第66話 天啓

「ここだよね? スライムが出る『しさろ』って」


 ウィスリーが周囲をキョロキョロと見回した。

 ちなみに四叉路しさろというのは四つの道が交差している場所のことをいう。

 俺たちがやってきた道を除けば、三方向に道が続いている。


「今のところ脅威探知エネミーサーチに反応はないがな」


 大抵の場合、ダンジョンから出てきたモンスターは自分の縄張りを定める。

 今回は街道を通った商会の貨物が被害に遭ったという。

 話が確かなら、このあたりに棲息しているはずだ。


「では、事前に打ち合わせたとおり手分けをして探そう。スライムはとびかかってくるときは素早いが、近づかなければ襲ってこない。見つけたとしても無理に戦わず、通話のピアスで知らせるように。どうしようもないときは弱点の核を狙え。そこだけは物理攻撃が利く。それと不意打ちを食らった場合は力の限り叫べ。すぐに向かう」


 俺の指示をコクコク頷きながら聞いていたウィスリーが分かれ道のひとつを指差した。


「じゃああちし、こっちの道を探してみる!」

「一応、消化液対策に酸耐性は全員に付与したが、スライムは溶かせない獲物にもまとわりついてくる。くれぐれも気を付けるんだぞ?」

「あい! ご主人さまも、ちゃんとね!」

 

 去り際のウィスリーがシエリのほうをチラッと見てから、こちらにウインクした。

 そ、そうか。謝るなら今だということだな!


「シエリ。さっきのことだが――」

「謝らないでいいわよ」


 まるでこちらが話しかけるのを読んでいたかのように、シエリは言葉を被せてきた。


「え? いや、しかし」

「あの子の言うとおり。わかってるのよ。『フレモン』なんて本当はいないって」

「シエリ……」

「『フレモン』はね。記憶の中のお母様がいつも読んでくれてた絵本なのよ」

「君の母上は確か……」

「ええ。あたしが子供の頃に亡くなったわ」


 親がいない俺にはピンと来ない。

 しかし、他人が踏みにじっていい記憶じゃないのは理解できる。


「その、すまなかった。そんな大事な思い出とはつゆ知らず……」

「いいのよ。アーカンソーは冒険者として正しいことを言っただけ」


 シエリが肩越しに振り返った。

 悲しそうで、それでいて色が抜け落ちてしまったような瞳が向けられてくる。


「アンタはいつだって正しい。だからきっと、『フレモン』なんてどこにもいないのよ」

「いや、そうと決まったわけでは……」

「あたし、向こうの道を探すわ」


 捜索に向かうシエリを呼び止められなかった。

 ここで訂正したところで、無駄だとわかっていたからだ。


 シエリは冒険中の俺の判断を異様に高く評価してくれている。

 その俺がいないと言った。だから、『フレモン』はいない。

 その認識はもう、くつがえせないのだ。


「そうか。だからこそ、シエリはあんなに傷ついて……」


 俺に断言されるまでは、心のどこかで希望を抱いていたということか。

 母親との思い出が、俺の言葉で完全に上書きされてしまった。

 ああ、本当になんということを仕出かしてしまったんだ。


「ようやくわかったぞ。正しいことが必ずしも人の心にとって良いとは限らないんだな」


 無知不出来な俺だが、ようやくひとつ学習した。

 しかし、これではあまりにも知識の代償が大きすぎる。

 シエリのことは、もう取り返しがつかない……。


「いや、まだだ! まだ俺には何かできることがあるはずだ!」


 諦めてはならない。

 ここで諦めれば、もっと多くを失うことになる。

 そんな予感があった。


「もはや俺の説が間違っていたことを目に見える形で証明するしかない。だが、事実として『フレモン』はいない……どうすれば……」


 頭をフル回転させつつ、ふたりが選ばなかった最後の道を歩いていると。


「……脅威感知エネミーサーチかんあり。当たりはこちらの道だったか」


 少し進んだ地点に不定形の粘液塊ねんえきかいがウヨウヨとうごめいている。間違いなくスライムだ。

 やや透明の粘液の中には消化された動物の骨が浮かんでいる。当然のように顔はなく、『フレモン』に登場していた愛らしい姿とは似ても似つかない。


 発見した場合は通話のピアスで全員に連絡する手はずになっている。

 しかし、気が付いたときには名もなき念動魔法でスライムの核を直接抜き取っていた。


「ああ……無意識に倒してしまったな」


 動作は手招きひとつ。

 それだけで、スライムの核は俺の手中におさまる。

 核を失った粘液塊はバシャッと弾けて、ただの液体に変わった。


「スライムの本当の姿をシエリに見せたくなかった、とでもいうのかアーカンソーよ。そんなことをしたところで、何の意味も――」


 自嘲しかけたところで、手の中の核がドクンと脈打った。


「む? この核はまだ生きているのか。大した生命力だ」


 力を込めて握りつぶそうとしたところで、俺の頭に天啓てんけいが降りてきた。


「……待てよ? 確かに『フレモン』は実在しない。発見もされていない。ならば――」


 モンスターは、元来この世界の生き物ではない。

 精神も魂もなく、衝動のままに破壊や殺戮を繰り返すだけの侵略者であり外来種。

 それ故に生命倫理を気にする必要はない。


 ならば――


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