05.修道院のシスターたち


 修道院の時計塔は、一日に三度鐘を鳴らす。

 一度目は、アトラス街に朝を告げる鐘。

 二度目は、太陽が真上に昇ったことを告げる鐘。

 最後は、陽が沈むのを告げる鐘。


 しかし、修道女たちにとってはこの鐘の意味も変わってくる。

 一度目は、朝の礼拝をはじめる合図。

 二度目は、午前の活動を終える合図。

 最後は、その日の活動が終わる合図。


 つまり一度目の鐘で目を覚ました私は、今日も朝の礼拝に寝坊したということだ。


「まったく、こんな早朝からお祈りなどやっていられるか」


 本来、鐘の音が鳴るもっと前に当番の修道女たちがひと部屋ずつまわって起こしにくるのだが、物置で寝ていればその限りではない。

 多少ホコリっぽいし寝心地の悪さはあるのだが、霊たちのノイズで夜を熟睡して過ごせない身にしてみれば、早朝から叩き起こされるほうがよっぽど不快だった。


「今夜、サムソン・ウーズナムの墓を掘るんだったな。早めに墓の場所を見つけるとしよう」


 アトラス街にあるハイロウド墓地にサムソンの埋葬された墓はあるのだろうが、土地が広い上に入り組んでいて、足で探すには時間がかかり過ぎる。面倒くさい。

 だから「シスターとして今は亡き者に祈りを捧げる」という口実が必要だった。

 替えの寝具や収穫祭に使う飾りなどを詰めこんだ物置部屋は修道院の一階。対して私のベッドや着替えのある部屋は、二階の角。

 これだけ長い距離を歩いていれば他の修道女にも見つかりそうなものだが、今ごろ彼女たちは聖堂で礼拝の真っ最中である。この居住棟にいるのは私だけで、誰の話し声もしない居住棟は奇妙なほどに静かだった。


「あれは」


 ヘレン婆さんがよくコーヒーを飲んでいる指導者室の扉が開きっぱなしだったので中を覗くと、床に積み上げられている新聞が見えた。

 数日分の新聞を溜めこんでいるのだろう。


「通り魔事件、か」


 右を見て、左を見て、また右を見る。

 周りに誰もいないのを執拗に確認して指導者室に入り、新聞を一部ずつ拾いあげていくと、やはり通り魔事件の記事があった。

 日付は三月十九日。今日が二十五日だから、六日前の新聞に通り魔事件のことが大きく取りあげられている。


「今月に入って通り魔事件の被害者は二人目。全身に怪力で抉られたような傷痕が先日アトラス街で殺されていたティモシー・バントンと類似していることから、警官隊は連続通り魔事件と見ている」


 アトラス街にいれば、ティモシー・バントンの悲惨な最期くらい知っている。

 ティモシーはスラム街や田舎に出向いて、誘拐した子どもを売るタチの悪い人買いだ。

 この数年はヤケに景気がよく、毎晩毎晩遅くまで飲み歩いていたというが、ある夜、手足をバラバラに引き裂かれて殺されたらしい。

 どうしようもない悪人に神罰がくだった、というところだろう。


「殺されたのは、ウーズナム社のサムソン・ウーズナム。酒癖が悪く、街では度々部下や店の女を暴行する姿が目撃されており、サムソンも密かにアトラス街では嫌われた男だった」


