第10話 魔導騎士
「俺の、寿命……?」
ジョナサンから受けた宣告に、ジークは頭から急激に血液が引いていく感覚に襲われた。
「そうだ、ジークフリート・フォン・ライナルト陸軍大佐」
懐かしい名前が血液の急降下を一時的に止めた。フルネームで呼ばれたのもおそらく十年ぶりかもっとかもしれない。
「君は中央歴1917年、ミズガルズの貴族軍人の家に生まれた。1937年に同国士官学校を首席で卒業し、特殊選抜過程へと進み――本人にこれ以上の説明は必要ないな」
半分自分でも忘れかかっていた経歴を、ジョナサンは何の意味があってか
「何が言いたいんだ。この期に及んで迂遠な物言いはやめてくれ“ドクター”」
ジークの目つきはすっかり昔のものに戻っていた。ここなら人目を憚る必要もない。
「おかしいと思わないかい? 君の年齢はもうとっくに五十歳を過ぎている。なのにいまだに人間の全盛期――
「それは俺が――」
ジークは途中で返す言葉を失う。
何となく自分でもわかっていながら考えないようにしてきたことだ。
そう、人はいつか必ず死ぬ。
いつまでも老いないからと自分がその例外になったと勘違いしていたのだろうか。部隊の仲間たちも多くがそんなものを意識する暇すらなく死んでいった。自分だってたまたま生き残れたに過ぎないはずなのだ。
なのに――
「君がこの十年を無駄にしたなんて言うつもりはないよ。二十年も戦い続けたんだ。少しくらい静かに暮らす自由だってある。君だって人間だ」
「…………」
ジークは答えない。
「傷が癒えるには時間がかかる。そう思って私も無理に探したりコンタクトを取ろうとはしなかった。だが、それさえも私のエゴだったのかもしれな――」
不意にジョナサンが激しく咳き込んだ。
「ドクター……! 血が……!」
口を押さえたジョナサンの手にはべったりと血が付着していた。
色が黒ずんでいた。おそらく胃腸から出血している。
「ははは、実は君よりも私の方が先に寿命を迎えそうでね……。会いに来たのも身体が動くうちにやりたかったからなんだ」
「だからって! 無茶をして来たんじゃないのか! 昨日は酒だって飲んでいただろう……!」
身体の不調を懸命に隠していたのだろう。だがなんのために。
「いいや、無茶をする必要があった」
ジークの真剣な口調を受けたジョナサンは首を振る。
「ジーク、繰り返すが君は今のままではそう長くは生きられない。だが君には……まだやってほしいことがある。たとえ少しでも延命できるなら、処置のためにここへ来る必要があったんだ」
ジョナサンは付け加えるように「酒に関しては大目に見てくれ。戦友と再会して飲まずにはいられなかったからね」とばつの悪い表情を見せた。
「シェルター・
いざという時、新たな反攻拠点とできるよう各地に秘密の物資集積所が作られていた。
中でもここは秘密裏に研究されていた技術――生理学や魔法学のハイブリッドで生み出された新世代の生体兵器――計画名称“
「そうだ。おそらく、私はここで死ぬ。だとしてもそれは必要と信じたことだ」
ジークは答えられない。
友の苦渋の表情を見たジョナサンは小さく微笑んで歩みを進めていく。青年は黙ってそれに続くしか――いや、肩を貸して介添えに回る。
ふたりの視線が交差。ジョナサンの笑みが深まる。
「頼む。施術を受けてほしい。設備が残されたここなら処置ができる。時間がないんだ」
とある区画まで来ると、今度はジョナサンが魔法錠を解除していく。ここはジークにも入れない。最高位の魔導鍵を持っているらしい。
「どうしてそこまで……」
肩を貸すジークから漏れたのは本心からの問いかけだった。
「“責任”を取るためだよ。君を生体兵器にしたのはこの私だ。国のため世界のためと言い訳をして何百人もの人生を狂わせてしまった」
室内の設備を点検しながらジョナサンは淡々と語っていく。許しを請うため教会の懺悔室で語るような口調ではない。自分自身でケジメをつけようとする覚悟ある者の声だった。
「自分で志願したって言っても、あんたからすればそういう問題じゃないんだろうな。“大戦”では途中で死んでいったヤツも大勢いる。恨み言も散々聞いた」
