第26話 誤算


「山に入れなくなっただと!?」


 拳が机を叩く音と同時に怒鳴り声が上がった。

 衝撃のあまり、灰皿の上に置かれていた葉巻が新調したばかりの机の天板に落ちてしまうが、当人は怒りでそれに気付かない。

 頬に大きな縫い傷のある巨漢――エッカルトは報告を受けてそれほどまでに怒り心頭となり、目は興奮のあまり血走っていた。


 彼は地方都市ズーリンゲンの裏社会を仕切る犯罪組織のトップであり、元々裏社会に繋がりを持っていた中で国家徴兵を受け、数年間“大戦”にも参加していた。

 復員どころか生きて帰れることすら微塵も期待していなかったが、いい具合に邪魔な同業者が戦地で地面と一緒に砲弾で耕されてしまったため、運よく今の地位へと滑り込むことができた、まことに幸運の持ち主である。

 今では同じ部隊に所属していた“同業者”たちとのコネクションを利用し、東から流れて来る麻薬や軍の横流し品、果ては人身売買にも手を染めていた。


「“先方”からの連絡だと、受け渡し場所の下見に入った連中は全員帰還せず。後日捜索に向かった連中も大型魔獣たちが妙に殺気立っていてやむを得ず引き返して来たそうだ」


 側近を務める痩身の男――フリッツが神経質そうな表情のまま答えた。

 彼もエッカルトとは故郷のみならず所属部隊まで同じ身の上で、荒事を得意とするわけではないがマフィアのフロント企業の前歴を持ち、下手するとボス以上の人脈を有していた。


「バカを言うな! 魔獣の領域くらい容易くすり抜けられると言ったから仲介料もそれなりに払ったんだろうが! 連中、ちゃんと原因は調べたのか!」


「当然調べた。報告も受けている。裏取りで近くの山で猟をしている退役軍人の狩人からも聞いたが、どうも何者かが派手に戦った痕跡があったらしい。誰かが魔獣とやり合ったんだろう」


「はぁ? 魔獣とだと? いったいどこのイカレたバカがやらかしたっていうんだ!?」


 怒りのままに叫んでいるが、エッカルトはこの時点で直視したくない事実に心の底では気付いていた。

 たった一体でも大型魔獣を相手するには正規軍の出動を必要とする。そのような化物とやり合う、イカレた人間が近くにいる可能性に。


「目星はついている。ヴィファーテン山の中に住んでいて、町にも滅多に出てこない自警団のヤツがいるらしい。そいつがどうも怪しくてな」


「今更カタギのひとりやふたり始末するのにビビリはしないが、確証はあるんだろうな?」


 無駄に殺してしまえば警察からの監視が強まる。面子を保つことも必要だが肝心の“本業”に支障が出るようでは三流以下だ。賄賂にしても手間がかかる。


「警察にも鼻薬を嗅がせた。“ブツ”を現地調達しようとしたバカどもを捕まえたのもそいつだって話だ」


「そいつは本当に自警団なのか?」


 勘が騒いだとはいえエッカルトから出たのは率直な疑問だった。


「少なくとも今はな。見た目は二十歳はたちそこそこの若造らしいが、どうせ元軍人だろう。外見くらい魔導猟兵マギス・イェーガー強化兵チューンドならそう難しくなく偽装できるからな」


「ちっ、“大戦”の厄介な置き土産だな。だが、ブルってなんかいられねぇ。元軍人ってぇなら俺たちだってそうだ。邪魔なヤツはさっさと始末しちまうに限る」


「まぁ待て、エッカルト。敵を知ればその分リスクも減る。今の時期、信頼できる部下も失うわけにはいかない」


 この十年でそれなりの地位こそ築き上げたが、優秀な人材だけは常に不足している。


「知るってどうするつもりだ? 俺たちの使えるネットワークなんてタカが知れてるぞ。使いっ走りのアホならいくらでもいるし用意もできるがな」


 エッカルトは自嘲気味に笑う。

 彼らの所属していた部隊は素行があまり良くなかったせいで終戦直後に解散させられ、指揮官も責任を問われ軍刑務所に入れられている。まともなやつは早々に他の部隊に転属させられ、長らく会っていないため連絡も取れない。軍を放り出された仲間同士でどうにかやってきたのだ。

 口にこそしないが、自分たちがチンピラに毛が生えた程度の存在だと自覚はしていた。


「だからそう慌てるな。メルハウゼン――国防省に古い知り合いがいる」


「役人なんて信用できるのか」


 エッカルトは難色を示した。


「大丈夫だ。“大戦”中から物資の横流しをしてやがったヤツだからな。その話をチラつかせたらこれくらい調べてくれるだろうよ。動くのはそれからでも遅くはない」


「……本当におまえは人脈が広いな。まぁ他国にまで顔が利くんだ。右腕として高い報酬を払っているだけのことはある」


 同じ穴の狢であれば裏切りはしまい。ひとまずエッカルトは納得した。


「ふん、この才能を国が認めていればもう少し世の中のために働いていただろうよ」


「安心しろ。少なくとも俺のためにはなっている」


 ボスからの賞賛にもフリッツは笑いもせず、軽く手を振るとそのまま部屋を出て行った。


「…………」


 しばらくの間、エッカルトは虚空を漂う紫煙を眺めていたが、やがてひと口葉巻を吸うと電話の受話器を手に取りダイヤルを回した。

 未だ電信すら行き渡っていない中で方々に手を回して無理矢理引っ張ったものだ。この世界では情報が命。誰よりも早く動くにはどうしても必要だった。


「俺だ。腕利きでなくてもいい。荒事慣れしているヤツを十人くらいすぐに集めろ。そうだ、金で雇え」


 裏社会で幾多の修羅場を潜り抜けてきた嗅覚が、「問題は早めに取り除け」と強く訴えていた。フリッツはどこまでも慎重論を口にしていたが、エッカルトはどうしてもその案を選べなかった。


 この時点で彼の下した判断は間違っていなかった。

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