08 道具屋
朝、村を去る馬車を見ておどろいた。車の前につながれて、荷台をひくのは私の知っている馬ではなかった。
サラブレッド種より小さな体はがっしりしていて、もさもさと毛深い。太い足の先に二つに分かれた厚いひづめが付いていて、顔はなんだかふてぶてしい。
馬車と言ったな。あれは嘘だ。
ひいているのは馬のようで馬でない、でもちょっと馬。謎馬と呼ぼう。
よく見ないと解んないもんだなー。
遠ざかる謎馬車に、不老不死疑惑とは別の、もう一つの懸案事項を思い出した。毒も効かない健康体のはずなのに、長時間馬車に乗ると尻が割れるほどしんどい問題だ。
我らがレイニー先生は、しかしこれもあっさり片付けた。
「健康でも、疲労は感じるものでしょう?」
「えー……それを言ったら健康でも毒は効くし、ケガも……」
「神の御意思です」
「いやでも」
「神の御意思です」
絶対信徒の壁が厚い。
そんなもんかなあ。尻、つらいなあ。
朝早いせいか、小さな村であるせいか。人の気配が極端に少ない道を歩くと、少し行った村の端に道具屋があった。
立地がほとんど森みたいな道具屋は、貸し釣り具の店だった。たもっちゃんはすでに、店主の男から道具を見せてもらっている。
「この釣り針変わってるね」
「ゾイレエンジの魚でできてるんだよ。ほかの材料じゃ溶けちまうから」
針は骨で、釣り糸は魚のはらわた。竿には魚の皮を薄く貼ってあるらしい。
たもっちゃんが手に載せている釣り針は、半透明で少し虹色に光って見える。太さが大人の指くらいあって、直径は手の平に少し余る。
なんでも溶かす湖に住み、釣り上げるにはこの大きさの針が必要で、同時に、この大きさの針が作れる太い骨を持っている。
「あ、ただの魚じゃないんだ」
やっと、そのことに気付いた。
そりゃそうだ。ただの魚に、冒険者が食い付く訳がない。
「ここの魚はいい素材になるそうだからね。魔魚とでも言うのかね」
「餌は?」
「付けても溶けちまうよ」
じゃあどうするのかと思ったら、水に垂らす前に釣り針に魔力を込めておくらしい。
「餌じゃなくて魔力吸収して生きてるのかなぁ。面白いなぁ」
「たもっちゃん、釣るの?」
「釣る。こんな魚初めてだもん。リコは?」
「私はやめとく。溶けると困るし」
溶けなくても困る。人に見られると。
昨夜レイニー先生に指摘された通り、常軌を逸した健康をゆえにバケモノ扱いの危険性がある。殺人の完全犯罪に便利そうな湖には、近付かないことにしよう。
「レイニーはどうする?」
「わたくしはリコさんと一緒に」
草むしりだな。
「じゃ、一つ借ります」
「釣り具は一日銅貨七枚と青銅貨四枚。それから、こっちの雨具は手袋とセットで一日銅貨七枚と青銅貨八枚だよ」
「雨具?」
なぜそんなものが必要なのかと、たもっちゃんが首をひねる。しかも、レンタル代が釣り具よりも少し高い。
「魚を釣り上げると、水がはねるからね」
「あぁ。障壁魔法使えるからいいや」
「釣り上げて針を外す時が一番暴れるが、大丈夫かね。いやね、前に雨具着て行かなかったお客さんが顔に」
「借りて行こっかなー!」
障壁を展開したままだと、魚の針を外すのは難しいようだ。店主の手慣れたセールストークに、たもっちゃんは屈した。
雨具は、フードの付いた長いポンチョみたいな形だ。それもまた、湖の水で溶けないように魚の皮でできていた。白っぽく、少し虹色に光るのはゾイレエンジの魚の色だ。
「魚、楽しみにしてろよな!」
装備した雨具により、たもっちゃんは全身びっかびかである。しかし本人は気にすることなく釣り竿を担ぎ、夏休みの小学生みたいなノリでうきうきと駆けて行った。
例え釣れなかったとしても、夏しか会えない孫に対してなにも否定しない田舎のおばあちゃんみたいに受け入れたいと思う。
たもっちゃんと別れ、レイニーと二人で森を探索している時だった。
「たすけてえ……」
ものすごくか細く、声が聞こえた。
「……レイニー」
「えぇ」