「そうだね。私もそうだ」
誰もが最期まで高潔に振る舞えるわけではない。
祖国のためにと自己を犠牲にしてきても、やはり少なくない兵士が「どうして自分が死ななければならない」と悲痛な言葉を漏らしながら逝った。言葉にできただけマシかもしれない。砲弾の直撃を受ければ言葉どころか遺体も残らない。
「生体兵器に関する技術はほとんどが戦災で失われてしまった。だが、ここは味方にも秘匿されていたおかげでいくつものデータが残っている。これが私が最期にしてあげられるせめてもの罪滅ぼしだ」
「わかった。……だけどな、ジョナサン」
「なんだい?」
「罪滅ぼしって言いながらまだ働けってけしかけるのは正直どうかと思うがな」
ジョナサンに負い目を感じさせないよう、ジークはわざとらしく肩を竦め彼なりに精一杯おどけてみせた。
老博士もそれを感じ取って口元に残った血を拭いながら表情を和らげる。
「ははは! ……いや、よかった。これなら安心して後を託せる」
ひとしきり笑った後に生じたのは安堵の表情だった。ジョナサンにとっては、これだけが心残りだったのだろう。
「……ジーク、この世界にはまだ君のような一騎当千の英雄が必要だ。無論、英雄として表舞台に舞い戻れって話じゃない。ただ戦場神話を神話のまま終わらせるのは、君の活躍を見てきた私の勝手だがどうしても耐えられないんだ」
「本当に勝手な話だ。……それで、俺はあとどれくらいもつ?」
これだけは訊いておかねばならない。
自分で口にしながら、身体の中で心拍数が上がるのがわかった。
「僕の見立てでは、おそらくあと十年生きられるかだろう。無茶をすればそれだけ寿命は縮まる。――そうだ、先に渡しておこう」
ジョナサンが荷物の中からひとつのカードのようなものを取り出した。
「これは?」
受け取りながらジークは問いかける。
しっかり見ればわかるのだろうが、どうせ聞いた方が早い。
「最新の軍IDだ。とある人から預かって来た。1週間以内に有効化されるよう手配も済ませてある」
「いくらなんでも用意周到過ぎやしないか? いや、そもそも俺が受け取らなかったらどうするつもりだったんだ」
心底呆れたとジークは溜め息を吐いた。
ここまでの流れすら、ジョナサンや誰かの描いたシナリオの内なのだ。
だが不愉快だとは思わなかった。誰かから必要とされているのは、自分を利用しようとする打算があるとしても悪い気ばかりではない。
「その人は『アイツのことだ。軽口は叩いても必ず受け取る』と言っていたよ」
ジョナサンはぼかした物言いをした。あくまで依頼主の名前を出すつもりはないらしい。これもまた仕込みのうちなのだろう。
「ちぇ、見透かされているみたいでなんだか居心地が悪いな。どこのどいつだよ」
いい
「外の世界で生きるにも色々必要なものはあるだろう? 一度離れた身には軍籍は邪魔になるかもしれないが、時として君を守ってくれる」
かつてないほど不安定な時代だけに、国家の庇護を得られるのは間違いなくアドバンテージだ。何ものにも頼らないアウトローを気取るなど物語の中だけの話だ。
「言っておくが国防省に顔を出すつもりはないからな」
十年も行方不明だったようなものだ。まだ当時の知り合いもいる。今さら顔を出しにくい気持ちも多分にあった。
「どうするかは君の自由だ。とにかく、今は素直に受け取ってもらいたい」
「わかった。ありがたく受け取っておくよ。災難に巻き込まれないうちは感謝もしておく」
きっとこれは毒にも薬にもなる。
ジークにはそんな確信があったが、外の世界に戻る切っ掛けのひとつになるならそれでいいとも思っていた。
「ははは、そればかりは僕にも保証はできないや。――じゃあ、措置を始めていくよ。これで君は生まれ変わる」
全身麻酔の魔法をかけられ、次第に意識が遠のいていく。
最後の言葉にたいした意味はない。きっとジョナサンなりの“祈り”にしてカーテンコールなのだろう。
薄れていく意識の中でジークはそう思った。
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