第1話 出会い


 叫ぶと同時に青年は、目の前に広がるほとんど断崖絶壁の斜面へ身を投げるように飛び降り、自身の進行方向に板を投げると器用にもその上に飛び乗った。

 そこからまるで雪上をスキーで駆け降りるがごとく颯爽と山肌を滑り降りていく。


「ぶっつけ本番だがなんとかなるもんだな!」


 木の板と地面のわずかな隙間に空気の流れを発生させ、浮かび上がった状態にしているのだ。

 魔法としてはたいした――戦闘にも使えないほど初歩のものしか発動させていない。それを魔力の絶妙なコントロールによって、熟練の魔法士でもなし得ない芸当へと昇華させていた。

 男が動くと同時に、腕から飛び立ったレイヴンは再び風を掴んで空へと舞い上がり、ゆっくりと大きな円を描きながら男に合わせ高度を下げていく。


『ほら、やっぱり無茶をするんじゃないか』


「うるさい!」


 相棒から送られてくる呆れ混じりの思念に、青年は耐えかねて小さく怒鳴る。

 少しでもバランスを崩せば、たちまち斜面に激突しながら滑落し、肉体を摩り下ろされながら崖下に叩きつけられるまで止まることはできない。誰がどう見ても満場一致で答えるであろう狂気の沙汰だった。

