04.誰かを好きになったことがありますか?
胸もとと背中がばっくり開いた露出の高い赤のドレス。これほど派手な衣類を二十一年の人生で着たことがない。
肩甲骨あたりまで伸ばしていた髪もひとつに束ねられ、頭のうえでお団子結び。
そして、目の下の濃いクマを隠してしまうほど濃い化粧。
娼館の一室に連れこんだ娼婦たちは、まるで人形遊びでもするように私を粧して楽しんでいた。
「とんでもない目にあった」
その結果が、鏡を見た私自身すら驚きで飛びあがるような出来栄えだ。
容姿を飾りつけることに興味はなかったが、化粧の偉大さというのを初めて知る機会となった。
「上も下もスースーして落ち着かない。あの女ども。よくこんなものを着て出歩けるな」
胸もと、背中、脇。大胆なスリットから歩くたびにでる膝上。
布の面積が少なすぎるこのドレスを着ていると、空気に直接触れる感覚が非常に落ち着かない。
加えて、館内に響くいくつもの嬌声。欲望と嬌声が渦巻く場所で半裸のまま歩くなど、恐ろしくて堪らなかった。
「おいリチャード、一発殴らせてもら……」
とりあえず、顔を見たら一発ぶん殴ってやろう。
そう思いながら、彼とルーシーのいる部屋の扉を開けたが、
「う……」
待っていたのは荒々しい嬌声と、ベッドの上で四つん這いになったルーシーの局部に激しく腰を打ちつける獣のようなリチャード。
怒りを通り越して、私はただただ呆れた。
「リチャード様っ! リチャード様ぁ!」
「ん? お前、もしかしてモナか?」
部屋の扉をひらいた私に気付いていながら、まだベッドが軋むほど腰を振り続けるリチャードの神経が理解できない。
「お前も混ざるか?」
この状況で修道女を行為に誘う神経が、私には理解できない。
やがて、ふたりは艶めかしい声を部屋に響かせながら果てた。快楽の余韻に浸り、満足げな表情を浮かべたルーシーがそのままベッドに伏せる。
「ふぅ」
「……帰る」
踵を返し、そのまま娼館を後にしようとした私の腕を大きな手が掴んだ。
「待て待て待て! 悪かった、俺が悪かったから!」
「寄るな変態っ!」
娼婦たちの着せ替え人形にされ、私がどれほどの地獄を見てきたのか。
リチャードに恨みを全部ぶつけてやろうと振り返ったのも束の間、私は生まれて初めて元気にそそり立つ男のソレを見て、顔が内側からカーっと熱くなった。
「手を貸してくれ! 頼む!」
「分かったから! 話は聞いてやるから! 頼むから、早くその汚らわしいモノをしまってくれ!」
*
今の今まで盛っていたふたりに服を着せ、私とリチャードは並んでベッドの縁に腰かけた。
ベッドからは不快な匂いが漂っているものの、この部屋で唯一座れる化粧台の椅子はルーシーにゆずったのだから、私たちにはこの場所しかない。
床に座るという選択肢もあるにはあったが、ルーシーの顔を見上げて首を痛めるというのは御免だ。
「はぁ……イヤなものを見た」
「失礼だな、娼婦には好評なんだぞ」
「今は一刻も早く記憶から消したい、変態は黙っていろ」
あれほどグロテスクなものを見た直後では気分を切り替えることもできない。何か楽しいことを思い出そうと試してみたが、気分を晴らすような思い出がない私の人生が憎い。
きっと顔が真っ青になっていたのだろう。そんな私を見て、ルーシーが不思議そうに首を傾げた。
「娼婦なのに見たことないんですか? もしかして新入りさん?」
「バカを言うな、私は娼婦ではない。この変態の付き添いで来ただけの修道女だ」
「え、シスターさん!? この辺ってことは、レークスオーラ修道院ですよね?」
「あ、ああ……」
椅子から身を乗りだして目を輝かせるルーシーの反応があまりにも意外で、思わず言葉に詰まってしまった。
「私、ここへ来る前はスラムにいたんです。スラムでは、修道院のシスターさんたちがよく食事を恵みに来てくれてたから、ものすごく感謝してます!」
ありがとうございます、と言って頭を下げるルーシー。
奉仕活動の一環としてスラム街で簡単な食事をくばることもあるが、彼女は見たところ私と同い年か少し歳上くらい。私が直接ルーシーの手に食事を配ったことは、きっとない。
「まっ、コイツは抜けだして昼間からビール呑んでるようなダメシスターだけどな」
「さあ、本題に入ってくれ」
即座に横腹をぶん殴ってやったリチャードが悶えているが、それは見ないことにした。
「は、はい……私に遺産を託すって言ってくれたのは、サムソン・ウーズナムさん。よくこの店に来るお客さんです」
「ウーズナム……」
どこかで聞いたことがあるような、ないような。
私の頭というやつは、興味のない分野に対して極端に覚えが悪い。
「ウーズナム社っつう運送会社の社長だよ。アトラス街の大通りでも、たまにツバメのマークの馬車を見たことあるだろ?」
「ふむ、言われてみれば見たことがあるかもしれないな」
ツバメを模したエンブレムをつけている馬車であれば、修道院近辺を掃いている時に通りでよく見かける。
通りがかる頻度も高く、それだけ会社として儲けているのだろう。ならば遺産の額もそこそこの期待が持てそうだ。
「彼は不思議な人で、私を買っても決して抱こうとはせず、愉快な話を聞かせてくれたり私の悩みを聞いてくれたり」
「娼婦の買い手には、そういった輩もいるのだな」
