02.失われた遺産


「とまぁ、あのあとは見事にヘレン婆さんに見つかってしまってね。奉仕活動をサボって伯爵家のパーティーに行ったことも、そこでローストビーフを死ぬほど食べたことも、全部バレて四日は修道院に監禁された。

 四日だぞ? 四日も私の貴重な時間を清掃と洗濯と老いぼれの説教で消費されたんじゃ、さすがの私も黙っていられない」

「なにか言い返したのか?」

「そんなのできるわけないだろ。修道院を追いだされたら、私は行き場を失って野垂れ死ぬ」

「黙ってられないんじゃなかったのかよ」


 レークスオーラ修道院のあるアトラス街は、貴族街へ繋がる大通りがあるためか、街中にしては人や積荷を乗せた馬車の行き来が多い。

 特に国会を一ヶ月後に控えた今時期は、各地から領地を持つ男爵様や伯爵様が首都内にある別宅へ身を移すため、無駄に高級そうな装飾の馬車が通ることもしばしば。先日行われたダルトン伯爵家でのパーティーも、伯爵の首都凱旋を祝うものである。

 貴族街へ向かう幾つもの馬車を坂の上の公園から見下ろしていると、意図せずため息がこぼれた。


「はぁ、友人がヘコんでいるのに慰めの言葉もナシときたか……。

 どうして私には気の利くセリフを言える友人がいないのか。たまに会ってはホットドッグとビールで餌付けするしか能のない税金泥棒に期待するだけ無駄だろうな」


 ホットドッグが包まれてあった紙をくしゃくしゃに丸めて投げると、偶然にも五メートルほど先のゴミ箱に入った。

 普段なら手の届く距離の投擲でさえ、二回に一回は失敗するというのに今日の私のポテンシャルときたら直近の数年間で最高潮かもしれない。


「餌付けされるほうも大概だがな」

「修道院の飯を食べてみろ、あんな無味無臭の食べ物は人が食べるものじゃない。修道女は草食動物かなにかと勘違いされているらしい」


 同じように丸めたホットドッグの包み紙をゴミ箱に投げ入れた彼は、リチャード・ジョーンズ。

 髪色と同じ栗色の無精髭を生やした彼は少し老けて見えるが、実年齢は二十八歳。二十一歳の私と七つしか変わらない。


「一生分からなくていい味だな。それより、新しくできたホットドッグ屋の子見たか? すっげぇ可愛いだろ? 歳は俺の二つ下らしいぜ」

「この店ができたのは、たしか先々週くらいのはずだ。もう歳を聞くほど親しくなったのか」

「一昨日ナンパした」

「結果は」


 自分から聞いておいて妙な話だと、我ながら思う。

 答えを口にする素振りを見せたリチャードのことを、私はビール瓶を握った手で制止した。


「待った。三、二、一で言え、ズバリ当ててみせよう」

「はいはい」


 私が三つ数えたのを合図にふたつの口から飛びだした答えは、「フラれた」で一致した。

 白昼の公園の片隅で、鳥の声だけが聞きながらビール瓶を傾ける。

 約二十秒、これほどの静かさに身を置くのは礼拝くらいのものだ。非常に居心地が悪い。


「俺の負けだな、生憎手持ちはガキの小遣いくらいしかないが……代わりに儲け話をひとつ教えてやる」

「最初からそっちが目的だったな? こないだはお前の知り合いが営んでいる飲食店の客寄せで、私は地獄を見た。

 その前はたしか、引っ越しの手伝いをさせたな? よくもこれほど非力な生娘に力仕事を押しつけられるものだと感心したよ、あのあと三日は筋肉痛で動けなかった」


 私が少ない収入を全額趣味にあてているのを知って、この男はいつも私に「儲け話」と称した血も涙もない労働を押しつける。

 人付き合いが苦手な私に看板娘の仕事をこなすのは難しいという発想にいたらないのは不自然だし、手足の細さを見れば力仕事が不向きなのは誰の目にも分かることだ。

 イジメ。もはやそれは、ただの弱いものイジメ。


「今回のはひと味どころか、今までのとは格が違う。下手すりゃ一攫千金だって狙える大仕事さ」

