07.サムソン・ウーズナム

 暖炉のなかで燃える薪が、音をたてて弾けた。


「そちら側から直接来られるとは、何か急な用事でも?」


 私が問うと、会社の応接間で木製の椅子に腰かけた銀髪の男がいぶかしげに微笑む。

 彼との話には、隠さねばならないことが多い。社内でも賢い者は彼を応接間に通してから同じ階層にいることすら避けたが、それほどできた人間ばかりじゃないのが組織だ。

 一部の協力を得て、勘の悪いバカどもを建物の二階から追いだし、今ここには私と彼しかいない。


「ええ、少し……シンカンのほうで問題がありましてね」


 すると銀髪の男は、長テーブルの上で布の地図を広げた。

 シンカンは、スロライナ連合王国からいくつもの小国を跨いだ先にある大陸有数の大国である。


「問題が?」

「ええ、場合によっては国際問題への発展すらありえるかもしれません」


 シンカンを含んだ周辺諸国への貨物運送は、ウーズナム社の最大の強み。

 国境を通るための通行銅証は貴族院からしか発行されず、取得にも維持にも連中は金を搾り取る。ゆえに取得している運送会社は少数かつ、一枚取得するのが関の山。

 しかし私の手もとには本物の通行銅証が二枚と、偽装銅証が六枚。つまりウーズナム社は、合計八台の貨物馬車が国境の向こう側へ行ける王国唯一の運送会社だ。


「なるほど、それは厄介だ」


 外国への輸出入で莫大な利益を生んでいただけに、シンカンという一番の得意先を失う代償は会社としても非常に大きかった。


「問題とは?」

「どうもあちら側で捕まった商人が余計なことを喋ったようです。シンカン政府が動くのも時間の問題でしょう」

「……そうか」


 下手すれば、ウーズナム社の存続危機。しかしそれほど感情の動かない自分が不思議だった。

 それこそ、少し前の自分であれば怒り狂っていたに違いない。

 金はこの世の全てで、金を持つことで全てを手に入れられる。女も酒も、決して自分に逆らわない都合のいい奴隷も、金は私の全てを満たしてくれる。


「ウーズナムさん?」


 銀髪の男が、珍しいものでも見るかのような目で私を見つめ、首を傾げた。


「ああ、手は打とう。口の軽いクズ商人はその後どうした?」

「勿論、始末に向かわせています。彼らはとても腕のたつ魔術師たちですから、証拠の隠滅も上手くやってくれるでしょう」

「しばらくはいくつかのルートを制限して貨物馬車を減らし、慎重に行動したほうがよいか」


 国際問題への発展だけは避けなければならない。そのためならスラムで買った奴隷が何人死のうと安いものだ。

 理解している。納得している。なのにこの胸に詰まる感覚は一体なんなのか。


「なにか考えごとでも?」


 この男はいつもそうだ。

 まるで人の心を覗き見でもしているかのように、「全部お見通しですよ」と言わんばかりの不敵な笑みで見つめてくる。


「個人の問題だ、お前には関係ない」

「そうもいきません、あなたには重要な仕事を任されているという自覚を持っていただきたい」


 私の仕事は大金を生み出す代わりに、秘密も多い。その最たるものが、このカギだ。


「まさかとは思いますが、その魔法のカギのこと……酔った勢いで誰かに話したりはしていませんよね?」

「その点は安心してくれて構わない」

「あなたとは良好な関係のままいたいですからね。くれぐれも、娼婦にうつつを抜かしたりしないよう願いたいものです」

「お前……」


 この言いよう、おそらく彼は私が娼館ハニィレイクに通いつめていることを知っている。

 これまでも娼婦は何人も買ってきた。私が私の金でどんな遊びをしようと勝手で、それを誰に知られようが関係ない。


「なに、あなたが珍しくひとりの娼婦にご執心だと聞いたもので、心配していただけです」

「お前には関係ない」


 だが、ルーシーは違う。


「金と愛は、人を狂わせる」


 そう言うと、男はまた微笑んだ。


「輸送ルートはこちらで制限する。邪魔な人間の排除はそちらに全て任せた。

 それで話は終わりだ、ほかに用がないなら私はこれで失礼する」

「ご多忙のなか、お時間をとらせて申し訳ありません。こちらとしても、国会シーズンを控えてピリついているのでね。

 どうか、妙な考えを起こして我々の機嫌を損ねてしまわないよう、上手くやってくださいね」


 自分よりも若く華奢な男に脅し文句を吐かれるのは腹立たしいが、彼が裏で殺した人間の数を知っている。彼の関わった殺人は事故として処理されるか、遺体を隠して

存在そのものを消し去るか、未解決事件になるかの三通り。

 腹立たしく思ったのは事実だが、そんな男との関係を悪化させたくなかった。


 その後、彼は数人の取り巻きを引き連れて会社を去った。

 彼と直接会うのは八度目だが、初めから今までずっと居心地が悪い。あの碧色の瞳のなかにいる間は、ほんの一瞬すら気が休まらない。

 自分の心を見透かされていると思い込むのがこれほどにも息苦しいものと知ったのは、彼と出会ってからのことだ。


「社長、例の件で……ですか?」


 男を見送ってから再び応接間に戻り、布の地図を暖炉の炎で燃やしていた私の背に、聞き馴染みのある男の声がぶつかった。


「ああ、シンカンで商人がしくじったそうだ」

「そうでしたか」


 応接間で用意したティーセットの回収にきた男は、淹れた紅茶が減っていないのを見てため息をついた。


「アラン、少し飲みにいかないか?」

「それはまあ、かまいませんが」


 アランは会社のなかでも信頼を寄せている部下のひとりで、おそらく私がいなくなれば会社を任せるのは彼だろう。

