03.ノトア娼館街
***
その後、私たちは互いに服を着替えて合流した。
私は奉仕活動を抜けだしていたので修道服、リチャードは市街見回りの途中だったので聖教騎士団の制服。
互いにそのままの格好で動くには目立ちすぎて、遺産探しどころの話ではなかったからだ。
「なぜ私は大の男に娼館へ連れてこられた。売り飛ばされるのか?」
合流してすぐに向かったのは、夕方のノトア娼館街。その名の通り、いくつもの娼館が軒を連ねる首都パレス最大の歓楽街である。
アトラス街からは馬車ですぐの距離にあるノトアだが、修道女の私とは無縁の街である。当然、この街に足を踏み入れるのは今日がはじめてだった。
「お前はたしかに黙ってりゃイイ女だが、娼婦にしたってろくな稼ぎしねぇのが目に見えてる」
「欲望丸出しの男の相手をさせられるなんて、死んだほうがマシだ」
黒い外套のフードを目深にかぶったのは、万が一こんな場所で男と歩いているのがレークスオーラ修道院の修道女と認識されないため。
もしそんな目撃情報が修道院の耳に入れば、またヘレン婆さんから説教される。それどころか、純潔を失ったなんてあらぬ噂を流された日には私は修道女としてあの場所にいられなくなる。
それだけは絶対に避けるべきだ。
「それをノトアのど真ん中で言うかね」
ノトア娼館街とはいうものの、右を見ても左を見ても、街を歩いているのはボロ布のような衣服に身を包んだ貧しい青少年ばかり。
とてもじゃないが、娼婦を買う客のようには見えなかった。
「ここはノトアだろう? どうして少年たちがうろついている」
「ありゃスラム街から流れてきた連中さ。ノトアは娼館街だが、金持ちが集まる場所でもあっからな、ガキどもはああやって街を練り歩いて仕事探してんだよ」
「なるほど、私もヘレン婆さんに愛想尽かされた時はここで仕事を探すことにしよう」
「やめとけ、悪質な人買いにさらわれんのが目に見えてら」
夜はもう目前。娼婦を買いにきた小綺麗な服を着た紳士たちがちらほら見えはじめたころ、リチャードはとある娼館の前で足をとめた。
二階建ての洒落た外観は、幽霊屋敷のようなオンボロアパートを改装して営業している娼館が多いなかでもひと際目立っていて景気のよさを伺える。
「高そうなところだ」
「高いが、奇妙な人買いからは女を買わねぇ。信頼と実績のハニィレイクとはここのことだぜ」
【ハニィレイク】という店名が大きく書かれた看板をくぐり、リチャードが娼館へ踏みいる。
正直、入るべきか待つべきか悩んだが、先ほどリチャードも言っていたように悪質な人買いにさらわれたのでは堪らない。
大きな歩幅で娼館に入ったリチャードの背中を追って、細い足を急かした。
やたら煌びやかな装飾をほどこされた両開きの玄関をくぐると、十名以上の洒落たドレスをまとう娼婦たちが私たちを出迎える。娼婦のなかには人買いに誘拐されたまま売り飛ばされ、無気力な者や絶望を表情ににじませる者も多いとどこかで聞いたが、ここの娼婦たちはその限りではないらしい。
きっと彼女たちはこの豪華な娼館のなかで働き、見合った報酬をもらっているのだろう。
「これはこれは、ジョーンズ卿。本日はどの娘に……ん?」
腰の低い中年男がリチャードにすり寄ってくる。しかし背後にいる私を見つけるなり、中年男は不思議そうに首をかしげた。
「コイツは連れだ、おたくの娘借りて三人で楽しもうと思ってな」
「ふむふむ、そうでしたか」
口を挟んで場がややこしくなるのは私も望んでいないことだが、このド変態の背中に今すぐ飛び蹴りして文句を言ってやりたい。
娼館には詳しくないが、女の持参なんて大バカ変態野郎の所業だろう。嘘をつくにしても、もう少しまともな嘘にしてほしいところである。
「ルーシーはいるか?」
「ルーシーであれば、今は部屋におります。お呼びいたしましょうか?」
「いや、今日はこのままこっちでヤるよ。部屋まで案内してくれ」
気持ち悪いほど慣れた手際で中年男に紙幣を渡し、複数人の娼婦たちに部屋までの案内をさせるリチャード。こういうヤツとは知っていたが、娼館で慣れた立ち回りをする男というのは吐き気をもよおすほどの気色悪さがある。
「ねぇ騎士様、次は私を指名してね」
「何を言ってるの、次は私よ」
リチャードの両側から彼の腕にしがみつき、胸の脂肪を押しつけて猫撫で声を発する女たち。
こんなクズ男のどこがいいのか、私にはサッパリ分からなかった。