 それでも青年は速度を緩めない。死など恐れていないと言わんばかりに。


「飛ぶぞ!」


 手頃な足場を見つけると、進路を変えながら脚部に魔力を循環させて突き出た岩へと進み、板ごと大地を踏みしめるようにして虚空に躍り出る。

 眼球に魔力を流し込み視力を強化、土煙を上げて山を下りつつある魔獣を見る。

 脇目も振らずに追いかける魔獣の鼻先には、捕食者から必死で逃げようとするふたつの人影があった。素人にしては走り方がちゃんとしている。元軍人だろうか。


「やっぱりアホが関わっていやがった! あいつら、密輸目的か何か知らないが魔獣の縄張りに侵入しやがったな!」


『なんとも。あれだけ派手に殺し合いをしてもまだ身勝手に振る舞っているのか……人間とは懲りない生き物だな……』


 心底呆れ果てた口調で上空のカラスが鳴いた。

 いくつもの国々を焼き払った“大戦”は終わったが、世間も人の心もまだまだ荒みきったままだ。そうした人の弱さは大空を舞う存在には理解できないのかも知れない。


「その人間として全否定はできないが……かと言って放置もできないんでね!」


 答えながら青年は意を決して背負ったライフルを構える。

 見たところは軍用銃だが、型落ちで狩猟用と変わらぬ大口径だ。これでは鹿や熊、小型の魔獣は仕留められても、眼下で荒ぶる竜もどきをどうにかできるとは到底思えない。

 しかし――青年の表情に得物への不安は微塵も存在しなかった。


術式起動イグニッション――」


 極めて簡素化された詠唱が、薬室に込められたわずか直径八mm弱の弾丸と銃身に膨大な魔力を通わせていく。

 無理に照準は合わせず、ただ向けられた銃口の先に“獲物”が来るその時を待つ。


「《刺し穿つ天雷トール・ペネトレーター》!」


 引き金が絞られると同時に、銃口から光条が迸った。

 天から地上へと超高速で放たれた弾丸は、極音速を超え竜もどきの脳天へと突き刺さり、そのままの速度で脳を破壊して顎から大地へと抜ける。

 完全なる死角からの奇襲とはいえ、一撃で生命を維持するための器官を潰されては断末魔の悲鳴すら上げられなかった。

 一瞬で大型魔物を葬るほどの衝撃が大地を襲い、周辺の雪が煙となって舞い上がる。

 陽光を受けて反射するダイヤモンドダストを生み出しながら、デミ・ドラゴンは人間たちへと襲い掛かる寸前の表情のまま、ふらりと力を失い雪の残る大地へと倒れていく。


『相変わらず無茶苦茶な威力だ。だが、ジーク。おまえの場合、名前を叫ばなくても魔法は発動させられなかったか?』


「……山奥でひとり暮らししているとな、多少は寂しくもなるんだよ」


『何を言っているんだ。わたしがいるだろう』


「カラスに言われてもな……。というか、おまえとは最悪口を動かさなくても喋れるだろ。いざって時に言葉が出ないのは困る」


 板を取り巻く空気を操りながらゆっくりと地表へ向けて降下していく中、相棒の問いかけに答えた青年は気恥ずかしげに視線を逸らす。

 つまり、今のは“独り言”だったのだ。


『じゃあ、まさか会話がしたくて連中を助けたのか?』 


 当然ながら、今の一撃を間近で浴びた男たちが無事で済むはずもなく、投げ出されたまま地面で気絶していた。

 目立った外傷は何もない。周囲を巻き込まぬよう、慎重なまでに精密に制御された一撃だからこそなし得た曲芸じみた射撃だった。


「そこまでこじらせちゃいない。犯罪者なら即始末とか思想に偏りがありすぎだ」


 気絶しているうちに縛って板に乗せれば、無理なく麓の村まで下りられるだろう。

 そう考えたところだった。


「んー!!」


 男たちが担いでいた袋――どうやら寝袋らしきものが突然激しく動き出した。


「はぁ……密輸かと思ったら、もっとタチの悪いモンを捕まえちまったかもな」


 中に何が入っているかなど考えなくてもわかる。小さく溜め息を吐き出して、紐で縛られた部分をナイフで切る。


「んー! んー! むー!」


 声にならない声を上げて寝袋の中から出てきたのは、猿轡さるぐつわを嚙まされたひとりの少女だった。


「おいおい暴れるなって。待ってろ、すぐに切ってやるから」


 このままにもしておけない。青年は少女を警戒させないよう語りかけながら、猿轡をはじめとした拘束を慎重に解いていく。

 対する少女も抵抗はせず、代わりに状況を少しでも把握しようと周囲へ必死に視線をさまよわせていた。


 ――素人っぽいが思ったよりも落ち着いている? 胆力があるのか?


 必要以上に騒いだり暴れたりしない少女に内心で感心しながら紐を切った青年は立ち上がって少女から距離をとる。


「げほげほ……! ひどい目に遭った……! ここは――ひっ!!」


 倒れた竜もどきの遺骸を見つけた少女は小さく悲鳴を上げ、次いで倒れた男たちを見てがばっと立ち上がる。


「こ、この……」


 それまで困惑しきりだった表情は次の瞬間、怒りのそれへと大きく変わった。


「この人攫い! エロ親父! ひとでなし! よくもやってくれたわね!!」


 思い切り気絶しているのをいいことに、少女は怒りを露わにしたまま、地面に転がった男たちを容赦なく蹴り飛ばし踏みつけていく。


「おい、気持ちはわかるがほどほどにしておけ。死んじまうし、せっかく助けた相手を今度は殺人の容疑で捕まえたくない」


「止めないで! あれ!? これって止めてもらった方がいいの!?」


 興奮と混乱で思考が現実に追い付かないのか、コロコロとセリフが変わって忙しない。

 だが、止めなければ本気で男たちが死んでしまう。実際ひとりの鼻は爪先が直撃して潰れていた。気絶から覚醒してもう一度気絶させられたようだ。


「……ちょっと待って。あなた、誰?」


 そこで初めて少女はまともにこちらを見た。待つも何も青年は先ほどから動いていない。

 なんとなく自分を助けてくれたことは理解しつつも、得体の知れない相手を前にして少女は警戒の眼差しを向けて来る。


「俺は近くの山小屋に住んでる自警団の者だよ。名前はジーク。こいつは相棒の“アイン”だ」


 ジークと名乗った青年はわずかに微笑み、その肩に止まった大型のレイヴン――アインは小さく「カァ」と鳴いた。


 ――こんなところにいるのは攫われたからだけど、それよりも自警団? こんなに若そうなのに? というか大型魔獣を倒した!? どういうこと!?


 目まぐるしく起こっている事態。興奮冷めやらぬ少女は、何が何だかさっぱりわからず、呆然としているしかなかった。


「ところで、こいつらは人攫いでいいのか?」

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