 私から酒の席に誘うことはこれまでも何度かあったが、今日のアランはいつになく不思議そうな顔をしていた。


 アトラス街は既に暗く、上着を羽織らなければ出歩けないほど肌寒い。

 部下のアランを連れて向かったのは、等間隔に並ぶ街灯の火が弱々しく仄暗い路地裏。そこにある人も寄りつかないような狭い酒場だった。

 日没後というのに席がガラガラ。これといって食事が美味いというウワサも聞いたことはない。

 しかし、誰の目も気にせず会話するにはもってこいの場所だ。


「アラン、もしも私が足を洗うといったらどうする?」

「え……」


 カウンター席で目の前に置かれたグラスも手にとらず、アランは目を見開いた。


「あとは、全部お前に任せたい。勿論私は会社で知り得た全てを口外しない」

「まさか、さっきアイツと話してたのって、ウチが潰れるくらいヤバいって話ですか」


 自分が今までどんな人間だったか、自分がよく知っている。

 そしてアランは、私の次に私を知っているだろう。彼とはウーズナム社をたちあげた時からの付き合いの同僚で、部下で、共犯者。

 私の口からこんな言葉が飛びだしたのだから、会社の危機を疑うのも仕方のないことだ。


「いいや、商人の件は大した問題じゃない。今から少しの間はルートと本数を減らすことになるが、利益は十分見込める」

「だったら、どうしてですか」


 グラスを傾けて少しだけ飲んだ酒は粗末な味。


「見つけたんだ」

「見つけた? まさか、前に言ってた娼婦のことですか?」

「ああ、この仕事から足を洗ってルーシーと暮らしたい」

「正気ですか? そんなの、アイツらが許すはずがない」


 アランの言うことはもっともである。

 少し前にも、男から「どうか、妙な考えを起こして我々の機嫌を損ねてしまわないよう、上手くやってくださいね」と警告されたばかりだ。彼らが私の言葉を信じて「お疲れさまでした」と終わるはずがない。


「金ならある、首都から離れた小さな村に土地と家も買った。準備ができればルーシーに全て話し、このカギもお前に託す」

「俺にそのカギを……ですか」


 ポケットから取り出してカウンターに置いた古いカギのことを、銀髪の男は【魔法のカギ】と称した。

 たしかに、このカギはウーズナム社だけにあらず、スロライナ連合王国に恩恵をもたらす魔法のカギだ。それと同時に決して外に漏れてはいけない秘密のカギでもあり、私が築きあげた財産のすべてでもある。


「お前は何も知らなかった。すべてはサムソン・ウーズナムの独断。それで全部上手くいく」


 カギをポケットになおすついでに逆側のポケットから適当に紙幣を取りだしてみると、20ロンド札が数枚ばかり。ふたりで酒を飲んだくらいなら二枚三枚で足りるだろうが、私は全ての紙幣をカウンターに置いて席を立った。


「あまり長話をするのも得策ではない。今日は呼びだして悪かったな、これで好きに遊ぶといい」

「ちょっと、社長!」


 店に入ってから話を終えて私が出るまでの間、客はひとりも入っていない。

 店内の掃除も行き届いていないようだし、酒も美味くなかった。店がつぶれるのも時間の問題だろう。

 少し酒のペースが早すぎたせいか、安酒に体が慣れていないのか、今日は一段と酔いがヒドい。

 視界がぐらぐらする。足取りが危うく、気を抜けばバランスを崩して転倒してしまいそうだ。


「くそっ、変な酔い方をしたか」


 喉の奥からなにかこみあげてくるものを感じ、路地裏のなかでもさらに人気のない建物と建物の狭い隙間道に入ったその時、背後に誰かの気配を感じた。


「アランか? さっきの話は忘れて――」


 金を置いてさっさと店をでた私のことを、アランが追ってきたのだろう。

 その程度にしか思っておらず、振り返ることすらしなかった。

 刹那、背中から燃えるような痛みが全身を駆け抜けた。


「あ……」


 恐る恐る視線をおろすしてみる。

 背中に突き刺さった手が私の少しばかり太った体を貫通し、みぞおちから飛び出してしまっているではないか。


「あぁ……」


 状況がのみこめない。

 痛いのに声がでない。

 異常なペースで息がこぼれるものの、空気を吸いこめない。

 呼吸の仕方が思い出せない。


「あ……」


 両手の指先でほんの少し触れた赤い手は、体毛が濃く爪は鋭利に尖っていて、とても人間のそれとは思えなかった。

 とんでもない力で手が引き抜かれると同時に、全身も一気に後ろへ引っ張られる。

 仄暗い裏路地に仰向けで倒れた私を見下ろしていたのは、灰色の外套と鉄のマスクで姿を隠した誰か。


「……ルーシー」


 間違いなく、自分はここで死ぬ。

 真っ先に浮かんだのは、ルーシーの顔だった。

 鉄マスクはフードの下で妖しく光る赤い瞳で私を見下ろすばかりで、何も話そうとはしない。


「ル……」


 鉄マスクの目的が何かは分からない。

 だが狙われる理由には心当たりがあった。

 私は即座にポケットから古いカギを取りだし、乱雑に放り投げる。

 するとカギは放物線を描き、側溝へ吸いこまれた。

 たしかに今、私はカギを投げた。しかし鉄マスクはカギのことなど気にも留めない。私の命を狙う目的などカギ以外にないはずだが……。


 そんなことを考えたのも束の間、鉄マスクの左足の裏が降ってくる。

 骨も、心臓も、一瞬にして踏みつぶされた。


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