第2話

 おれの寝ぐらはずっとここだ。

 スキッドロウの路地で睨み合っているように屹立した、ビルの一角の貧相なアパートメントがおれの住まいだった。

正面の窓から盛大に、向かいの夫婦喧嘩が見えていた。窓枠に切り取られたそれは格別のドラマで、ラジオしかないおれには楽しみのひとつだった。そんな寝ぐらで、お互いのプライバシーを突き付き合って生きてきた。それでも独立した家があるので、おれはまだ恵まれた生い立ちだった。

 気分のいい日はママと呼ぶ、そんな朝もある売女のおかげだ。

 その売女が【商売】をしている間、年端もいかないおれは吹きっさらしのバルコニーに出されていた。ひび割れた床板が所々浮いていて、体重をかけるとしなるのが分かる。

 そのバルコニーの鋳鉄の欄干が、おれのドラムセットだった。

 初めてまともなステッィクを貰えたのは、ママの馴染みの客からだった。この話を語る時だけは、ママと呼ばせて貰う。その晩だけは長じてからのおれの初めての感謝祭だ。それまでは中華街で拾ってきた菜箸で、ラジオから流れる音楽とセッションしていた。


 待ち合わせしたのは場末のストリップバーだった。

 でっぷりとした腹の白人のボーイに、カンサーは二人分の入場料を払った。なぜこの店に話があるのかと、おれは訝った。

 店内は音量だけは大きいが、軽いビートが充満していて、おれはげんなりした。テクニック魅せつけるように晒して、むしろその素性が露わで中身がない。キックに体重が乗ってないのに反吐が出そうだ。自転速度が18時間で、重力が半分の惑星から来た奏者かもしれないと思った。

「あのフードの女がシドだ」

 その娘は灰色のコートを真深く被り、舞台に貼り付いている。

 聞くに堪えない野次と嬌声が響く。実際にステージに身を乗り出した男たちの隙間に無言でそこに座っている。

 テーブルダンスはほぼ佳境で、ダンサーのぴんと実った果実が弾んでいる。あれに目が慣れてくると、地震に遭遇しても誰も気づくまい。

 乳首には銀色のピアスがある。

 下の方で確認すると、ダンサーのプラチナブロンドは、本物だとわかる。糸屑すらほぼ身に纏っていない彼女は、フードの女の指先に夢中のご様子だ。

 両脚で見事にLの字を描きながら、乳房を揺らせて距離を詰めていく。量感のある尻がリノリウムの上で弾んでいる。無理な体勢なのに、陶然とした笑みが、仮面のように張りついている。

 嫌なものを思い出させる、と腹立たしくなる。

 シドとされた後ろ姿の女は、極彩色のライトが蠢くステージに100ドル札を置き、その指先をナイフのように紙幣の上に突き立てている。そいつが邪魔でその指を外すため、ダンサーは最後の趣向をシドの眼前で繰り広げる決心をしたらしい。垂直に立てた右脚でリズムを取りながら、その付け根の中心の女陰から、茹で卵をぽろりぽろりと生み出していく。

 その茹で卵は半ダースもあり、ステージに群がる男たちが奪い合い、躊躇なくそれを有り難く噛みつき呑み込んだ。

「これがオーダーなのか?」

 喧騒のなかで、カーソンの耳元に怒鳴るように言った。

「いや、これからだ。シドに引き合わせる」


 おかしなことになった。

 呼ばれた部屋は競技ダンスでは3歩と歩けない広さだ。

 高尚なとされる刺繍の施されたカーテンがかかり、部屋の陰影をさらに歪つなものにしていた。足首まで埋まりそうな絨毯には、想像したくない沁みの跡が生臭く付いていた。

磨りガラスの高窓を背に、ひとり掛けにしては大き過ぎるソファが置かれ、さらに成人としては小さ過ぎるシド・パレットが座っていた。

 おれの扱いは劣悪なもので、電球を変えるときに靴で踏まれ続けたような三本足の丸椅子が充てがわれていた。

 ふたりきりではなかった。

先刻のダンサーが呼ばれたらしく、部屋に入りおれの存在を認めて、鼻を鳴らせて眉をそばめた。彼女の素地はこうらしい。

「コレとつがえって言いたいの?」

「いいえ。お相手は、わたしよ」

 コートがすとんとソファに広がると、ダンサーが目を見張って両手で顔を覆った。

「まあ、なんてこと。シド・パレットじゃない!」

「声が大きいわ」と感情の籠らない声でシドは言った。

「ああ。ちょっと待って」とダンサーは入り口に戻り何かのスゥイッチを切った。むしろ入れたのかもしれないが、録画でも残したら、この店はカンサーが丸ごと擦り潰すだろう。

「じゃあコレは何?」と目線はおれを向く。

「・・ソレは、まあ飼い犬よ。わたしを見張っていて、何かあれば飼い主に報告しに行くのよ。骨欲しさにね」

モノ扱いから哺乳動物扱いに格上げして頂いたので、おれは革ジャケットの内ポケットから、カンサーに貰った葉巻を取り出した。

「ちょっと見てよ、コイツ」とシドの頬を愛おしそうに抱こうとしていた、ソレが振り返った。

「ちょっと!葉巻はよしてよ。髪に匂いがつくじゃない!」

 無言でシドの人差し指が動いた。

ソレの額に100ドル札が人差し指で止まり、その下には満面の笑顔があった。

「じゃあ始めましょうか?」

ソレはサテンのワンピースを肩から脱ぎ、蜘蛛の巣が貼りついたようなガーターとありったけの下着を手早くぽいぽいと外して初対面の、見慣れた姿になった。プライベートダンスの手順を全て繰り上げたようだ。

おれは葉巻に火を付けた。

「見てよ。犬が骨を咥えたわ」

 優しくシドのブラウスのボタンを外し始める。ブラを付けていないようだ。それを指先で愛撫しながら、ソレは振り返った。

「犬には何が起こっているかは、分からないわよね」

 中腰のシドのスカートを抜こうとしている。薄い乳房は血液が通っていないように白い。乳首は黒すぐりのように濃かった。年齢からみても崩れかけている。100ドルのチップは貰えないだろう。

しかしながら腹筋は強靭なもので、あの胸に魅力がないのは筋肉質なのだろうと思った。

「大丈夫よ。この部屋は。どんなに声を上げても誰にも届かないわ」

成る程、おれがここに居るのは、そういう事かと思った。シドに異変があれば盛大に吠えるとしよう。

 ふたりの花弁が露わになり、啜り泣くような睦言と、両生類が這い回るような音を交互に聞きながら、おれは苦い葉巻を吸い続けた。

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