第15話 強襲

『近いぞ。気を付けろ』


『そっちこそカラスの本能で変に鳴いたりするなよ』


 アインからの警告に軽口を返す。ジークとしてはいつもの調子だった。

 ところが、珍しく怒りの反応が上がる。


『おい! 日頃カラスの姿しか許さないのはジーク、おまえだろうが!』


 思えば長いことガス抜きもさせてやっていなかった。アインといえども少しばかりストレスが溜まっているのかもしれない。


『そろそろ黙れ。敵が近いぞ』


 とりあえずアインを相手に気安く約束はできないので誤魔化した。

 さて、すでにライフルの薬室に弾は込めてある。いざとなれば速攻で片を付けて離脱するしかない。

 匍匐前進よりも遅く、それでいて気配も音も、呼吸すら遮断して辺りを流れる空気と同化するように近付いていく。


「――はぁ」


 しばらく雪の中を這い進んで行くと声が聞こえてきた。

 聴覚に指向性を持たせて極限まで高めねばならないが、どうにか内容が鮮明に拾うことができるレベルだ。


「まったく、どうして俺たちがこんな辺鄙な場所まで来なければならないんだ」


 冬季迷彩に身を包んだ兵士のひとりが声を上げた。持っているのは大戦時に帝国で生み出され、数々の改修を重ね使われてきた名銃 RMP-5A3 短機関銃サブマシンガンだ。9ミリ弾を使うこの銃を持っているということは、主に魔獣との遭遇ではなくプロとの戦いを意識しているらしい。


「……うるさいぞ。言いたいことがあるなら念話で済ませられないのか」


「チッ、バカなチンピラどもの尻ぬぐいのためにここまで来ることになったんだぞ。念話なんて喋っているかどうかもわからないもんじゃなく、自分の口からしっかりと言葉で愚痴を出したいんだよ」


 ――気持ちはわかるが、いくらなんでも“敵地”でたるみすぎだ。


 プロらしからぬ迂闊さにジークは呆れそうになる。

 おそらくまともな実戦を経験していないせいで、こういう時に気が緩んでしまうのだ。もっとも、そのおかげで逆探知リスクの高い念話の傍受をしなくて済むのだが。


「間抜けな話だ。山に入り過ぎて大型魔獣を刺激して、逃げ戻ったところを掴まったんだったか?」


 水を向けられたひとりが満更でもない様子で話に乗ってくる。彼は彼で最初に口を開いた者と同じく、山越えのストレスを抱えていたようだ。


「……潜入工作員からの話じゃそうらしい。止せばいいのに追手を躱そうと焦って奥深くへ侵入し過ぎたんだろう。気配もろくに消せない素人アマチュアに、この山を踏破できるわけがないだろう」


 潜入工作員か……。情報部が動いていないことはないと思うが、一度中央にコンタクトを取るべきかもしれない。いや、これも性急すぎるか。


「ふん。魔獣から逃げおおせたはいいが、自警団ごときに捕まるとは情けない」


 三人の会話の調子が上がってくる。

 誰も彼もが「仕方ない、こんなところなら敵もいないだろうし……」といった調子――気が緩んでしまったらしく同僚同士の会話に興じていく。


 これはとんだ自称プロである。

 本物の特殊部隊なら、魔法の使える使えない関係なく自身が持つ最高度のスキルを発揮するものだ。


 それができないのであれば――


「俺が気になるのはそこだ。一度刺激された魔獣が、途中で大人しく引き返したとは思えない。だが、生物災害が発生したとも聞いていない」


 意外といい読みをしているな。茂みの中でジークはほくそ笑んだ。


 兵士の言う通り、もしもあのままジークが介入しなければ、確実に近年稀に見る生物災害になっていたはずだ。

 縄張りを荒らされ興奮した魔獣が、人間を二、三匹喰ったくらいで静まるはずもない。愚かな人間が二度とそのように馬鹿なことをしないよう、近くにいる他の仲間への警告もかねて村のひとつやふたつくらいは破壊していく。

