第4話 ハンネス


「どうぞ、安物ですが」


 場所を食堂に移し、目の前に湯気の立つ陶器のカップが差し出された。


「ありがたいです。すっかり身体が冷えていたので」


 ひと言告げるとジークはカップに手を伸ばして口へ運ぶ。

 たしかに安物の茶葉たが、まだ寒い時期だけに温かな液体がじんわりと胃の中に広がっていく感覚が心地よい。


「あらためましてお礼を。申し遅れましたが、私はこの孤児院の院長を務めておりますハンネスです。この度はうちのリーネを助けていただきありがとうございました」


「いえ、山では助け合わないと生きていけません。ですから当然のことをしたまでです……」


 とりあえず社交辞令を口にした。


 ――この院長、本当に礼を言うためだけに呼んだのだろうか。


 内心で訝しんでいると、ハンネスは茶を啜った後にすこし表情を引き締めて口を開いた。


「すでにご承知かと思われますが、あの子――リーネは戦災孤児です」


 予想していた通りの言葉がハンネスから放たれた。年齢や姿格好などからそう思っていたがやはり正解だったようだ。


「ここの中では最年長なので、家計の助けになればとお金を稼ごうとしたみたいですね。倉庫からライフルを持ち出したのに気付いた時にはもう……」


 どう反応を示すべきかと考えていると、ハンネスは構わず言葉を続けていく。これはどちらかと言えば話を聞いてほしいのだろう。


「だから山に……」


「ええ、遅くまで戻らなかったのでどうしたかと心配していたのですが……」


 出会った時にはもうライフルを持ってはいなかった。どこかでなくしたか、攫われる時に邪魔な荷物として捨て置かれたのかもしれない。

 大戦が終わってから、武器の類は食力よりも巷に溢れていると言われている。特別価値のある銃でもなければ、男たちも余計な荷物は増やしたくなかったのだろう。


「私が見つけた時には丸腰でしたね。とてもひとりで山を下らせられなかったので用事ついでに町まで連れて来ましたが……」


『不都合な事実を隠して喋るとは、これだから人間は……』


 アインが念話で溜め息を吐いたが、人攫いに遭ったことを喋っていないだけで嘘はついていない。


『心外だな。余計なことに関わりたくないだけだ。なんでも口にするのは美徳じゃないぞ』


 もしかすると警察かどこかからリーネが再度事情聴取を受けたり、風の噂でハンネスにバレたりするかもしれないが、さすがにそこまでの責任は取れない。


「そうですか……。自分を負担に思ったりしないよう言い含めておいたのですが、孤児院の財政状況を知っているだけに何もせずにはいられなかったのでしょうね……。もっとしっかり言い含めておかねばなりません」


 ハンネスは溜め息を吐き出した。


「お気持ちはわかりますが程々でお願いします。犯罪に手を染めなかっただけでも褒められるべきだと思いますから」


「それはそうかもしれませんが……」


 ジークの“助命嘆願”にハンネスはあまり納得いっていない様子を見せる。初めて会ったばかりの若造にあまり干渉されたくないのかもしれない。


「このご時世、まともに教育を受けていなければ就ける職業も限られています。しばらくこの状況は続くでしょう。結果さておき真っ当に稼ごうとしただけでも偉いと思いますよ」


 所詮は他人だ。無難な言い回しに留めておこう。そうジークは思ったが、いつの間にか素直な感想が口を衝いて出てしまっていた。


「わかりました。私もいくらか思考が固くなっていたかもしれません」


 困惑交じりにハンネスは頷いた。


 ――みんな“大戦”が変えちまったんだろうな……。


 二十年に渡って続いた複数国家間の総力戦――通称“大戦”の影響で人口は激減し、戦いの中心となったミッドランドは文明も崩壊寸前まで追い詰められた。

 世界全部がそうなっていないのは不幸中の幸い、あるいは単なる偶然なのだろう。

 もっとも渦中にいる者からすればそんなものは何の気休めにもならない。明日とも知れぬ状況が人々の心を今も尚荒ませていた。


「ですが、本当に困ったものです。復興需要はあっても、各国の政治機能も多くが機能不全を起こしている。外国からの支援物資も本当に必要な場所に行き渡っていません」


 少し前に聞いた話では役人の数が足りず通関が滞っている物資もあるらしい。

 穀物などなら簡単に腐りはしないが、飢えた人々からすれば後回しにされるのは深刻な課題だ。地方に分配される食料を狙った襲撃事件、あるいは腐敗役人による横流しなども起きていると聞く。


「残ったミッドランド同盟軍を解散、各国で規模を縮小させても余裕すら生まれないのですから、我々は罪深いことをしました」


 余った元軍人を警察や民間企業へ下らせ、そこにも入りきらない更なる余りを名前だけは大層な準軍事便利屋パラ・ミリタリー・サービスとしてどうにか紐づけしているほどだ。


「物も仕事もない状態では、共和国か海を渡って連邦へ移住するしかありません」


「ですが、移民費用を捻出できない人も多いのでは」


「そう聞いています。だから私たちはこの国で何とか生きるしか術がないのです」


 ハンネスは途中で言葉を区切った。それほどまでに事実は重い。

 戦火に焼かれていない――無傷な国が海の向こうにはある。少なくない人間が新天地を目指して旅立ったとも聞く。

 生まれ育ったこの地に残るなら、男は準軍事便利屋か犯罪組織落ち。女もそれなりに稼ごうとすれば、同じく準軍事便利屋かプライドも何もかも捨てて娼婦になるしかない。これでは故郷を捨てる人々を責めるのは酷というものだ。


「さりとて日の当たらない場所を歩かせたり、命の危険を冒させたりするためにあの子を育ててきたわけではないのです……」


 テーブルに両肘を置いたハンネスの表情が苦渋に歪んだ。


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