度は何をしでかしてくれる……?」


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