森は緑豊かだった。木々や下草がもさもさと葉をしげらせて、見通しは悪い。
「だれかあ……たすけてえ……」
姿を見付けられずにいると、再びか細い声がする。なんとなく無気味で、おそるおそる周辺を探すと子供を見付けた。
村の子供だろう。簡素なワンピースを着た女の子が、逆さまになって木の枝にぶら下がっている。
「なにこれ恐い」
「獣用の罠ですね。誤って踏んでしまったのでしょう」
レイニーは冷静に分析した。
見れば確かに、逆さ吊りになった足にロープのようなものが絡まっている。……いや、でもそこじゃない。そうじゃない。
なぜなの。なぜそんなに冷静なの。
逆さ吊りの子供とか、私初めてみたんだけど。そして結構動揺してるんですけど。
どのくらいこの状態なのか、子供の顔は真っ赤だ。大きな声が出せないのは、すでに体力を消耗してしまったせいかも知れない。
こんな状況でふらふらになりながらも、女の子はスカートがめくれないように裾をしっかり押さえていた。女子力である。頼もしい。
幸い、彼女がぶら下がっているのは大人なら余裕で手の届く高さだ。子供も小学校に上がり立てくらいの大きさで、そう重くない。
私が逆さまになった子供をかかえている間に、レイニーが足に絡まったロープを切った。ギルド配布の初心者ナイフが活躍した。
「大丈夫? どっか痛くない?」
心細かったのだろう。吊るされていた木から下りても、女の子は私にしがみ付いて離れなかった。
仕方なくそのままかかえて村に戻ると、大騒ぎになった。
「森の奥には行っちゃいけないって言ってるだろう!」
「だって! このへんじゃ小さいはっぱしかないんだもん!」
父親らしい男性に叱られているのは、さっき助けたばかりの女の子だ。目に涙をいっぱいにためて、それでも負けずに言い返す。
見かねて、周りにいた村の大人が取りなすように口をはさむ。
「獣だっているし、罠だってあるんだ。子供だけじゃ危ないのさ」
「マジすか」
そのセリフは、私に効いた。この森に入るのは、もうやめよう。
「今日は恐かったろう。もう、よく解ったんじゃないかね?」
「だって……大きいはっぱがほしかったの」
「今度からは、父さんに言うんだ。勝手に森へ行くんじゃない」
「……ん」
女の子は下唇を噛んで、こくりと小さくうなずいた。それでやっと、よかったよかったと周囲の空気がほっとゆるんだ。
その一連の流れを、私は話題の中心で見ていた。巻き込まれたとも言う。女の子が私の腰にしがみ付き、離れなかったからだ。
「あんたも、すまなかったね。娘を助けてもらっちまって」
「通り掛かっただけなんで。完全にたまたまです」
ちゃんと礼しないとなあ。などと言い出す保護者との、腹の探り合いが始まった。
これはあれや。コミュ力がないと、めちゃくちゃ居心地悪いやつや。しかし私にコミュ力はないので、瞬時に困り果てている。
そこへ、そもそもの原因である少女が新しい議題をブッ込んできた。
「父さん、おばちゃんといっしょなら森へいっていい?」
おっ、子供はババアに容赦ねえな。
あどけない顔がナイスアイデアとばかりに輝いているが、だが断る。
「おばちゃん、もう森行かないからムリだよ」
「なんで? ぼうけんしゃでしょ? ぼうけんしゃは、森へいくでしょ?」
「えー。獣がいて罠がある森なんか、行くのやーだー」
「ぼうけんしゃなのに!」
冒険者だけども。草しかむしらないタイプなの。
やだやだ行くの! とごねる少女をちぎっては投げていると、やがてたもっちゃんが戻ってきた。手ぶらである。
「どうだった?」
「全然駄目。また明日行く」
やはり、そう簡単には釣れないようだ。
私は心に決めていた通り、なにも責めずに慈愛をもってほほ笑み掛けた。
「リコ。久しぶりにあった孫を甘やかすばあちゃんみたいな顔やめろ」
「……以心伝心かよ」
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