06.亡き者の声
*
ヘレン婆さんに捕まって無駄に広い聖堂を掃除させられたのは予想外だったが、それから夜にかけての進捗はスムーズで、私に与えられたノルマは達成したと言ってもいいだろう。
「奉仕活動中、よく見かけては挨拶をする仲だった」とウォーカー司祭に話せば、縁と感謝を忘れない真面目な修道女が祈りを捧げるため、親切に遺体の埋葬場所を教えてくれた。
ハイロウド墓地へ続く坂道の下、丁度ランタンに火をつけたタイミングでリチャードは現れた。
「なんでシスターの服着てんだよ」
「誰かに見つかった時のためだ。これさえ着ていれば、誤魔化しようはいくらでもあるだろう?」
修道服のままきた私と対照的に、ランタンの灯りが照らしたリチャードは普段着。
誰もが寝静まる夜中を選んで来たといえ、墓にいるところを誰にも見られない保証はない。
その辺を歩く羽振りのいい紳士どもみたいな普段着のリチャードはまだしも、私が持っている服はどれも黒ばかり。同じ黒を基調とした衣類でも、修道服とは怪しさが雲泥の差である。
「行くぞ、サムソン・ウーズナムの遺骨が入っている納骨堂は私のほうで特定した」
「ハイロウド墓地の納骨堂とは、これまた結構な身分だな」
墓地を維持するのだって容易いことではない。
王国でも有数の規模を誇るハイロウド墓地に遺体を埋葬しようとすれば、それなりの寄付金を修道院に支払わなければならなかった。
ましてや最奥の納骨堂に火葬した遺骨を納めるともなれば、ノトア娼館街でひと月は遊んでまわれるほどの額は要求されるだろう。
「それだけ遺産の額にも期待できる」
「だな」
ランタンを持った私が先導し、夜中の墓地を横切っていく。
案の定、真夜中の墓地に私たち以外の人間の気配はない。
「にしてもお前、よくこんな暗いところをドンドン進めるな」
「灯りがあるからな」
「そうは言ったって、ここ昼間に来ても入り組んでて分かりづらいだろ?」
「私が何度ここに来たと思っている、自分の庭みたいなものさ」
「昼間から奉仕活動をサボってるシスターさんが、熱心にお祈りですか」
「昔はノイズに慣れるために自ら足を運んだものだが、今となっては活動をサボった罰だな。
ハイロウド墓地が綺麗に保たれているのは私のお陰と思え」
「ノイズ……か」
私にだけ聞こえるノイズがあると知っているのは、ヘレン婆さんをはじめとした修道院の連中とリチャードだけだ。
死霊たちの言葉の体すら成していない呻き声のような、あるいは叫び声のような、あるいは鳴き声のような、そんな形容しがたいノイズが私には聞こえる。
昔はよくノイズに晒されて気が狂うような思いをしたものだが、十年以上も聴こえていれば生活音や環境音と対して変わらない。
「なぁ、俺にはそのノイズってのが聞こえないんだけどよ」
「当然だ。全員に聞こえていたら国民の頭がおかしくなって、王国は狂人だらけになってしまう」
「墓地は亡霊がでるとかいうだろ? あれってマジ?」
「魔術学では、肉体と霊体が剥がれることを総じて【死】と称する。息をしなくなった時点で、肉体から剥がれた霊体は元の姿を維持することができずに消滅する。
ノイズは消滅しきれずに残った霊体の一部、自我のない破片どもが意図して墓地に集まることはまずない」
問われたから答えているが、魔術学における死の概念を話したところでリチャードが理解できるとも思えなかった。
「じゃあ、墓地で亡霊がでるのはジョークってことか」
「抜け殻となった肉体にも霊体はわずかに残るから、あながちジョークってワケでもない。ここは遺体の数も多いし、何かの拍子に一般人の五感が霊体を捉えてしまったんだろう」
「……マジか」
しばらく歩いていると、納骨堂の入口に着いた。
納骨堂は【ベイゲート回廊】と【ジョーイ街】に別れ、サムソンの遺骨はベイゲート回廊に納めてあるらしい。