「言葉というのは発する人を選ぶ。お前の言う一攫千金ほど胡散臭いものはない」

「いいから、話だけでも聞けって」

「話だけなら聞いてやらんこともない」


 どうせまたくだらない話だろうが、仮にもこの男は私の恩人である。話を聞いてから判断してやるくらいしないと、修道院で培った私のわずかな良心が痛みかねない。

 警戒するようにキョロキョロ周囲を見渡し、リチャードが口をひらく。


「俺のお気に入りの娼婦の話なんだけどよ」


 アトラス街は働き者の街だ。ここで暮らすのは貴族でないにしろ、貧困層とは程遠い労働環境と一定の収入を獲得した市民たち。

 リチャードは話を誰にも聞かれぬよう警戒していたが、真っ昼間の公園の隅でビール片手に時間をつぶすような輩は、【不真面目な修道女】と【聖教騎士団のサボり魔】以外に存在しない。


「また娼婦の話か、エリートの集まる聖教騎士団が聞いて呆れる」


 冷てぇこと言うなよ、とリチャードがけらけら笑う。


「その子の客で、やけに景気のいい野郎がいるみたいでさ。会うたびに宝石だの現金だのくれるし、ちょっと怖かったって」

「それはたしかに怖い。一介の娼婦にそこまでいれこむものか? 男という生き物は理解に苦しむ」

「娼婦が客と駆け落ちなんてのは、珍しくもない話さ。雇用主からすりゃ、女が買い値分を稼ぐ前に行方をくらましちまうワケだから、溜まったもんじゃねえけど」

「生きた人間の感情というヤツは、いつだってトラブルを起こす引き金になる。そんなものに振り回されるのは、心底バカバカしく思うよ」


 生きている人間は、瞬間的な感情を優先してしまう。そんな生命体同士が多くの時間を共有すれば、いずれ不満や嫌悪は爆発して衝突を起こす。

 だから私は生きた人間というやつが嫌いなのだ。


「マジで惚れちまってた成金野郎は、自分が死んだあとの遺産を娼婦に全額譲渡すると約束した。最初は冗談だと思ってたが、これがどうも本気っぽくてさ。

 会うたび会うたび、自分の持つ莫大な富を受け取ってほしいと話してたそうな」


 一攫千金もありえる儲け話の正体が、ほんの少しだけ見えた気がする。


「それで、つい先日成金野郎は死んじまった」


 案の定、リチャードの狙いは成金の莫大な遺産だったらしい。


「それで? 遺産とやらはどこにある?」

「おっ、食いつきがいいね」

「欲しいアンティークものの櫛があるんだ。旧時代に栄えた帝国の皇女の髪をとく際に、侍女が使っていたものらしい」

「また骨董商に騙されてんじゃねぇの」

「実際に触れてみようにも、高級品の品定めをするには多額の担保がいる。騙されてるかどうかは、私自身の目で見定めてやるさ。

 それより、はやく遺産の在処を言え。ここまできて分からないなんて言うのではないだろうな」


 ふふっ、と鼻で笑ったリチャードを見て悪寒が走った。


「おっしゃる通り、遺産の在処は誰にも分からない。妻子も、娼婦も、当然俺たちも」

「あのなぁ……それでは意味がないだろう。バカか?」

「おっと、誰にも分からないってのは撤回する。遺産の在処を知ってんのは、世界でただひとり」


 リチャードの口ぶりから察するに、成金は誰にも遺産の在処を伝えていない。

 ということは、遺産の在処を知っているのは死んでしまった本人だけだ。


「なるほど、それで私を頼ったというわけだ。私の死霊術なら亡き者の記憶に侵入できるからな」

「今回の儲け話の説明は以上だ、どうする?」

「……その話、のった」


 私たちは同時にビールを飲み干すと、ふたりして瓶を投げた。

 二本の瓶は見事に放物線を描き、ゴミ箱へ吸いこまれる。


 どうやら今の私は、過去最高にツイているらしい。

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