第20話 これから


「はぁ……。どうするんだよ、マジで。これでしばらく山にいられなくなったぞ」


 ズリズリとソリが雪の上を滑る。

 ジークは魔法を使うこともせず盛大に溜め息を吐き出した。割と真剣に疲れていた。


「む。よもやわたしが原因だと言いたいのか?」


 ジークの背中に不満げな声が投げかけられた。


「そうだ。よく皮肉がわかったな。こっちの世界にだいぶ慣れたと見える」


 小さく鼻を鳴らしたジークは振り返りもしない。

 結局またあのソリを引っ張って山を行く羽目となり、そちらにはアインがだらしなく座っている。戦いで張り切り過ぎて魔力切れになったと強弁しているが絶対に嘘だ。

 出し入れ自在の翼を使えば飛べるのに、わざわざ相棒に引かせるあたりがなんとも彼女らしい。

 見た目と口調が多少変わったところで、中身は何年も連れ添った“相棒”のままだった。……良くも悪くも。


「人のせいにするでない。今回の事態を招いたのは間違いなくジークじゃぞ」


 なじられたアインは器用に頬を膨らませてむくれた表情を作る。

 段階壱フェーズ・ワンの少女の姿でやったらもう少しサマになっていたかもしれないが、見た目きっちりした格好の美女がやるとどうにも違和感がひどい。

 たしかに可愛げはなくもないのだが、先ほどの大立ち回りを思い出すと素直に認める気が起きなくなるのだ。


「だとしても俺はおまえの召使じゃないんだよ。少しは自分で歩け。重いだろ」


「むむ。いくら外なる世界から来たとはいえ、仮にも女人にょにんの姿をしている者に対してそうした物言いは失礼じゃろうが」


 体重に言及されたことを気にしたアインがソリから下りると、その辺にあった石を無造作に蹴り飛ばす。


「はいはい。そういう扱いをしてほしいなら相応の態度――」


 生じた凄まじい音にジークの言葉が途切れる。周囲の木々からも驚いた鳥たちが飛び立っていく。


「…………」


 石の直撃を受けた木の幹に並々ならぬ音ともに大穴があいていた。

 どうやらアインの蹴りは20mm機関砲弾を超える破壊力を持っているらしい。ひんやりとした冬の空気が漂うにもかかわらず、ジークの頬をひと筋の汗が流れていった。


「……あのなぁ。これくらいで不貞腐れるなよ」


「ふん、不貞腐れてなどおらぬわ」


 つーんとそっぽを向いてむくれるアイン。どう見てもそうとしか思えなかった。

 しかし迂闊な真似は厳禁だ。下手なことを言えば今度はあの石が自分に向かって飛んでくる。ピアスくらいならさておき顔面や胴体に大穴は要らない。


「さっきのはそりゃあ浅慮だったよ? けど、ああなっちまったからにはこれ以上の騒ぎを起こしたくないんだ」


 とりあえずジークは動揺をひた隠しにして、本音も心の中に仕舞い込み、それらしき理由を並べて誤魔化した。

 段階弐フェーズ・ツーまで拘束術式を解放したアインの機嫌を損ねると命がいくつあっても足りない。こういう時の勘には素直に従った方がいい。


「やれやれ……。な~にを弱気なことを言っておるのじゃそなたは」


「あん? ちゃんと山を出るって一大決心しただろうが。今だと国も守ってくれるかわからないんだ、そう簡単に無茶なんかできるか」


 自身の命の危機以上に、“軍での扱い”が気になるのだ。

 ジョナサンは予備役と言っていたが、正確なところはわからないままだ。

 きっちり生体兵器として登録されているのか偽の経歴カバー・ストーリーが用意されているのかすらはっきりとしない。くたばる前に問い詰めておくべきだったと後悔する。


「小さいことばかり気にする男じゃのう……。だったら、さっさと必要な手続きを済ませに行ったらどうなんじゃ。その方が話は早いであろう」


 雑事から解放されるのはアインの言う通りなのだが、そう簡単にはいかない理由もある。


「わざわざメルハウゼンまで行けってか? だとしてもまだここでやることがある」


「ここは即答せぬか。竜を相手に大見得を切ったくせして少しばかり締まらぬな」


「ぬぅ……」


 ぐうの音も出ない。実際自分でもそう思った。


「ふむ、あの小娘リーネのことか。最初のつれない態度のわりにはずいぶんと気にかけておるのじゃな」


 不意にアインの向けてくる視線が強まったような気がした。

 自分が何をしたというのか。どうにもこの相棒の感情は時として読みにくくなる。


「それも含めた町のあれこれだな。引き受けちまったからには中途半端なことはできない。仮にメルハウゼンに行けばいつ戻って来れるか、そもそも戻れるかさえわからないからな。それくらい覚悟して行かなきゃだよ」


 不意にジョナサンの顔が脳裏に浮かんだ。


『未だ世界は英雄の力を必要としている。そんな危うい時代だから、君には隠遁なんてまだ早いと思うんだよ』


 残された日を共に過ごす中で、老紳士の口にした言葉がふと思い起こされる。


 ――先に逝っちまうくせに、勝手なことばかり遺していきやがって……。


「やっぱり暗いのう……。せっかく自由な身体を手に入れたのじゃ。山を出たとはいえ狭い世界に籠っていてどうする。わたしはもっと色々な場所を見てみたいぞ。南の国とかあるのじゃろう? せっかくならそちらにも行ってみたい」


 邪神が南の島に行って水着でバカンス? まるで笑えない光景だ。いや、たしかにそれも悪くないのだが……。


「……まったく、どいつもこいつも勝手なもんだ」


 ジークは何度目かの溜め息を吐き出した。それは先ほどよりも、ほんの少しだが軽いものになっていた。


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