第2話 リーネ


 首都メルハウゼンからほど遠いヴィンターガレン州の北方。

 そこには大森林を見下ろすヴィファーテン山が鎮座し、周辺の山々が彼の山を守るように密に居並んでいる。

 静かな森が今は大いに荒れたばかりであったが、少女の目の前に佇む青年はどこまでも落ち着きを払っていた。


「オーケー、コイツらのことはわかった。次は状況を整理しようか」


 ジークと名乗った迷彩服姿の青年は、本人からすれば精一杯友好的な笑みを浮かべて少女に話しかけた。

 少女は見たところ十代半ばを過ぎたくらいでオレンジ色の髪にくりっとした緑の瞳、鼻は細目だがはっきりとした意志の強そうな顔立ちをしている。

 登山用の服ではなく、払い出し品と思われる軍服とブーツを身に纏っているが、山へ入るための最低限の格好からして、おそらくもう少し深いところで何かしようとして攫われたのだろう。

 痩せ気味で髪もくすんでいることから、麓の町民だとしても貧民街に近いところから来たのかもしれない。


「…………」


 一方の話しかけられた少女側は、見ず知らずの相手とふたりきりなのもあって緊張せずにはいられない。

 もっと言えば、青年が放つ空気が悪かった。

 癖のない濃紺の髪の毛とすっきりとした目鼻立ちで「役者でも通じるくらいのいい男」と呼べるルックス。なのに胸がドキドキするのは恋の予感ではなく、退役軍人などを思わせる妙に凄味のあるピリピリとした雰囲気のせいだ。


「さっきも言ったとおり、俺は山暮らしだが麓の村の自警団に参加している身だ。お嬢ちゃんは?」


 安心させようと青年は身分証を掲げて見せてくる。顔写真もついていて偽物ではないと思う。

 それよりも自分とそんなに年齢は変わらないだろうに年上目線で話しかけてくるのがなんとなく気に入らなかった。


「……わたしはリーネ」


 おずおずと少女――リーネが口を開いた。


「麓の町では孤児院でお世話になってるわ。でも、時々お店の手伝いなんかもしていたけれど、自警団の集まりであなたを見たことなんてない」


 疑いの眼差しが向けられる。年齢的に戦災孤児だろうか。少し世間を斜めに見るような態度にジークは小さく目を細めた。


「俺は滅多に町へは下りないからな。精々がそのへんの村までだよ」


 ジークは淡々と答えた。元々人付き合いは積極的にする方でもないが、それ以外の事情もあって基本は山にこもって暮らしていた。

 必要な生活雑貨は村の信頼できる人間に調達してもらい、山で狩った獲物などを物々交換なり、大物であった場合は換金時の手数料で相殺してもらっている。

 だからリーネと顔を合わせたことはなくて当然だった。


「というより、あの竜もどきはなんで死んでいるの? まさか、あなたが倒したの……?」


 リーネからの問いかけにジークはどう答えたものかと後頭部をかいた。その際、肩のカラスと目を合わせたようにも見えた。


「……まぁそういうことになる」


「そんな……」


「じゃあ、あいつが勝手にすっ転んで死んだって言ったら信じるのか?」


「……ありえないかも」


 にわかには信じがたい話だが、後者よりはずっと確率が高い。

 いずれにせよ人攫いに遭って、そのまま見知らぬ犯罪者たちと一緒に化物の胃の中に収まる最悪の事態は回避できたらしい。

 捕まっている間、外の様子は窺えなかったが、気配と男たちの言葉でとんでもないことになっているのは理解していた。

 何もできないまま死ぬのかとほとんど諦めていたので、まさか助けが来るとは夢にも思っていなかったのだが……。


「倒したって、まさかその古そうな銃で? わたしが狩りに持ち出したものよりも古そうなのに……」


 未だ半信半疑のリーネはジークが背負った銃に視線を向ける。


『ふーん、四七式魔導混成銃マギス・ハイブリッド・ライフルを古そうとはねぇ……。この小娘、ド素人だな』


 肩の相棒から小馬鹿にしたような笑いの思念が漏れた。


『アイン、黙ってろ』


 指向性を持つ魔力波に言葉を乗せているから、アインの声はリーネには届かない。それでもジークは“相棒”に注意をする。


『待てよジーク。こんなド素人の小娘にバカにされて平気なのか? 見た目こそ古いが、市場に出回る稼働状態の現存品も少なく、それ以上にまともに扱える人間も今や数える程しかいない。戦争が生み出した芸術品アート・オブ・ウォーだぞ?』


 ちょっとした経緯から、自分よりもよほどこの銃を気に入っているらしいアインにしてみれば、リーネの無知具合がかんさわるのだろう。声にはいつもとは異なる熱がこもっていた。


『わかったわかった。頼むからすこし静かにしてろ、おしゃべりカラスめ。念話だと思って油断してるといつかボロを出すぞ』


 魔法といえど“絶対”は存在しない。

 個々の目に見えない素質に依存した“あやふやなもの”が魔法だからこそ、時として人は限界を超えた力を手に入れてしまうこともある。そうして起きた悲劇の数々をジークはよく知っていた。

 くわえて、そうした悲劇が生み出したのが目の前の少女なのだろう。

 孤児院にいて狩りという言葉を使うなら、それこそ山に入った理由は限られる。おそらく金銭を稼ぐためだ。今は触れまいが。


「たしかにコイツは古い銃だが……狩りにもコツがあってだな……。いや、それより麓の町まで送ろう。もうじき日が暮れる」


 露骨と言えば露骨だが、構わずジークは話を逸らしにいった。

 久しぶりの人間との接触で嬉しくなって会話を続けそうになったが、二度と会うこともない相手に手の内を詳しく明かす必要もない。


「え? 今から? 日が暮れちゃうよ?」


 リーネは西方の空を見て不安げに問いかけた。

 すでに陽は傾き西の空を赤く染めつつあり、遠くからは肉食動物とも魔獣とも取れない遠吠えが聞こえてくる。

 常人であれば今から下山するのは無謀だと口を揃えて答える時間帯だった。


「こう見えて少しだけ魔法が使える。俺と相棒が先導すれば問題はない。ふん縛ったそいつらと板――もうちょっとソリっぽくするか―――それに乗っていればいい」


「カァ」


 まさかあの山小屋に泊めるわけにもいかないし、なにより気絶した犯罪者どもを警察に引き渡さなければならない。

 あとは倒した竜もどきの遺骸を買い取ってもらうための手続きも必要だが、こちらは通常の準軍事便利屋パラ・ミリタリー・サービスではなく、自分の“ツテ”を使わないと少々面倒なことになりそうだ。


 ――偶然に│いざなわれるように町へ下りることになったが……


 手早く魔法で辺りの倒木を加工して板をソリもどきに改造しながら、ジークはふとそんなことを考えた。


『さてさて。トラブルに巻き込まれないといいな』


『言ってろ』


 相棒の揶揄に小さく鼻を鳴らすも、一抹の不安だけは払拭できなかった。

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