第6話 酒場にて
孤児院を後にしたジークは宿に向かって歩いていく。麓でも夜の町はまだ寒く、吐く息も白く染まるほどだ。月明りも心なしか冷たく感じられる。
後ろ暗いことのある人間でもなければ越えようとしないヴィファーテン山だが、それでも町ともなれば交易で来る商会向けに宿のひとつやふたつは用意されている。
過去、何度か生存報告も兼ねた自警団の登録更新で町へ下りて来なければならない時に利用していた。
しかし、どうにも落ち着かない。
このまま宿に戻ったとしてすんなり眠れるとは思えなかった。夜に時間を潰せる場所など辺境の町では限られているが……。
『ほら見たことか。やっぱり面倒の方からやって来たじゃないか』
とりとめもないことを考えながら夜道を歩いていると、“相棒”が耐え切れずに沈黙を破った。いや、どちらかというとからかいに来たのだろう。
『黙れ。他人事だからって楽しそうに言いやがって。相棒がトラブルに巻き込まれて困ってるって言うのに』
ここは山の中ではない。
まるで誰かと喋っているような独り言を撒き散らす“向こう側の世界の人間”と思われないよう念話でのやり取りをする。
『べつに困ることなんてないだろう? 老人でもないのに世間から離れて、毎日毎日同じように過ごしていただけじゃないか』
遠慮のない物言いだが、「逃げている」とだけは言わなかった。
こう見えておしゃべりカラスは、なんだかんだちゃんと引き際を弁えていて、しかもそこそこ優しいのだ。
ジークが独りで長い間山に籠ってこられたのも、案外この“相棒”がいてくれたからかもしれない。
『運命なんて信じちゃいないがな、俺が外に出るとろくなことにならないんだよ。このまま寿命が来るまで山に引き籠ってこもっていても良かったくらいだ』
本心からそう思っているわけではない。ただ、あの長く続いた戦いの日々に疲れ果て、何も考えずにいる時間がほしかっただけだ。
『だったらなんだ? 東洋の隠者――仙人にでもなるつもりか? 実在するかはさておき、彼らは│
『長期潜入モードになれば、俺だって大気中か地中の水分とマナだけで一年は余裕で活動できるけどな』
尚、孤独に耐えかねて精神がやられそうなので実際に試したことはない。
『ジーク、そういう話をしているんじゃないぞ……』
アインは呆れ声の波を送ってくる。
『そうだろうな。悪かったよ、軽い現実逃避だ』
奇襲で瞬殺したとはいえ久しぶりに戦いを経験したことや、“大戦”帰りのハンネスと出会った余韻で気分が浮ついているのか眠気は来ない。
とりあえずさっさと寝るのは諦め、時間を潰そうと宿屋の部屋だけを押さえて近くの酒場に入る。
ベルを鳴らしながら開いたドアの中では、白熱灯の薄暗い照明とラジオから流れる古い音楽が、都会から遠く離れたこの町にも文明の香りを届けてくれていた。
棚にはいくつかのキングストン産の蒸留酒が産地ごとに分けられて並んでいる。店主のこだわりが反映されているのだろう。手入れもされていて埃も被っていない。
「いらっしゃい。――あぁ、困るよお客さん、動物を連れて入っちゃあ――」
「コイツは“使い魔”だよ。ちゃんと登録証明書も持っている」
難色を示した店主に、自警団の団員証、備考欄に「使い魔あり」と書かれたものを見せる。
「なんだ、自警団のにーちゃんか」
納得した店主はカウンターの向こうで作業に戻っていった。
不承不承といった様子に見えたが、自警団の人間ともなれば日々の生活を守ってくれる存在だし、それ以外にも比較的酒場に多くの金を落としていくので利益を優先するようだ。
他の客から文句を付けられなければ構わないのだろう。おそらく口にしたのも半分以上はポーズで「きちんと金を落として行け」との念押しだ。
「にーちゃん、若いが使い魔持ちだなんて魔導師か? ていうか自警団員だろ? それにしちゃあこの辺じゃ見かけない顔だな。あ、先に何を飲むね?」
新参、あるいは余所者かどうか気になったのか、 注文を取りに来る体で店主が話しかけてきた。それにしても一度の質問がやけに多い。
彼がそうしたがる理由もなんとなく想像がついた。自警団員であっても小遣い稼ぎに悪さをしている者がいないわけではない。警官の汚職と同じで、どうしても一定数はそういった人間が存在している。彼はそれを警戒しているのかもしれない。
