第27話 紅に染まる


 ハンネスとの会話を終え、ジークとアインは山小屋へ戻って来ていた。


 帰りしなに今後について簡単に話した結果、数日以内には自分たちも山を下りることを決め、しばらく町に逗留できるだけの荷物をまとめに来たのだった。


 ここから先は院長の人脈が未だ残っているかに左右されるため、本格的に話が動き出すにはしばらく時間がかかるはずだ。

 それまでジークは町で草案をもっと詰めていき、また可能な範囲でリーネの訓練を続けるつもりでいた。


 なんだかんだと小うるさいが、リーネはバイタリティのある少女だ。放っておけばまたぞろ無茶なことをしでかさないとも限らない。それでは本末転倒、何のためにハンネスに協力するのかわからなくなってしまう。


「とりあえず必要なものは……」


 いくつかの案を頭の中でまとめながら、ジークは風を操って小さなつむじ風の群れを作り、リビングの埃を器用に集めていく。


「マメじゃなぁ。とはいえ、幾多の魔導士が見たら卒倒するような魔法で掃除をするのはいかがものかと思うのじゃが」


 早くも日課となりつつある晩酌をしながらアインが語りかけてきた。

 ソファに身体を預けて足を伸ばし、サイドテーブルのグラスを手に取る。仕草はすさまじく様になっている。


「仕方ないだろ。居候が人間の姿になっても酒ばかり飲んでいて働きやしないんだぜ?」


 ジークはわざとらしく眉を寄せて嫌味混じりの言葉を返す。

 無論、そうは言ったしたものの、彼はアインに手伝ってほしいなどと思ってはいない。秘蔵の酒を勝手に飲まれるのも、これまでカラスの姿を強いてきたこともあって罪滅ぼしのつもりで黙認してもいた。


 自分のコレクションに手を出されれば心中穏やかではいられないが、アインはまた絶妙な塩梅で銘柄をチョイスしてくるのだ。この嗅覚は脅威だ。


「うーん聞こえぬなぁ。……されど、単なる無駄遣いと断じることもできぬか」


 優雅にグラスを傾けながらもアインはジークの目的を見抜いていた。掃除は建前というかついでで、真の目的は魔力の細かい制御をこなせるようにしているのだ。


「派手な魔法をぶっ放すとまた山が騒がしくなるからな。見た目こそ地味な作業だがこりゃ結構大変だぞ」


“大戦”終結から十年。秒単位の判断や動きが生死を分ける戦いから遠ざかっていたこともあり、早急に感覚を取り戻さなければならなかった。古代竜と戦うとまでは考えたくないが、できる限り備えねばならないと思っている。


「たしかに最低限の魔力で事象を引き起こし複数制御するのは、人間の脳の演算能力では至難の技じゃろうな。それで掃除とはわたしにも考えつかぬ」


 感心した口振りに聞こえるが、実際のところ呆れているのは明白だった。


「半日がかりで用意して一撃で数千人を殺せる戦略級魔法よりも、秒単位で敵を殺せる魔法の方が効率がいいし確実だからな。そこは見極めも必要だが、今はとにかく手数を増やしたい……」


 制御にまだ納得いかないところがあらしくジークは魔力の調整を行っていく。


「あのなぁ、ジーク。酒の席じゃ、生き死にの話を出すのはさすがに無粋ぞ? ……で、なにゆえ掃除なんぞしておるのじゃ?」


 文句を言われ、次いであらためて問いかけられた。アインは干し肉を口へ運んでおり、ワインを飲んでいる今、埃が舞うのがイヤなのだろう。


「……ついでだよ、ついで。しばらく留守にするからな。十年も暮らせばいい加減愛着も湧く。最低限綺麗にはしておこうかと思ってね」


 小さく鼻を鳴らしてジークは答えた。


「ふーむ、そんなものは明日にしろと言いたいが、粗野な者が多い男にしては殊勝な心掛けじゃな」


 アインからすれば埃が舞うからイヤなのだ。実際ジークの魔法はかなりの精度でゴミを集めているのだが、どちらかといえばこれは気分の問題だった。


「ところで――そなたの言う掃除というのは、?」


 不意にグラスを傾けようとしたアインの声がわずかに低くなった。

 ジークもほぼ同じタイミングで気付いていた。相棒は「よもやわからぬことはあるまいな?」と問いかけているのだ。


「……やだねぇ、こんな遅くに不躾な。夜の山を登ってきた根性だけは褒めてやらんでもないが」


 小さく溜め息を吐いたジークは、つむじ風の群れを部屋の中央に集め、埃をひとつにまとめてつたを編んだゴミ箱へと入れる。外に漏れるものは一切なかった。


「ジーク、有象無象の相手はそなたに任せてよいか?」


 グラスが乾かされ、新たな中身が注がれていく。赤い液体とガラスが蝋燭の火を反射して美しく揺れていた。


「どうせ動く気もないんだろう?」


 片手にゴミ箱を持ったままジークは肩を鳴らした。

 かたや相棒は優雅に人のワインを飲み、かたや自分は家事に勤しんでいる上に招かれざる客の対応までしなければならない。この差はいったいなんなのだろうか。


「ぬ? その反応はいささか心外じゃな。わたしが出て行ってもよいのじゃが、仮にも我が相棒を名乗るならこの程度の気配をさくっと始末できないようでは困る」


 もっともらしい言い訳であり、同時に事実でもあるだけに言い返せなかった。


「はいはい。それじゃあ、“ゴミ出し”に行って来ますよ」


 外套を羽織りジークは外へと出て行く。武器も何も持たず、片手にゴミ箱、反対側の手にはランタン。


 相棒を見送るアインが静かに揺らすグラスの中では、赤い液体が小さく渦を描いている。


「同じ赤でもこちらの方がずっと美しいものよの……」

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