第11話 別れと始まり
それから一週間ほど、空白の時間を埋めるように昔話にあれこれと花を咲かせ、満足したとばかりにジョナサン・フロイドは眠りについた。
身体をかなり悪くしていたはずだが、大気中の魔素も多く清浄な山の空気が少しでも良い方向に作用したようだ。ほとんど苦しむ姿を見せるもなく、朝なかなか起きて来ないので見に行ったらベッドの上で事切れていた。
――俺たちみたいな人間にしちゃあ悪くない最期だったんじゃないか。
ジークはそう思う。
体内に残った魔力が悪さをしてアンデッド化する可能性があるのと、獣などに掘り返されたりしないよう、遺体は火葬にして弔い、遺骨の一部を壺に入れて辺りを見渡せる崖の上に埋めた。
「何回か連れて来たよな? 山暮らしの中で俺が一番好きだった景色だ。しばらくはここを眺めて過ごしてくれ。俺がくたばらずに戻って来たらその時は――」
木を削って作った簡素な墓標に故人の好きだった酒をかけ、自分も最後のひと口だけ飲んで空の瓶をそっと置く。
「ヴァルハイナ墓地で、戦友たちと眠ろう」
『これからどうするつもりなんだ?』
小屋へと戻る道すがら、肩のアインが問いかけてきた。
こちらの気分など察しているはずなのに、相棒がこうやって自分から深入りしてくるのは珍しいことだった。
「何も決めていない。正直、どうしていいかわからない状態だ」
自分がそう長くないと宣告されてまだたったの一週間だ。状況をすべて受け入れられたわけではない。
『故郷に戻るとかはないのか? 生まれ故郷はすぐ近くなんだろう?』
「残念ながら、故郷は戦火でずっと前になくなっている。家族はたしか生きているはずだが俺は戦死扱いだ。どこか行くあてがあるわけじゃない」
我ながら情けない答えだと思った。これが小説や映画の主人公なら「ジョナサンの遺志を継いで生きる」などと言うのかもしれない。
置き去りにされた――いや、自分から背を向けた世界の中で今さらどう生きていけば良いかわからず、ジークは幼子のように戸惑っていた。
『……山を下りよう、ジーク』
不意に翼を広げて空へ舞い上がったアインが小さく鳴いてそう言った。
「アイン?」
意図がわからず見上げているジークに、“相棒”はすでに答えを決めていたらしく悠然と言葉を紡いでいく。
『今は目的なんてなくていい。でも、考えている間にも時間は過ぎて行く。わたしはこの姿になってから“相棒”として最期まで見届けると決めたつもりだ。それだって立ち止まってる姿を見たいわけじゃない』
ワタリガラスは高い空から問いかけの思念を投げかける。
『選ぶのは自分だよ、ジーク。だけど、もし決められないって言うなら、わたしから促してやることはできる。それで前に進めるならわたしはできる限りの道を示そう。
不意に爽やかな風が吹きつけた。
仄かに春の気配を感じさせるそれが、ジークの頬や身体をそっと撫でていく。
ふと誰かの手の感触を思い出した。それは差し伸ばされた手のようでもあり、あるいは引っ張ろうとする手にも感じられた。
これから山麓に戻り始めた緑はますます範囲を広げ、森林限界に達する標高までその手を伸ばそうとするだろう。同時に雪の下や土の中で眠る生き物たちも少しずつ目を覚まし、生命の営みを再開していく。
はるか昔から存在する高地と山々が連なる風景はこれからもずっと繰り返されていく。
「懐かしき灰色の世界へ、か――。割と気に入ってたんだがなぁ、この生活も」
悠久の営みからは切り離され、外の世界は性急とも思える歩みを続けている。
鋼鉄とガラスとコンクリートで作り上げられた、人間のみで構成される世界。広くも狭い都市で苦しみ悩み、あるいはそこすらも越えて互いに傷つけ殺し合っている。
まるで遠くの星の話をしているようにも感じられるし、あるいはそこへ戻ることを無意識に拒んでいるのか。
「――わかった」
迷いが完全に消えたわけではないが、とにかく歩き始めようと思う。
「山を下りよう。まずひとつだが、俺にもやれそうなことを思いついた」
何が正しいかではなく、どうすれば後悔しないで済むか常に自分へ問いかけながら――
そうして、世界から忘れ去られた英雄は帰還する。自身に残された命が、世界に何を遺すかも知らぬまま。
山を下りたジークが真っ先に向かった先は軍と警察のオフィス――ではなく、一週間前に訪れた町はずれの孤児院だった。
ちょうどお目当ての相手――リーネは花壇と庭の畑に水をやっているところで、歩いてきたジークの姿を見て動きを止めた。いや、よく見ると水がジョウロから漏れている。
「大人しく孤児院にいたみたいだな。結構結構」
「ジーク、さん……?」
呆けたような声が少女から返って来た。
自分の足にまで水がかかっているのだが、そのことにリーネはまったく気付いていない。
「なんだなんだ。戻って来たっていうのに、ずいぶんと驚いた顔をするんだな。自分から引き留めようとしてきたくせに」
こちらの想定よりもずっと大人しい少女の反応が物足りず、少しからかいたくなってジークは敢えて不満そうな顔を見せた。
「だってあれから1週間以上姿を見せないんだもの……。もう来てくれないものだとばかり思ってたから……」
噛みつくわけでもなく、駆け寄ってきたリーネは思い詰めたような表情をしていた。未だに濡れた靴の不快感に気付いていないらしい。
この様子では相当気にしていたのだろう。あまりいじめるのもよくなさそうだ。
すっかり調子が狂ったジークは小さく首を傾げつつも話を先に進めることにした。
「俺もそのつもりだったんだがな。……色々あって少し事情と気が変わった」
リーネの言った通り、孤児院を後にした時点では戻ってくるつもりなど一切なかった。
酒場でジョナサンと出会わなければ、間違いなく明くる日山に戻っていつもの生活を繰り返していたはずだ。
例のデミ・ドラゴンの処理を巡り、もしかすると面倒事は起きていたかもしれないが、それもまた「たられば」の話だろう。
「気が変わったって……じゃあもしかして――!」
「ああそうだ」
期待に満ちた少女の視線を受け、ジークは力強く頷いた。向けるのはお世辞にも甘い表情ではないが、幸か不幸か舞い上がったリーネはそれに気付かない。
これがおそらく彼――“大戦”を終結させた影の英雄の帰還を示す最初の足跡になる。
「俺が教えるのは“山での生き残り方”じゃない。このくそったれな世界で生き残るための
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