ジョーイ街はハイロウド墓地でも最上位の区画とされていて、中で眠っているのはアトラス街にゆかりのある貴族の遺骨ばかり。サムソンは資産と王国への貢献を認められてベイゲート回廊に骨を納められたが、やはり成金風情ではジョーイ街の敷居を跨ぐに至らなかった。
「それより見たぞ、六日前の新聞記事。サムソン・ウーズナムの件は連続通り魔事件として、
「なんだその言い方、嫌味のつもりか?」
「人聞きが悪いな。私はただ、市民から税金を搾り取る聖教騎士団様は市民が困っている時、他人任せで自ら動こうともせずふんぞり返っているだけで給料が貰えるのかと感心していただけさ」
「なんで俺、こんなボロクソ言われてんの」
天井も壁も床も、石を並べて築いたベイゲート回廊の内部に入ってからというもの、私たちの会話は回廊で幾重にも反響した。
「ったく、そういう小物は民間組織に任せときゃいいんだよ」
「さすが、天下の騎士様は言うことが違う。それで? 騎士様は私が墓の所在を探している間に何をしてくれたのだろうか。
まさか、他人に任せるだけ任せて休暇をとっていたワケではないだろうな」
「こっちはこっちで、サムソンについて調べてたんだよ。何か遺産探しの役に立つかと思ったんだが……」
背後から聞こえるリチャードの声が、次第に小さくなっていく。
「その様子だと、有益な情報はなさそうだな」
「遺産の話をルーシー以外にしてないってのは多分マジだぜ。誰に聞いてもそんな話は出てこないどころか、ヤツを知る連中は口を揃えてあの守銭奴が自分の遺産を他人に託すなんて信じられない、だと」
この男、街では顔が広く、やたらと評判がいい。
ろくに仕事もしない穀潰しの税金泥棒のどこにそれほどの魅力があるのか、私にはさっぱり分からない。
しかし、そのカリスマ性を駆使した聞き込み能力はバカにできない。このジャンルにおいてコイツと肩を並べられる人間はそういないだろう。
「とにかく金に関しちゃ意地汚くて、ウーズナム社の下っ端どもは寝る間も惜しんで国境を跨いだ大移動。過労で死人が後をたたないほどメチャクチャな労働を強いられてたらしい。
ウーズナムで運搬やってたガキの親たちがスラムから出てきて猛抗議したこともあったんだが、その時サムソンはどうやって解決したと思う?」
「さあ、彼の人物像から察するに、スラム街から出てきた連中に頭を下げることはないだろうな」
「10ロンド札をばら撒いて、テメェらのガキの命の値段だ……ってほくそ笑んでたみたいだぜ」
10ロンドあれば、その日三食分の飯が食える。
サムソンから見て代えのきくスラムの青少年どもは、その程度の価値しかないということなのだろう。
「そんな連中が死ぬ思いで働いて生んだ利益を使って、自分は夜な夜な娼婦を買って酒を飲んで豪遊していたワケか。随分といい身分だな」
「娼婦からの評判も最悪だったよ。アイツ、毎晩五人六人の娼婦を買って遊んでたらしいが、少しでも気に入らなかったら容赦なくぶん殴って罵声を浴びせてたらしい」
サムソン・ウーズナム。聞けば聞くほど、ルーシーの言っていた男と同じ人物とは思えない。
「そんな男がただひとりの娼婦だけは抱かず、あまつさえ己の遺産を全て託そうとした。聞けば聞くほど奇妙な話だ」
「同じこと考えてたよ、ルーシーの何かがサムソンって男を変えたのかもな」
「詮索するのはいいが、私を巻き込むなよ。他人の事情に踏みいるなんて面倒が増えるだけだ」
サムソンにとってルーシーが特別だったのは、考えるまでもなく分かること。
だが、それは遺産探しと関係ない彼らふたりの事情である。そんなものに巻き込まれてバカを見るのは御免だ。
「着いたぞ、ここだ」
ランタンの灯りだけを頼りに暗い回廊を進みながらうだうだ話していると、すぐに目的地へたどり着いた。
回廊内も迷路のように入り組んでいるが、幾度となく竹箒を持って徘徊した私にしてみれば庭みたいなものである。
