第29話 上より前を向いて
「……こいつらアホなのか? 我先と敵地に飛び込んでくるとか……」
部屋の中に立ち込めた粉塵が次第に晴れていくと、魔力障壁を張ったジークの姿が現れた。大量に撒き散らされた金属球が障壁にいくつもめり込み、青白い魔力の粒子を発生させていた。
――こんなにさっくり片付いていいのか? 本隊が他にいるんじゃないだろうな?
あまりに呆気なく片付いてしまったせいで、逆に罠なんじゃないかと疑念を抱く。念のため警戒の魔力走査を行うが、周囲に潜む反応はない。さすがに拍子抜けだった。
「あーあ、畜生。掃除する場所がもっと増えちまった……」
あたり一面――血やら臓器やらがへばりついた壁を辟易した表情で眺めながら、ジークは大きく溜め息を吐き出した。
建物ごと防御処理を施しているため鉄球が納屋を破壊するようなことはないが、へばりついた汚れまでは魔法でも簡単には落とせない。放水魔法と過熱魔法を使いながらブラシで根気強く磨くだけだ。増えた仕事に暗澹たる思いになる。
「ずいぶん派手な音がしたのう」
様子を窺いにアインがやって来た。
さすがに指向性対人地雷の爆発まで起きれば気になるらしい。もしかすると最初から乱入する気でいたのかもしれないが。
「行儀が悪いぞ」
「そう言うでない。相棒が心配で見に来たのじゃよ。必要なかったみたいじゃが」
口ではそう言うが疑わしいものだった。
アインの両手にはボトルとグラスが握られている。どうもこの数日の間で
いや、中身が邪神だけにアルコールでやられるヤワな肝臓をしているとは思えないが……。
「魔法どころかトラップだけで片付いちまった。
無論、虫退治に対人地雷などは使わない。
「ひどい有様じゃな。酒が不味くなるのう」
壁にできた前衛芸術を見てアインはわずかに顔を顰めていた。
「ひとりくらい生き残ってるやつがいるかもなんて横着しなくて正解だった。案の定
唯一の生き残りである気絶した男を床に放り投げてジークは肩を鳴らした。ある意味ではここからがひと仕事である。
今はミンチになった男たちが盛大に銃をぶっ放したタイミングで見張りへ奇襲を仕掛け、ひとりは見ての通り昏倒させたが、残りは頚骨をへし折って始末してある。
「なにか聞き出すわけかの?」
「せめて雇い主くらいはな。そうでないと今後の方針が決められない」
井戸から汲んだ氷混じりの水を用意してジークは男を椅子に座らせ身体を縄で縛り付ける。
「方針とな?」
「おそらく……ちょっとした抗争になる」
短く息を吐いたジークの表情に苦いものが混ざる。
相手がこちらの脅威度を精確に理解していないからこそ、より厄介な事態になる場合もある。
「今回失敗したのが雇い主に伝われば諦めるか、より頑なになって全力で殺しに来るかだ」
「ふむ。わたしにはわかりかねるが、素直に諦めると思っておらぬわけじゃな?」
アインが小首を傾げて疑問を呈する。
「まずあり得ない。こういう手合いは舐められたら負けだ。それだけに面子にやたら拘る。最初に全力で来なかったのはこちらの実力を把握していなかったからだ」
こうして巻き込む人間が増えていくと、失敗の噂もまた加速度的に広がっていく。潰された面子をどうにかするため引くに引けなくなって、ますます意固地になるのだ。
「たしかにジークの素性を知っておれば、このようにはなっておらぬな。どうする、下山は延期するか?」
ワインを飲みながらアインが笑う。もうボトルが空になっている。
ジークは苦く笑うが、それは目の前の相棒に対してだけではなかった。
「いや、町に下りるのを延ばしても無駄だ。おそらく今度は孤児たちが狙われる。ここからが本当に厄介だ」
襲撃が失敗に終わったことで相手はより警戒を強める。
自分たちの情報も向こう側に渡るわけで、これまで数回町に出て孤児院に出入りしていたことが知れれば弱い部分を狙おうとリーネたちも巻き込まれる。情報の漏洩はすでに確定したくらいの感覚でいるべきだ。
「守りながら敵に勝つ必要があるわけか……。面倒じゃのう。皆でここに籠ってはどうじゃ?」
「上だけじゃ手狭だが、下は軍事機密の塊だ。武器は引っ張り出して使ってもいいが、あそこの存在だけは知られるわけにはいかない。疑念すら危うくなる」
もっと不味いものの存在が世にバレてしまう。新たにここを狙って来る人間が生まれるだけだ。
「俺とアインだけでどうにかなる話じゃないな。言い方は悪いがもっと巻き込める仲間が必要だ。計画おまえ倒し気味にでも推し進める必要がある」
どうにも頭が痛くなってくる。まさか町を戦場にするわけにもいかない。それでは規模が小さいだけで“大戦”と同じだ。荒事はひっそりと片付けるのが紳士の嗜みだ。
「巻き込めるのは……いいとこ院長の戦友までだ。どこまで頼りになるかわからんが……」
「かつての仲間は頼れぬのか?」
「仲間ねぇ……」
指摘を受けたジークは腕を組んで逡巡の表情を見せる。見るからに気が進まないといった様子だった。アインは相棒が口を開くまで言葉を控える。
「何人か生き残りはいるが長らく連絡は取っていない。戦後まで縛り付けたくなかったからな。仮にツテがあっても『生き残りの
口にはしなかったが、自分同様彼らにも寿命に関する不安がある。
自分はあと十年くらい何とかなるらしいが、もしも個体差があるようであればもう生きていない可能性もある。
「どこまでも難儀じゃのう……」
「……さて、それはどうかな」
ふっと笑ったジークを見てアインが意外そうに目を
「不謹慎だがな、困難だからこそやり甲斐があるって思い始めてるんだよ」
ジークの言葉には今までにはない活力が感じられた。アインには先日口にした決意がようやく形を成したように見えた。
「ほう。これまでとはずいぶん面持ちが違って見える。ちょっと前までうじうじしていたものを。何か心変わりでもしたか?」
「……まぁな。少しでも世の中を変えようってんなら、俺自身も変わらなきゃならない。待ってるだけの時間はとうに過ぎた。上向きとはいかないかもしれないが――前だけは向いておきたいからな」
それに――残された時間を、与えてもらった時間を無駄にはしたくない。
「ふふふ、おぬしも案外物好きよなあ。じゃが、そういった気概は嫌いではないぞ」
アインには呆れ混じりに笑われたが、あまり悪い気はしなかった。
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