第7話 再会


 怪訝な面持ちで振り返ると、ジークの目が大きく見開かれる。


「……!?」


 視線の先には老齢に差し掛かった頃合いの男が、酒杯を片手に柔らかな表情でパイプを咥えていた。


 白の混じった灰色の髪を後方へ撫でつけ、白いセーターの上に品の良さそうなブラウンのスエード生地のジャケットを着ており、それがまた男の穏やかな印象を強めていた。

 ジークは男の顔に既視感を覚え、すぐに記憶がそれを掘り当てる。漂うパイプの香りもそれを助けてくれた。


「フ、フロイド? あんた、もしかしてドクター・フロイドか……!? 」


 思わぬ人間との再会に、ジークは彼にしては珍しく声のトーンが高くなっていた。

 肩にとまっていたアインは相棒らしからぬ声に思わず驚き、小さく翼を広げてテーブルへと降りる。

 一瞬店主がぎょっとするも、そこからカラスが大人しくしている姿を見て小さく安堵の息を漏らした。


「ひさしぶりだねぇ、ジーク。ああ店主。おかわりをふたつくれないか」


 軽く手を掲げて老紳士フロイドが微笑み、そして店主を呼ぶ。


「あ、ああ……。ちょっと待ってな」


 アインから目線を外した店主は追加の酒を用意しにカウンターの奥へ引っ込んでいく。知り合い同士ならあとはふたりに任せて良いと思ったのかもしれない。


「あれからもう十年になるかな? 元気そうでなによりだよ」


 しみじみとした口調で語りかけられるも、よもやこんなところで“旧友”とでも呼ぶべき――いや、どのような言葉で表して良いかわからない付き合いの相手と出会えるとは夢にも思ってもいなかった。

 それだけにジークはなかなか次の言葉が出てこない。


「あんたはずいぶん老けたな……」


 やっと絞り出せた言葉も驚きのあまり、再会を喜ぶにはズレたものになってしまった。

 だが、記憶の中のフロイドはこんな老人ではなかったように思うし、それよりも先に問うことがあった。


「そもそもなんであんたがこんなところに? まさか――」


 密かに警戒感を強めた青年はそっと辺りを見回す。いざとなればすべてを捨て去るつもりで戦えるよう全身に起動用の魔力を循環させていく。


「ははは、安心していい。そういった事情ではないよ、“大佐”」


 軽く両手を上げてフロイドは敵意がないことを示す。


「……あんたが言っても微塵も信用できないぞ、ドクター」


「信用されていないんだねぇ……。気をつけなさい、目つきが昔のものに戻っている」


 指摘を受けたジークは、意識的に大きく息を吐き出して気持ちを落ち着かせる。

“旧友”に出会った懐かしさのあまり、口調が昔のものに戻っていることをジークは自覚していた。

 もっとも目つきだけはすぐには直らないのでこめかみを軽く揉んで無理矢理修正する。暖かいタオルが欲しくなった。


「あ、医官はとっくに引退したよ。今はただのOBさ。……そうだな、ジョナサンと呼んでくれ」


「そうかい、。それでもう一回訊くが、なんであんたがここにいるんだ」


 間接的に「俺らはファーストネームで呼び合う仲だったか?」とジークは軽い冗談を飛ばす。


「そう身構えるもんじゃない。ほかならぬ君に会いに来たんだよ。風の噂でこのあたりに引っ込んでいると聞いてね」


 つれないジークの態度を受けたフロイド――ジョナサンの表情はどこか残念そうに見えた。


「……早とちりしたようだな、すまない。ついつい疑ってかかるのは元軍人の悪い癖だ……」


 周囲に怪しげな気配と魔力反応がないことを確認した上で、わずかに肩の力を抜いたジークは素直に反省の態度を示した。

 すべてを信じたわけではない。風の噂とやらも不用意に近付かないだけで自分の居場所を把握していたわけなのだから。


『気配の探知ならわたしにやらせればよかったのに』


『…………』


 返事はしなかったが、念話を投げかけてきたアインの言う通り素直に相棒へ任せるべきだった。

 それくらい動揺していたのだろう。思ったよりも自分が冷静でなかったと突きつけられたジークは余計に恥ずかしくなってくる。


「いいさ。君が優秀なのはその危険察知能力があってこそだ。とはいえ、少々神経質ナーバスになり過ぎかもしれないね。あれ以来誰かに追いかけ回されたりしたことがあるかい?」


 考えてみる。少なくともこの地からの移住を迫られるような目には遭っていない。


「いや――たしかに最終作戦を終えてから、軍の人間が出張って来たことは一度もない。最近まで見張られているような気配もついぞなかった。……そういう意味では安心していいんだろうな」


 今さら警戒して見せたのをなかったことにはできない。ジークは気恥ずかしげに視線を逸らしながら答えた。


「それだけのことがあった。警戒するのも無理ない。……でも今は飲もう。昔を思い出すには言葉を重ねるよりもそれで良くないかい?」


 たしかにジョナサンの言う通りだ。気持ちの整理が追いついていない。今は余計なことを考えたくなかった。


「そうだな……。ひとまず、再会と――」


 ちょうどそのタイミングで酒が運ばれてきた。神妙な表情で話をしていたので店主に気を遣われたのかもしれない。彼も“大戦”帰り、そのあたりの機微がわかるのだろう。


「戦友たちに――」


 お互いに表情を和らげて手にしたジョッキを目線の位置にまで掲げる。


「「乾杯チアーズ」」


 分厚いガラスの打ち合わされる音が酒場の空気にそっと消えていった。

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