第9話 戦後


『おいジーク! なんなんだこれは!? 山小屋の地下にこんなものがあるなんて、わたしは聞いていないぞ!?』


「そりゃそうだ。喋ってないからな」


 相棒からの非難をジークはあっさりと受け流した。


『ぐぬぬ。相棒に隠し事をするなんてとんでもないやつだ……!』


 絶句しかけたアインが羽ばたき、念話のみならずカラスの鳴き声も併用させて抗議してくる。地下なので音が反響して実にうるさい。


「わかったわかった今から教えてやる。ちょっと静かにしてくれ」


「はは、仲のよろしいことで」


 わめく相棒をたしなめるジークと、それを見て笑うジョナサン。双方からの鋭い視線が老紳士を黙らせる。


「……しかし、よくもまぁこの場所を俺に任せたもんだと思うよ。バラ撒かなかったら好きにしろと言われてるあたり本当に大丈夫かウチの軍はと思うけどな」


 ふたたび厳重な魔導認証を経て、厳重で誰にも破られたことがないと名高い連邦中央銀行フェデラル・バンクの地下金庫にも負けず劣らずの防護扉が開いていく。

 内部に伸びる長い階段を下りながら、ふたりは言葉を交わしていく。


「それは戦争末期の話じゃないか? でも、それだけの功績も上げていたし、然るべきところからも信頼されていたってことだよ。知っているだろう? 


 しみじみと語るジョナサンの言葉にジークは足を止めて背後を振り返る。青年の表情には見事なまでの疑問符が浮かび上がっていた。

 この表情は妙だ。まさか横流しでも――


「……いや、どうにも初耳な気がするんだが」


 本気でわからないらしく、ジークは上半身ごと首を傾げている。

 どうにか思い出そうとしているようだが、そもそも存在しない記憶を思い出せるはずもない。


「嘘だろう? いくらなんでも世捨て人をやり過ぎじゃないか?」


「嘘も何もない。忘れているだけかと思ったけど本気で聞き覚えがないんだ」


 ジークの表情にとぼけている様子はない。


「いやいやいや。年金だって毎月振り込まれているんだよ?」


「山に引き籠ってるとほとんど現金を使わないんだよ。基本は近くの村と物々交換で済ませるか頼まれごとで相殺だし……」


「なんというスローライフ……」


 ジョナサンは額に手を当て天を仰いだ。

 あまりにも予想の斜め上をいく反応に困惑するしかない。

 自分自身が彼の給与関係に責任を負う立場ではないので責任までは取れないが、そもそも十年近く銀行口座を見ていないのであればどうしようもない。


『どうかな。案外何も考えていなかっただけだと思うぞ』


 横からアインがぼそっと念話を送ってきた。ジークは視線で相棒を黙らせる。


「誰ぞの別荘だった山小屋ここを受け取った時、現金でも結構もらったから余計に銀行に縁がない。正直、振り込まれているか確認したこともなかった」


 とんでもないインフレでも起きて通貨の価値が暴落していればまた別だったかもしれないが、すくなくとも戦勝国に属していたことが幸いして多少の物価高は起きていても大きな影響は受けずに済んでいた。


「そうか……。君が多趣味なのは知っていたが、びっくりするくらいアウトドア派で自給自足まで可能なタイプだったか……」


 もういちいち驚くのはやめよう。ジョナサンはそう決意した。


「こればっかりは元々田舎で身に着けた趣味だからな?」


 魔力の消耗を押さえることで低燃費モードには移行できるのだが、人外自慢をしているみたいで寂しくなりそうだから言及するのは避けておいた。


「話を戻すがまだ軍籍が残ってるって? それって何かあればまた容赦なく引っ張り出すつもりってことだろ? あいつら本当に俺を死ぬまでコキ使う気なんだな」


 一番の問題というかジークが気になった部分はそこだった。

  今になって十年分の給与を返還するから何とかなる問題ではないし、こちらから言い出すと余計藪蛇になりかねない。


「そうともいうね」


「いや、そこは否定しろよ……」


 げんなりしたジークの表情に対して、ジョナサンは笑みを見せるだけで話を続けていく。


この地ミッドランドは戦火こそなくなったが、今度は傷の浅かった国――“海を隔てた引きこもり国家”や“横紙破りで参戦してきた火事場泥棒”が戦後世界の覇権を狙って動き出そうとしている」


 昨夜、酒場の主人が口にしていた「騒がしい」とは、このあたりの動きなのだろう。


「冗談じゃない。もう戦争は終わったんだ。二十年もり合って、それでいてまだ十年しか経っていないんだぞ?」


 思わずジークは壁を殴りつけた。無論手加減はしている。

 湧き上がった怒りの感情は、未だに故あれば自分を戦わせようとする祖国の姿勢に対してではない。


 戦場で力尽き果てるまで戦うと誓った日から、その覚悟を忘れた日はなかった。自分が隠遁しているのも、戦争を終えた今の世の中に自分は必要ないと思ったからだ。

 にもかかわらず、本物の地獄を見たことのない連中が、多くの犠牲の上に勝ち取った静寂を壊そうとしている。


「参戦したとはいえ“大戦”を眺めていたも同然の国は、渦中にあった国々われわれのことなんて理解できない。策を弄して東西に兵を派遣していても、ちょっとばかり血を流しただけで国内世論に負けて戦線を縮小させたくらいだしね。……なぁ、ジーク。君は本当に戦後が来たと思ってるかい?」


 答えがわかっていながら、ジョナサンは真正面から問いかけた。

 誰よりも戦いを憎みながらも、戦争の神に愛されてしまったがために誰よりも多くの人間を殺した。だからこそジークに訊きたかった。


。そうでなきゃ、あれだけの命を飲み込んだ戦いの意味がない。いや――自分でもわかってるよ。そう願ってるだけなんだろうな」


 ジークは断言した。その声は人生に疲れ切った老人のようだった。


「だったら――いつまでもここに、いや鎖に縛られている必要はないと思う」


「ちょっと待てよ、ジョナサン」


 不意にジークの声が低くなる。まるで古い傷口に触れられた、あるいは無意識ながらも先に自由となった戦友を呪うかのように。


「未だ軍に籍が残っていても――だぞ?」


 ジークが絞り出したのは溜め息のような声だった。


「そうだ。しかし、君がいなければあの戦いは終わらせられなかった」


「どうだかな。英雄だなんだと持て囃されようが、外面だけ中途半端なガキのままいつ死ぬかもわからない身だ。そんな異物が今さらどうやって世間に入っていけばいいんだ? いっそガキのフリして大学にでも通うか?」


 かつての友に対して恨み言を口にしたくはなかった。

 だからこそ必要以上に雰囲気が悪くならないよう、ジークとしてはくだらない冗談を口にしたつもりだった。


「……そんな悠長に生きてられる身体じゃない」


 ジョナサンから返って来たのは、それまでとは打って変わって苦渋に満ちた声だった。


「なんだって?」


「私がここへ来た本当の理由は――君に寿命を告げるためだ」

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