第5話 自分の足で


「わかります。しかし、事実として頼らざるを得ない。ここの孤児は当然あの子だけじゃないでしょう」


「おっしゃる通りです。肝心の我々大人に力がない。なんとも情けない話です」


 リーネだけを特別扱いはできないのだ。

 労働人口の年齢に足を踏み入れている以上、本音では│助け《稼ぎ役》になって欲しい。それでも危ないことや後ろ暗いこと、あるいは本人への負担が高いことはして欲しくない。親心と責任との葛藤が垣間見えた。

 そこまで話してジークは感じ取った。

 おそらく、この人は自分にあの子をどうにかして欲しいと期待しているのだと。


「何をおっしゃられますか。借財から身売り同然に孤児を手放さなければならない孤児院も多いと聞きます。そしてそれに漬け込むようなろくでもない連中の話も」


「ははは。先ほどから聞いていると、ジークさんはまるで“大戦帰り”の方のような物言いをされるのですね」


 何気なく放たれたハンネスのひと言だったが、ジークの心拍数が跳ね上がった。

 これだから用意もせずに町に出て来るのは気が進まなかったのだ。


 肩のアインからくっくっと笑う波が伝わってくる。おのれお気楽カラスめ……。


「……そうおっしゃられるということは、もしかして先生は?」


 ぎこちない表情になっていないか一抹の不安を覚えつつも、ジークはさりげなく話題を自分に向きかけたものからハンネスの過去へと変えにいく。


「ええ。これでも十五年くらい前までは軍にいたんですよ。歩兵でしたが砲弾の破片を膝に受けてしまって」


「それはそれは……」


 多少の不便はあっても五体満足ならばまだマシな方だ。

 思ったが口には出さない。他人の不幸をさらなる不幸で殴るなど何も生み出しはしないのだから。


「日常生活に支障はないのですが、どうにも軍隊生活は続けられなくて。先に傷痍軍人枠で退役できたのは戦友たちには申し訳ないけれど、あの子たちのことを思えば良かったのかもしれません」


 名誉負傷章でも退役時の一時金がそれなりに出た時期があった。おそらくハンネスはその時に退役できたのだろう。


「しかし、ジークさんは不思議な方ですね。どう見てもそんな年齢ではないでしょうに。つい昔話をしたくなってしまう」


「ははは、よく言われます。山奥に引っ込んでいるせいで早くも精神が枯れているのかもしれません」


 先ほどから核心付近を行ったり来たりされ、ジークの背中にじんわりと冷や汗が噴き上がってくる。

 十五年以上前に軍にいたならどこかで会っている可能性があった。

 いくら参謀本部直属で一般部隊との付き合いはほぼほぼなかったとはいえ、どこで繋がるかわからないのがこの広いようで狭い世界だ。


「もっとも……私には院長先生のお話に耳を傾けるくらいしかできませんが……」


「いえ。聞いていただけるだけでもありがたいものです」


 申し訳なさそうにしているジークの内心の焦りには気付いていない。

 むしろ溜め込んだものを吐き出したせいか、ハンネスの顔色は出会った当初よりも良くなったように見える。


「やはり皆が子供らしく生きられないような世界は間違っている。でも、私たち大人にできることもほとんどないのです」


 ハンネスは視線を落とす。無力感に苛まれるのだろう。

 ジークからすれば、このご時世に少なくない数の孤児を育てようとしているだけで十分立派だと思う。

 思わず何かできないかと手を差し伸べたくなったが、寸前で思いとどまる。

 一時の感情に流されてはならない。自分は世間から離れた身だ。もし手を貸すにしても慎重に進めるべきなのだ。


「どうか焦らずに。たしかに大変な時代ですが、地に足の着いた歩みでなければダメです」


「ジークさん……?」


「賢しらなインテリが始める革命じみたことじゃあ、夢ばかり見ていつも過激なことしかやりません」


 ハンネスは目の前の青年が大戦の前にいくつかの国で起きた事件を引き合いに出しているのだと気付いた。


「そうして革命を起こしても、意思はいつか大衆の思惑に飲み込まれていくから、│あのようなこと《“大戦”》になるんです」


「不思議なものですね……。やはりあなたはどこか違う。それを見込んで勝手とは承知でお願いしたいことが――」


 衝動的に出たであろうハンネスの言葉を、ジークはそっと手を掲げて止める。


「院長先生のおっしゃりたいことは理解しているつもりです。ただ、すこし考えさせてもらえませんか」


「――これはお恥ずかしい」


 ハンネスは自身の失言に気付き頭を掻いた。

 自分で言及するのもどうかと思うが、この院長は少し気を許し過ぎているとジークは思う。


「いやはや失礼しました。ついさっき会ったばかりの方に無理を押し付けるようなこと言って」


「お気持ちがわからないわけではないのです。ですが、今日はこのあたりで失礼させていただきます。危急の用がありましたらパラ・ミリタリー・サービス経由でお声かけいただければ」


「その時には必ず」


 会話を切り上げ、ジークは軽く一礼してから玄関の扉を潜る。


「ねぇ、ジークさん!」


 歩きだそうとする背中に聞き慣れた――脳味噌に無理矢理刻みつけられた声がかかった。

 そっとジークは足を止める。これといった驚きはなかった。なんとなくこうなるような気がしていたのだ。顔だけは苦く歪んでいたが。


 振り返って見上げると視線の先にはリーネの姿があった。

 部屋がちょうど玄関の真上なのだろう。出窓部分から上半身を乗り出していた。


「こんな夜遅くにどうした。子供は早く寝ろ。あと、そんなところにいて落っこちても知らんぞ」


「もう! なによ偉そうに! そんなに年齢だって変わらないでしょ!」


 ――見た目だけは、な。


 内心で意味なく自嘲しながら、さっさと切り上げるべく話を進める。


「で、用は? 悪いが怖くて一緒に寝てくれと言われてもダメだからな。俺は宿屋で静かに寝たいんだ」


「そ、そんなんじゃないわよ! もうエッチ!」


「じゃあなんなんだ」


 他愛のない軽口を重ねつつも、リーネが声をかけてきた目的はすでに予想がついていた。少女の瞳に浮かぶ真剣な輝きがそれを裏付けている。


「あのね、今日会ったばかりの人に無理な物言いだってことはわかってる。でも――」


 決意を固めた視線がジークのそれと交差する。


「わたしに狩り、いえ山でも生きられる術を教えて欲しいの」


 ジークは「またね」の本当の意味を思い知ることとなった。

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