「普段は山籠もりで魔獣の狩猟がメインでね。寂しくなるとこうして町に降りてくるのさ。エールと何か軽く食べられるものを」
酒とつまみをいくつか頼みつつ、最近の生活で後ろ暗いことはなにひとつ存在しないジークはなるべく社交的に見えるよう答える。
その際、自警団の団員証をさりげなくカウンターの上に置くのも忘れない。
「よし任せとけ。たくさん飲んで行ってくれよな」
店主は先ほどよりもだいぶ態度を軟化させてジークに笑いかけた。どうやら警戒は解けたらしい。
「悪いが量はそんなに飲まないぞ。『酒はほどほどにしとけ』って家訓なんだ」
「なんだつまんねぇなぁ。それとも今日はこのあと寂しさを紛らわすためにシケこむのかい? そんならたしかにほどほどにしとかねぇとダメだな!」
「ははは、どうだろうなぁ」
真面目に返すのも面倒なのでジークは適当にはぐらかす。
思わず「もうそんなトシじゃない」と言いかけてやめた。たぶん、どう言っても伝わらない。
ジーク自身“そうした欲求”が存在しないわけではない。しかし、先ほどのハンネスとの会話で孤児が云々という話を聞いた足で“その手の場所”へ行く気にはとてもなれなかった。今の気分では余計なことまで考えてしまいそうだった。
「そういえば兄さん、知ってるかい? 最近なんだかまた外の世界が騒がしくなってるって話だぜ」
エールのジョッキを用意しながら店主が続けて話しかけてくる。
よほど喋るのが好きなのだろう。あるいは暇を持て余しているのかもしれない。周りを見渡すのは失礼なので記憶を掘り起こすとたしかに入店時に店内は空席がかなり目立った気がする。
「やっぱり山にいると世間に疎くなるんだな。……それで騒がしいっていうのは?」
なるべく素人臭く見えるようのんびりとした口調で答え、ついでに話にも興味を示しておく。
「ああ。常に話のネタを仕入ないといけない商売だけどよ、新聞を読んでいると雑音が多いんだ。『どこの国が資源の輸出を制限した』だの『隣国の防衛政策に不快感を表明した』だの気が滅入っていけねぇ。せっかく戦争が終わったってのに……」
目の前になみなみ注がれたエールが置かれた。
そんな暗い顔で客に酒を出すなと言いたくなるが、店主も従軍経験があるのだろう。カウンターの奥にそれらしき写真が飾ってあるのが見えた。
誰しもが戦争の傷を持っている。珍しくない話だ。
「もう十年経つ。でも……まだ十年なんだな」
溜め息を吐き出し、それからエールを一気に煽る。
「ああ。二十年も戦い続けたんだ、世界だけじゃなく人の傷跡が癒えるにもまだまだかかりそうだ。都会を離れてこの町に移り住んだやつだってそれなりにいるしな」
ジークの言葉を少年時代の記憶と思ったらしく、店主は青年の表情の変化にまで気が付かなかった。
「そんなわけだから、店を開けてる時はラジオも音楽しか流さないようにしてるんだよ」
山奥まで新聞を届けてくれる親切な知り合いもラジオもないため、外の細かな情勢はジークにはさっぱりわからない。
ただ、店主の言葉からいつか経験した独特の匂いの片鱗を感じ取っていた。
まだ微かなレベルだが“大戦”が近付いている時を思わせる匂いを――
「イヤなら遮断しとけばいいんじゃないか? 酒は楽しく飲むものだって死んだ親父が言っていたよ。町の噂話とかそんなのでいいのさ」
「兄さん、いいこと言うねぇ。飲みっぷりもいいけど、含蓄のある言葉まで話すたぁ若いのに大したもんだ」
すべての感情は曖昧な笑顔の仮面の下に隠しておく。
べつにこの店主にどうこう言いたいわけではない。ここ最近になって新聞やラジオで騒いでいるとしても、そんなものはいつだって存在している。ほとんどが触れられないから知らないだけだ。
ふと先行きの不安に駆られてジークがそっと下を向いた時――
「やぁやぁ、相変わらず不景気そうな顔をしてるねぇ」
「あん?」
酔客にかける声にしては喧嘩でも売っているのかと問いたくなる内容だった。
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