ウォーカー司祭からは「【ベイゲート回廊】の【東区画】から入って、奥の方にある」とだけ聞いていたが、こうしてウーズナム家の名が刻まれた石棺までたどり着くのに大した時間はかからなかった。
「よかったな税金泥棒、ようやく出番だ」
石棺は私の細い腕で押しても引いてもビクともしない。
この税金泥棒に任せっきりなのは癪にさわるので自分ひとりで石棺をなんとかしようとしたが、多分これでは一生かかっても中の遺骨を拝めないだろう。
「ひと言余計なんだっつーの」
リチャードは、それをいとも容易く開けてしまった。
「熊か、お前は」
「あぁ? こんくらいガキでも開けれんだろ」
「そんなワケあるかっ! 石の塊だぞ!」
とんでもない怪力でようやく開いた石棺に納められていたのは、二人分の骨。
「おい、ふたつあるぞ」
「ウォーカー司祭いわく、サムソン・ウーズナムは過去に妻を亡くしているようだ。おそらくもうひとつは彼が過去に亡くしたという妻のものだろう」
「おいおい、それじゃあどっちがサムソンのか分っかんねぇよ」
「こっちがサムソン・ウーズナムだ」
私がサムソンの頭蓋骨を拾いあげると、リチャードが隣であげた「はぁ!?」なんて大声が納骨堂を反響しながら駆け抜けた。
「頭の骨見ただけで分かんの!?」
「この頭蓋骨は額から頭の頂上にかけてのラインが滑らかになっているが、そっちの頭蓋骨は額が一度垂直に伸びたあとラインがやや直角気味になっている。これは男と女の頭蓋骨に表れる最も大きな特徴だ。ほかにも下顎や頬あたりの発達具合が全く違うだろ」
「なんで知らないの、みたいな顔で見るんじゃねえ!」
これで目的の物は回収できた。あとはこれに残されている残留思念から、彼の記憶を読み取るだけだ。
「にしても、墓荒らしなんかやって祟られたりしねぇよな? 俺、呪われたりとかそういうのマジで勘弁だからな」
「バカを言うな。呪いだの祟りだの、そんなものくだらない迷信にすぎない」
「でも霊はいるんだろ? 生前にやり残したことがあって怨念が、とかあるかもしんねぇじゃん」
「霊体に自我はないし、生前の記憶もない。遺体の、とくに頭蓋骨にこびついた霊体は残留思念と呼んでいるんだが、ここから私が記憶に侵入できるのは死霊術で他者の霊体に干渉できるからだ。遺体がスゴいのではなく、私がスゴいということだな」
この頭蓋骨は保存状態が素晴らしい。サムソン・ウーズナムという男は虫歯がなかったのだろう、口周りに黒ずんだ痕もなくて綺麗な白骨体はなかなか見られない。
できれば血肉がついていたほうが好ましいが、死んで間もなくの遺体というのはやはり素晴らしい。推せる。
嗚呼、素晴らしすぎてヨダレがとまらない。
「おい、顔がとんでもないことになってんぞ」
今、私の手の中に何十年という生涯の完成形がある。
この頭蓋骨は今までに色んな景色を見てきて、色んな感情を抱いてきた。
しかし完成品と化した今は、何も見ることができないし感情を抱くこともそれを言葉や態度にすることもできない。そのギャップが萌える。
「おい、おーい」
「しまった、あまりにも推せる遺体だったものでな」
「何言ってんの」
「夜明け前には見回りが来る。私たちがこの場所にいられるのも一時間から二時間がいいところだろう」
「見れるのか? そんな短時間で」
「見れるだけは見てみるさ」
一時間であれば、遺体の体感時間にしておおよそ二日から三日の記憶に侵入するのが限界。
このまま頭蓋骨を持ち帰ればじっくり見ることができるかもしれないが、遺体は最後に眠る場所としてこの石棺を選んだ。
遺志や遺言というのは生者の戯言より尊重されるべきもので、彼をこの場から遠ざけることは可能な限り避けたい。
「リチャード、その間は見張りを頼んだ」
「おう」
サムソンの頭蓋骨を両手で抱え、私はゆっくり目を閉じた。
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