「ねぇキミ、どこの館の子? 騎士様のお気に入りなんだぁ」
蔑むようにリチャードの背中を見て歩みを進めていた私の両肩に柔らかい手と体重が乗る。
「ほらほら、お顔見せて」
聞いてるこちらがゾッとするほど陽の気を漂わせる女は、私が人見知りを発動しているのをいいことにグイグイくる。
「このフード、とっちゃうね」
「え? ちょっ」
本人の意思なんて、この人生楽しんでそうなキラキラ娼婦には関係ないらしい。
勢いよく目深にかぶっていたフードをとって私の顔を覗きこむと、キラキラ娼婦は「かわいいっ!」と大声をあげた。
「フードをかぶってるから分からなかったけど、あなたすごく可愛いのね! ねぇみんな、見て見て!」
呼びかけで、別の娼婦たちが集まってくる。
至近距離でこれだけの視線を一手に受ける状況、地獄でしかない。
額からは変な汗がでるし、背中はぐしょぐしょになって服が張りつくし、本当に最悪だった。
「あらほんと、騎士様いい趣味してるぅ」
「あー! 騎士様って金髪が好きなんだぁ。この子もルーシーと同じ綺麗な金髪だもんね」
「ほらほら俯かないで、綺麗なお顔をもっと見せて」
髪はベタベタと触られるし、目を逸らそうとしたら顔を両側から掴んで持ちあげられる。
「どれどれ、こっちのほうは?」
「ひぃあっ!」
急に脇の下からまわってきた手が胸を鷲掴みにするものだから、嬌声にも似た声がこぼれてしまった。
「ひぃあっ、だって、可愛いぃ」
「ほうほう、着痩せするタイプだなぁ? おっきくて柔らかくて、ずっと揉んでたい」
「ソーニャのオヤジがまたでたよ、可哀想だからやめなって」
私は人付き合いが苦手だ。修道院という狭いコミュニティのなかに籠ることで、私は苦手なことを避けてきたから街の娘たちがどんなやりとりをしているのか知らない。
問答無用で人の乳を揉みしだくのは、スキンシップとして普通なのだろうか。
「ねぇねぇ、今まで何人とシた?」
「ふぇ!?」
初対面の相手に経験人数を聞くのは、年頃の女の間では普通なのだろうか。
「お尻は使ったことある?」
「お尻っ!?」
特異な経験を聞くのは普通なのだろうか。
「もう、スーザンったら」
スーザンという娼婦の突拍子もない質問が、娼館の装飾で彩られた廊下を湧かした。
髪をいじる娼婦も、両側から持ちあげた頬の感触を楽しむ娼婦も、首筋に荒い鼻息をぶつけながら乳を揉みしだく娼婦も、けらけらと愉快そうな笑い声をあげる。
彼女たちだけではない。少し前のほうで娼婦に道案内されていたリチャードも、大口をあけて笑っていた。
「ルーシー、例の騎士様がいらしたわよ」
私の思考が困惑と羞恥心で停止している間にも、どうやら目的の娼婦ルーシーのもとへ到着していたらしい。
先導していたひとりの娼婦が扉をノックし、そう呼びかけた。
「リチャード様!」
嬉々とした声とともにギィっと軋む扉は、外観の良さの割に建て付けが悪いらしい。
いくら景気がいいといっても、ここは娼館。細かいところまでは注意が行き届いていないよう。
「おう、ルーシー」
「会いたかったわ、リチャード様」
部屋から出てきた短い金髪の女ルーシーは、リチャードの顔を見るなり抱きついた。
ようやく、娼婦たちのオモチャにされる地獄の時間が終わる。そう思い、安堵の息をついた瞬間、
「それじゃあ、あなたはまずこっちね」
娼婦たちが私を別の部屋へ引きずりこむ。
「おい、どこへいく!」
歳の近いであろう娼婦の腕を振り払うことはおろか、掴まれれば抵抗もできないほどの自分の非力が憎い。
「リチャード! 人買いよりも悪質な連中にさらわれてしまう! はやく助けろ!」
「まあ助けられないこともねぇが、その子らもお前のことを随分気に入ってるみたいだし、悪いようにはされねぇだろ」
「はぁ!? 話が違うぞ!」
「そんじゃ、またあとでな」
何よりも憎かったのは、私を救出する素振りすら見せないリチャードだった。
どれだけこの状況を楽観視しているのか知らないが、私からしてみれば見知らぬ人たちに囲まれて揉みくちゃにされるのは地獄である。
それを知らんぷりしてルーシーの肩を抱きながら部屋の扉を閉めたリチャードを、多分私は一生許さない。死んだって憎みつづけることになるだろう。
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