第16話 解放


『おい、ジークッ!! おまえ、!?』


 なんのことやらとは言わなかった。

 すでに周囲に潜んでいた魔獣たちの殺気はこれでもかと膨れ上がっている。当然、ヤツらは生きている獲物の存在にも気付いていた。


「……まさか。敵が思ったよりも腕利きだったんだよ。反撃を防ぐ間もなかった」


『待て、なんだ今の“間”は! そのように弱気なのが名高い『同盟の死神グリム・リーパー』のセリフなんて信じられるか! おまえの腕なら三人とも同時に倒せただろう!』


 不可能ではなかったが、おそらく結果は同じだったと思う。

 瞬殺するために無茶をしようとすれば魔力の瞬間的な爆発が必要だった。そうなれば人間よそものの放った魔力に敏感な魔獣たちは絶対に気が付く。


 情報だけ得られた。そう割り切って、あのまま身元不明の兵士たちを放っておいて山を下りるか、手を出す代わりに気の立った魔獣たちまで相手取るかしか、初めから選択肢は存在していなかったのだ。


 それでもジークは対峙を選んだ。

 あの兵士たちがこの国、あるいは他の場所であっても誰かに危害を及ぼす可能性があるなら、火種はここで潰しておかねばならなかった。


 “大戦”で生き残った者の責務として――


「おいおい、俺は“相棒”の実力を信じたんだぞ? それだってのにずいぶんひどいこと言ってくれるよなぁ」


『……ああもう! だったら早く拘束術式バインド・チェーンを解放しろ! この気配の数が相手じゃ!』


 すでに周囲の空気が震えるような気配が漂い始めていた。

 腹の底から揺さぶられるような殺気の胎動が不可視の波となって押し寄せる。


 山奥という、人間からすれば遥か奥地にありながら、そこに生息する魔獣たちは大地の霊脈から流れ出る濃密な魔力を求めて外の世界には出ず留まっている。

 本能的に自分たちが支配者として振る舞える場所を弁えているのだ。


「しゃーねーなー。単におまえが暴れたいだけなんだろうけど……」


 今になってはもう麓へは逃げられない。そのようなことすれば、近年で最高クラスの生物災害が発生する。ここで食い止めるしかない。たったふたりだけでも。


「――起動イグニッション拘束術式解放バインド・チェーン・リリース段階壱フェーズ・ワン


 表情を戦闘モードに切り替えたジークは、簡潔ながら高濃度の魔力を込めた詠唱を開始する。


「いいぜ。なかなかない機会だ、少しくらいは暴れさせてやるよ。“相棒”――いや、“完全なる邪神アイオーン”。この大地の支配者ヅラしている連中に力を振るう姿、俺に見せてみろ」


 無粋な火薬の炸裂音に腹を立て、山の奥から次々に強烈な気配が近付いてくる。

 この前も猛威を振るいかけたデミ・ドラゴンの成体や、凶悪無比な灰色熊グリズリーが寒冷地で魔獣化した超成熟体である銀腕熊シルバークロー、あるいは気配遮断の魔法に特化して深林の狩人に昇りつめた二尾毛狐ダブル・テイルなど。


 大規模な軍の部隊を呼ばねばならないほどの魔獣が無礼な侵入者に鉄槌を下すべく怒りのままに迫って来ている。

 山奥の土地で薄氷の上に成り立っていた力の均衡が今や完全に崩れて去ろうとしていた。


『気前の良さは美徳だな、我が相棒ジーク! ならばお望み通りにご照覧あれ!』


 叫びの波を響かせ、ふたたび大空へと舞い上がったアインの周囲にいくつもの色に輝く魔法陣が出現した。


「ご照覧あれ? アインが言うとずいぶん皮肉が効いて――いや、あいつのことだ、


 呆れ返るジークの視線の先では、複雑極まる構成術式が見ているだけで精神干渉を引き起こしかねないほどの魔力を放射していた。

 周回起動を描く術式は自身もまた高速で回転し、ついには重なり合うように一列に並ぶとそのままアインの身体へ入っていく。

 次いで内部から飛び出てきた鎖の形をした魔力製の拘束術式がひとつ、錠前と共にガラスのように大きく砕け散った。


『ははははははは! 我こそ完全なる邪神アイオーン! 怨嗟の産声とともにこの世界に呼ばれ狩人に殺され、矮小なる身に押し込まれていたが、それも今日が新たなる降臨の時となった!』