 指導者室から盗んだ新聞を見ながら階段を上がっていると、気になる記述に目がぶつかった。


「度々部下や店の女に暴行? 嫌われ者?」


 記事に書かれたサムソンは、ルーシーから聞く男とひどくかけ離れた印象である。

 それはもう、同一人物とは思えないほどに。


「……私には関係のないことだ」


 お気に入りのアンティーク家具で埋め尽くした自室に入り、新聞をベッドの上に投げ捨てた。

 気になることは山ほどあるが、未完成品どもに振りまわされてバカを見るのは御免だ。

 これ以上余計な情報を頭に入れるのはやめ、寝巻きから修道服に着替える。もう慣れたものだが、子どものころはこの修道服を着るのさえ面倒でイヤだった。

 そう考えれば、私も少しは成長しているのだろう。最初は苦くて飲めたもんじゃないと思っていたビールだって、今や私の生活になくてはならい生活必需品である。


「あっ、モナ」


 部屋を出た私を待っていたのは、同じ修道服に身を包んだシスタールイズ。

 彼女は私を随分気に入っているのだろう。私より二つ歳上だが、私の姿を見つければ飼い犬のように寄ってきて身を寄せる。


「モナぁ、今日も礼拝サボっただろ? 寂しかったぜ」

「えぇい、ひっつくなと何度言ったら分かる。私は馴れ合うつもりはない」

「そんな冷たいこと言うなよモナぁ。相手してくれよぅ」


 女同士でこうして抱きついて頬擦りをしてくるあたり、彼女は本当に飼い犬のようだ。


「こないだネズミ捕りを手伝っただろ」

「ネズミのやつら、毎日毎日でるんだぜ? 修道院でネズミが平気なのなんて私とモナくらいしかいないんだよぉ」


 聖堂を含め、修道院はかなり古い建物だから隙間が多くて出入り自由。

 餌もあるし、水もあるし、明かりもある。おまけに聖職者は殺生しないとくれば、ネズミにとって楽園以外の何者でもない。

 毎日毎日どこかで修道女の甲高い悲鳴が聞こえる程度に、ネズミたちは楽園の居心地のよさを実感している。


「分かった分かった。明日は手伝ってやるから、今日のところは用事があるから勘弁してくれ」

「用事?」


 ルイズの小さな顔を手で抑えて剥がそうとするが、ビクともしない。女ひとり押し剥がせない自分の非力さに、少しだけ絶望した。


「用事は用事だ、司祭様に聞きたいことがある」

「司祭様なら礼拝のあと、聖堂で礼拝に来た人たちの対応してたぜ」

「教えてくれたことには礼を言う、だがいい加減に離れろ!」


 ルイズは体格に恵まれ、修道女のなかでも力が強い。

 収穫祭の飾りつけで大活躍する彼女の腕を振り払えるはずなく、ジタバタともがいていた私を見て、別の修道女がおかしそうに笑った。


「相変わらず仲が良いですね、シスターモナ、シスタールイズ」

「バーバラ、この一方的な抱擁のどこが仲睦まじく見えるんだ」


 頬にそばかすを散りばめた赤毛の彼女は、同じく修道女のバーバラ。二十六歳はここの修道女でも年長に近いほうで、歳下の私たちを姉妹のように可愛がる温厚な女だ。

 面倒見のよさと容姿も相まってか、礼拝に訪れる人々からは非常に人気が高い。


「とにかく、私には大切な用事があるんだ。ルイズにも何とか言ってやってくれ」

「シスタールイズ、今日のところは私たちとともに活動をいたしましょう」


 バーバラの鶴の一声で、ようやくルイズが離れた。

 これがバーバラと私の人間性の差というヤツなのだろう。


「シスターモナ」

「なんだバーバラ、まだ私に何か……」


 ふたりの修道女の隣を通過してさっさと聖堂に向かおうとした矢先、バーバラが私を呼び止めるものだから、その場で振り返る。

 しかしバーバラは顔を真っ青にして私を見つめるばかりで、彼女が呼び止めた様子は見られない。

 ルイズもまた、彼女の隣で顔面蒼白。首を何度も横に振って何かを私に伝えようとしていた。


「シスターモナ、私です」


 聞き馴染みのある声はもう一度私を呼び、右肩を何者かの手が掴んだ。当然、手の主は視線の先にいるバーバラやルイズではない。

 恐る恐る右肩に視線をおろすと、ひどく見覚えがあるシワだらけの年老いた手。

 嫌に重たいその手も、少し枯れた声も、凍りついた背筋を掴んで離さない。


「今日も礼拝をサボったのですから、分かっていますね?」


 額、うなじ、脇。全身のいたる場所で、ぎっとりと脂汗が滲んだ。

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