第23話 提案

 窓の外では孤児たちが今日も元気に走り回っている。そんな日常そのものの光景を尻目に、ハンネスは何とも言えない不安感を覚えていた。

 悩むに悩んだ末にひとまず預けたリーネがほんの数日で戻って来たこともそうだ。無論、彼女ひとりが帰って来た程度ですぐさま孤児院の運営に影響が出るようなことはない。

 それよりもハンネスが気になるのはリーネが口にしていた「山の様子がおかしくなったみたい」という部分だ。


「もう長いこと生物災害は起こっていませんが、それだけに気になってしまいますね……」


 もしも起きればこの町はひとたまりもない。

“大戦”終結後から軍が大規模に縮小された関係で、平地の国境線から遠いこの町の近くには正面装備を有した部隊が駐屯していない。

 ミッドランドの屋根とも言うべきヴィファーテン山脈が天然の要害となり、大型魔獣の生息域となっていることで、ここは“大戦”時にも人間同士の争いに巻き込まれずに済んでいた。それゆえ、ひと度魔獣が暴れ出した際に阻止できるだけの力がないのだ。


 今となっては兵士としての能力も錆びついているが、一度身に着いた勘だけはまだ辛うじてハンネスの中で息づいている。それが不安を訴えかけていた。

 当然のことながら、ジークやアインがすでにこの地を救っていることなど彼は知らない。

 そんな中、私物らしき私物もほとんどない院長室のドアがノックされ、ひとりの青年が顔を出す。


「ごめんください」


「ジークさん。いったいどうされたのですか?」


 溜め息を吐いたところだったハンネスが驚きの声を上げた。

 一週間ほど前に知り合ったばかりの青年ジークが後ろ手にドアを閉めながら、少しだけ申し訳なさそうに会釈をした。ハンネスの言葉に含まれたあれこれに気付いたからだろう。


「どうも院長先生。誰も出て来なかったので勝手に入らせてもらいました。今日は相談があって伺わせてもらったのですが……」


「そうですか。こちらもいくつかお訊きしたいことが。……それとそちらの女性は?」


 青年は見慣れない女性を伴っていた。

 すっかり男としてのあれこれは遠い昔に置いてきたつもりのハンネスだったが、それを差し引いてもドキリとしてしまうほど美しい女性だった。目が吸い寄せられるというか、まるで魔力のようなものが働いているように感じられる。


「これは挨拶が遅れました。こちらは古い知り合いのアイン」


 ジークの紹介を受けてアインと呼ばれた女性が「よろしく」と言いそっと頭を下げる。


「しばらく前に偶然町で出くわしましてね。今は手伝いのようなものをしてもらっています。それで早速本題で恐縮なのですが……」


 ジークにしてはどこか神妙な表情だった。それに気付いたハンネスは相応の話があるのだと居住まいを正す。


「ああ失礼。相談でしたか……? それは構わないのですが先にひとつ教えてくださいませんか」


 問いかけながらハンネスは、くたびれた応接用のソファーへ座るようジークたちを手で促した。


「まずはどうぞ」


「ありがとうございます」


 軽く一礼してからジークは腰を下ろし、アインもそれに続く。


「リーネを帰して来られましたが、つい先日山に行かれたばかりでしょう? 戻って来た彼女にも訊ねましたが、いまいち要領を得なくて――」


 遅れてソファーへ腰を下ろすハンネスの表情には不安が滲んでいた。山ときてリーネが返されたのだとすれば予想され得る事態は限られる。


「ああ、山での件ですね。一応後で詳細は説明しますが、結論から言えばひとまずの危機は乗り越えました。先生が懸念される生物災害の危険性はないと思います。ただ、しばらく近寄らない方がいいと判断してリーネを先に避難させました」


 前置きもそこそこに本題に入ろうとしたジークだが、ハンネスの反応を見てさわりだけ言及することにした。

 緊急性がないとわかってもらえれば、細かい話は後でも問題ないだろう。実際、今の説明で納得できなかった様子は見受けられない。むしろ明らかな安堵の表情だ。


「おそらく役所的な回答だけで動いてはもらえないでしょうが、後ほどで結構ですので軍のオフィスにも報告は上げておいてもらえませんか。まずはお話を進められたいようですし」


 ハンネスらしい慎重な対応だ。元軍人だけあって常に最悪の事態に備えている。ジークは感心しながらそう思った。


「ええ、そちらは必ず。――さて、あれから私なりに色々と考えてみました」


 ハンネスの視線が強まった。孤児院のこととなれば彼にとっては最優先事項なのだ。


「知り合ったのも何かの縁かと思い、孤児院の経営状況の立て直しに少しでも貢献できるようリーネをお預かりしました。ですが、やはりそれでは解決策にはならないと思いまして。今回相談と言いましたのは、院長先生にもご協力を願おうかと思い付いた次第です」


 リーネをジークに預けたハンネスも今のままでは焼石に水だとわかってはいた。

 彼女ひとりがいても大きく変わらないということは、逆に言えば彼女ひとりが院を離れても根本解決はしないのだ。彼自身の軍人年金と国からの幾ばくかの補助金を得てギリギリのところで回している現状だった。それではジリ貧だ。


「私にできることであれば。ですが、以前も申し上げたように、この孤児院に資金といったものは……」


「あるではありませんか。


 ジークの言葉が何を指しているか理解したハンネスは目を見開き、膝に負った後遺症すら忘れて腰を浮かせかける。


「ちょっと待っていただきたい! それではそこいらのゴロツキとやっていることが同じでは――」


「いえ、早合点はなさらないでいただきたい。私がやりたいことは孤児たちを少年兵にするとか身売りをさせるとかそういう話じゃありません」


 平静を崩さずジークがハンネスを正面から見据えて返した。すると院長も腰を元に戻す。もう少し話を聞いてくれるらしい。


「私が気になっていたのは――ある種の偏りです」


「偏り?」


 ハンネスが小さく首を傾げた。


「ええ。軍を縮小したはいいものの、ミズガルズには復興を始めるための土台がまるで整っていない。本来このような話は政府主導でやるべきでしょうが、おそらくその余力すらない状態です。情けないものですね。三十年以上も前はミッドランド中央で覇を唱えた国の片割れだというのに」


 会話の途中でありながらハンネスは“あること”が気になり始めた。

 青年の語った三十年前とは“大戦”が勃発するより昔を指しているのだろう。

 やはりおかしい。それをまるで見てきたように話すこの人物はいったい……。


「やや話は逸れましたが、国が頼りにならないのであれば――


 ジークから放たれた力強い声にハンネスの意識が引き戻される。

 前回に会った時とは、青年の持つ雰囲気が少し変わったように感じられた。


 目の前の青年にそのような背景などあるはずもないが、喩えるならまるで一線を退いていた老兵が再び戦地に舞い戻ったような気配が近いだろうか。

“大戦”時に過去の紛争に参加した古参兵士たちとどこか似た空気を醸し出していた。


「我々の手で……」

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