 周囲の大地から発生した光の粒子が集まり、一本の流れとなってアインへと流れ込む。

 上げる哄笑といい、それらしきセリフといい、まるで新大陸にあるセイクリットウッズ映画の最後の場面で対峙する強敵のようではないか。いや、実際にジークが十年ほど前に初めてアインと出会った時はまさしくだった。


「フラストレーション溜まってるんだろうが――わざとらしいご託はいいからさっさとやっちまえ」


『ははは! いいぞ、いいぞ! 魔力が漲る! 今なら山の霊脈からも吸い上げ放題じゃ!」


 これまで魔力の波に過ぎなかった言葉はいつしか声帯を持つ肉体からの実体こえに変わり、同時にワタリガラスの姿も急速に変化していく。

 視線の先でついに光は形を大きく変え、年若い少女の姿を形作る。残ったカラスらしさの面影は今や背中から生えた一対の黒い翼だけだった。


「おい、アイン! 言っておくが忘れるな、まだ段階壱フェーズ・ワンだ! 魔力を吸いすぎると身体が持たないからな!」


 重力制御を為し得る高位魔法陣を背景に、空に浮かんでいたのは銀色の髪をした少女だった。

 宝石を思わせる赤い瞳が炯々けいけいと輝き、肌の色は雪よりも透き通るように白い。身に纏った黒と白のワンピースの裾が吹きつける風に激しく揺れていた。

 見えそうで見えないあたり、何らかの魔力が働いているのかもしれない。


「おっと、まずいまずい。数年ぶりだからついつい我を忘れそうになってしまったわ。せっかく久々に自由に動かせる身体を手に入れられたというのに……」


 可憐な少女の顔でアインは小さく頭を搔く。

 漂う気配から文字通りの“神性”を感じさせる割に言動がどことなく俗っぽい。ともするとカラスの姿が長すぎたのかもしれない。ワンピースの裾のくだりじゃないが、もう少し何とかならないのかとジークは場違いながらそう思った。


「まったく……。いくら中身が邪神アイオーンでも今のガワじゃ周囲を巻き込んで魔力の塵になっちまうぞ。大盤振る舞いしてやったんだからしっかり頼むぜ?」


「むむむ、それはまずいのう。では気を取り直して――嚆矢こうしどころか先駆けの役目、しかと任された!!」


 言葉を置いて、アインはついに姿を見せた魔獣の群れに向かい飛んでいく。

 若干舌足らずな少女の姿でそれっぽく言っても威厳などなく違和感だけが果てしない。

 とはいえアイン(少女形態)から発せられる魔力は膨大な量となっており、迂闊に踏み込めば一瞬で蹴散らされる未来が幻視できた。


魔導数式起動マギス・ロジカルコード・イグニッション!」


 大きく広げた両手の指先から魔方陣を構成する数式の群れが飛び出す。


「ふむ、展開できる術式も出力もこれくらいか……。やはりストックできる魔力量に制限があるからじゃな。獣どもが己でもわたしに勝てると勘違いしよるわけぞ」


 軽く腕を振るってみたアインは不満そうに漏らす。いつの間にか口調まで変わっている。これが邪神としての素なのだ。


 今のアインの魔力量でも魔獣たちへの威嚇にはならない。

 人間の常識では考えられない魔力量であっても、魔獣ほどの体躯を持てばそう珍しいわけではなかった。

 現に魔獣たちは怒りの衝動のままに突き進んできている。


「ほぅ?」


 アインが瞼を細めて視線をはるか先へと送る。


 先頭を走っていたデミ・ドラゴンたちに動きがあった。

 彼らは爬虫類から大きく逸脱した異形と魔力に頼る生物でなければあり得ない巨躯から、時として“竜の災害”と呼ばれることもある。そんな化物トカゲたちが前方へ一斉に顔を向けたかと思うと、示し合わせたように口腔が一斉に開かれた。

 鋭い牙が並ぶ口腔はすでに上下へと大きく開かれ、多数の砲撃を生み出すべく魔力組成印が灯っていた。ジークの背筋に悪寒が走る。


「来るぞ、ジーク! そちらはそちらで防いでくれ!」


「承知!」

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