 時々、山奥でしか取れない貴重な素材を狙ったバカが生物災害を引き起こし、近代化の忙しなさに馴染めない人々の村落を巻き添えに消滅させてしまう。

 政府としても介入しかねる頭の痛い問題があった。


 ――さて、いっちょ煽ってみるか……。


『おい、アイン。いけるか? 予定変更だ。やっぱり連中は生かして帰せない』


 近くで拾った石を手に握りながら語りかけると、肩のカラスは小さく首を振ってから答えた。


『イヤでも行かせるつもりなんだろう? どこまでやっていい?』


『許可しない限り派手なのはナシ。そこはいつもの狩りと同じだ』


『ちぇ!』


 つまらないと舌打ちの念を飛ばしたアインが雪の上をしばらくトコトコと歩いていく。

 頃合いを見計らってジークは持っていた石を投げる。茂みがガザガサと音を立てて揺れた。


「――誰だ!」


 誰何すいかの声と共に、押し殺されたフルオートの銃声が放たれた。

 大量の銃弾は、雑兵の技量ではなしえない高密度の集弾性をもって怪しげな動きをした茂みを削り取る勢いで叩き込まれる。

 中から飛び出した黒い塊が空へと逃げていく。


「射撃中止! 射撃中止! 人間じゃない!」

「なんだカラスか……」

「驚かせやがって」


 空を見上げて兵士たちが口々につぶやいた。


 散々無遠慮に撃っておいてこの言いざまか。当たっていたらどうするつもりだったんだと空へと逃げおおせたアインは小さく「カァ」と鳴いて不満を露わにする。

 とはいえ――次の弾が飛んで来ることを心配する必要はもうない。


「なんとなく妙な感じがしたんだが……。くそ、カラス相手に反応するなんて俺らも――」


 銃口を下げたところで茂みが爆ぜた。

 雪煙を舞い上げ、中から飛び出して来たひとりの人間が凶相を作りながら叫んだ。


「どこの新人だおまえら!? 警戒から間合いから何から何まで甘々だな!」


 使われたのは魔力で圧縮させた空気ごと肉体を飛ばす高度魔法格闘術クローズド・マギス・コンバットだった。

 原理自体はごくごく簡単なのだが、姿勢制御を間違えると何もできずに地面に叩きつけられるとされ、近年では大道芸人を除いては一部の国の軍人の使い手くらいしか存在していない。

 当然、そのような技量を持つ人間が潜んでいるなどと思っていなかった兵士たちは完全に不意を突かれる。

 数々の戦いを潜り抜けてきたジークを相手に、それは致命的な隙だった。


「て、敵しゅ――」


 慌てて銃口を向けようとした時にはすでに遅かった。

 言葉の終わりと同時に火を噴いた襲撃者のライフル銃がひとり目の頭部を吹き飛ばし、目標を見失った銃口が生前下した命令のまま暴れ回る。

 どうにか銃口を向けたふたり目も、すれ違いざまに叩き込まれた大振りのコンバットナイフが首筋に深々と突き刺さり脊髄を一撃で破壊される。口をぱくぱくと動かすも、それ以外は何もできぬまま運動能力を失い、地面に沈み込んでいった。


「こ、このおぉぉぉっ!!」


 かくして、無傷で済んだのは三人目のみだった。自分たちの間を瞬く間にすり抜けた襲撃者を見失う、という失態を侵しているが。

 どうにか仲間の仇を打とうと、振り向きながら銃火を迸らせた瞬間、今度は真上から先ほどとは異なる声が投げかけられた。


『先ほど喰らいかけた弾丸の礼だ。とっておけ』


 咄嗟に視線を上げようとするも、その前に高速で何かがすぐ近くを通り過ぎていく感覚に襲われ、風の唸るような音が鼓膜を強く叩いた。


「んなっ――!?」


 気が付くと若い兵士は空を見上げていた。不思議なことに首や後頭部に雪の感触が当たっている。冷たいと思うのに視界がまるで動かない。


 ――いつの間に地面に倒れたんだ?


 そう考えかけ、すぐに自身の錯覚に気付かされた。

 すぐ隣に見慣れた人影が立っている。身体からは絶えず液体が噴き出している。雪を解かす赤い液体が何か理解した瞬間、自分の身に何が起きたか理解した。


 ――


 気付いた時にはどうにもならず、急激に湧き上がって来た眠気に意識を持って行かれていた。


『フム、気配を殺すのだけは上手かったが、その他はたいしたことなかったな』


 満更でもない声色で木の枝から語るアインが用いたのは風神の刃ウィンド・カッターだった。

 真空の刃を飛ばす初歩級の魔法ではあるが、昔の戦場はさておき、今や音速を超えるライフル弾が飛び交う戦場ではまともに用いられることはない。


「良く言う。おまえくらい高密度の魔力で使えばどんな初級魔法でも致命傷になり得るだろうが」


 敵が完全に沈黙したのを見届けて、ジークは相棒に言葉を投げた。

 このカラス、そのへんにいそうでいない猛禽類に見えて、中身はそのような次元では済まない存在だった。


『そこはまぁ……「靴職人は靴を作ってこそ」としか言えないな』


 ドヤァと言いたげな感情の波とともにカラスは器用に胸を張ってみせた。


 そう、魔法は才能と魔力量に由来するため、高い潜在魔力の持ち手が用いた場合には同じ魔法でも恐るべき武器・兵器に変貌する。

 たとえば自分自身の身体に風の刃を余すことなく纏わせれば、触れるものすべてを切り裂く抜き身の刃と化すのだ。

 今回、アインは自身の翼全体にそれを纏わせ、高速急降下しながら敵の首筋に翼を叩きつけた。断頭台の刃すら及ばない強力無比な一撃の強襲を受けては、人間の首など枯れ草のようなものだ。


『虚を突けたってのが一番だろうな。こいつらまさか襲われるなんて思っていなかったみたいだぞ? 持っていた武器も対人用だったしな』


 アインが亡骸となった兵士たちを見下ろして呆れ混じりの声を発した。

 少しの失敗で強力な魔獣に食い殺されかねないのだが、連中は自分たちがどこぞで学んだ魔法知識を妄信していたのだろう。


「なぁ、アイン。ついでなんだが……もうひと働きしてくれないか?」


『どうした、藪から棒に―――ッ!?』


 言いつつもアインは途中で気付く。

 遠く山頂、あるいは山脈の奥から響いてくる

 さっきの銃声と撒き散らされた死の匂いで、辺りに生息する魔獣たちがにわかに殺気付いていた。

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