「いえ、おそらく滅多にいません。私もそういうお客さんは初めてだったし、これでいいのか不安になって何度も誘いましたが、やんわり断られちゃいました」
娼館まで足を運んで娼婦を買い、やることはやらずに延々と話しこむ。娼館の客じゃない私に、娼婦を買う連中の意図など分からないが、サムソンという客が極めて異質なことだけはりかいできた。
「その男、妻子は?」
「昔は奥さんと娘さんがいたようですが、今は独り身だと」
「遺産を譲渡するような人間が身近にいない、と考えたほうがいいかもしれないな」
ルーシーが、「どうして?」とまた首を傾げる。
「どうしてもなにも、近しい血縁者がいればわざわざ娼婦に遺産を譲渡するワケがないだろう。バカなのか?」
「うーん」
するとルーシーは、何か考えこむように自らの指先を口もとにあて、白い天井を見上げた。
「どうかしたのか」
「もしかして本当に私に惚れてたとか、ですかね?」
「バカバカしい」
「あははは……ショックかも」
「くだらない話はどうだっていいんだ。遺産の在処について、サムソンから何か言っていたことはあるか?」
「誰にも遺産のことを話したことはないとだけ」
手掛かりは無し。
そもそも遺産の在処に関する情報をルーシーが得ていたのなら、彼女だけで動いて独り占めするはずだ。わざわざ分け前をよこしてまで私たちを頼る必要がない。
「期待はしていなかったが、やはり手掛かりは無し。修道女である私ならサムソン・ウーズナムの墓の場所くらいすぐに調べることができる。そちらは私のほうでなんとかしよう」
「お墓? サムソンさんのお墓参りでもするんですか?」
「コイツは死霊術ってのが使えてさ、死んだ人間の記憶が見れるんだよ。それで遺産の在処を見つけようってハナシ」
「すごい、シスターさんは魔術師さんなんですか!」
「魔術みたいなブルジョア技術と一緒にするな」
魔術を使用するための知識は、魔術学校でしか習うことができない。
突然、火を噴いたり水をだしたりと奇跡のような技術だが、魔術学校は高貴な血を継ぐ子どもたちの学び場であって一般市民は入学すら許されない。故に魔術なんていうのは、生まれた時から金と地位を持つ連中にのみ許されるブルジョア技術というワケだ。
「あの、シスターさん」
明るかったルーシーの声色が急に弱々しくなり、小さな顔を悲しげに俯かせる。
「シスターさんは、誰かを好きになったことがありますか?」
「はぁ? 私は遺産の話をしにきたんであって、それ以上仲を深めるつもりはない。雑談相手がほしいなら私みたいな人間はやめておけ」
「シスターさんはバカバカしいと言いましたが、少なくとも私はあの人のことが好きでした。
両親に棄てられ、スラム街で何度も親代わりを見つけ、稼ぎ先を求めて娼婦になってからはよくしてくれるお客さんに取り入って……私は自分が生きるためにずっと人から好かれようとしていました。誰にも嫌われないよう本音を捻じ曲げて自分自身を騙し続けるのは、正直辛かった。
でも不思議と、あの人の前でならありのままの私でいることができたんです」
自身の膝の上に置いたルーシーの両手が、ぎゅっと力んだ。
「サムソンさんは私を抱こうともせず、自分の話をするでもなく、私のことばかり聞いてくれました。最初は可愛がられるようにって答えてましたが、段々と打ち解けて……。
気づけば私は今まで隠してきた生い立ちも、妬みも恨みも、全部サムソンに話していて、でもあの人は笑顔で聞いてくれて……」
瞳から零れた大粒の涙が、強く握ったルーシーの拳にぶつかってはじける。
「この世で唯一、ありのままの自分を受け入れてくれたサムソンさんを、私は本気で愛しています。
だからこそ、私といた時間をあの人がどう思っていたのか知りたい。私にとって幸せな時間が、あの人にとっても幸せな時間だったのか、その答え合わせがしたいんです。だから、どうかあの人の記憶のなかで私がどういう存在だったのか──」
「興味ないな」
ルーシーの言葉のその後は聞くまでもない。
「お前は遺産の情報を提供し、私が死霊術を使って在処を見つけだす。報酬はお前が三割、リチャードが三割、私が四割、私たちは遺産を見つけて分け合うだけの関係だ。
自分勝手な答え合わせに私が付き合う気も、死体を付き合わせる気もない」
「おいモナ、もうちょい言い方ってもんが……」
成金の名はサムソン・ウーズナムで、運送会社の社長。
彼は本当に遺産の在処をルーシーに教えようとしたが、誰にもそれを教えることなく死んだ。
彼女の口からほかに新しい情報も期待できないだろう。遺産の手掛かりさえ聞ければ、コイツに用事はない。
「リチャード、帰るぞ」
私はすぐにベッドから立ち上がった。
これ以上、遺産と関係ない娼婦の与太話に付き合わされるのは御免だったからだ。
「ちょ、おい!」
そこかしこから嬌声の聞こえる居心地が悪い場所から、迅速に逃げ去りたいという気持ちが前にでた。
しかし扉のドアノブに手をかけた瞬間、
「私が着てきた服は返してもらう。半裸で修道院に帰ったりしたら、またヘレン婆さんにドヤされる」
大切なものを忘れかけていたことにようやく気づいた。
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