その3

「成る程、そうであれば、今回の海戦の流れは納得できますね」

 こう発言したのは、ミモクラ侯だった。


 ミモクラ侯爵は、本名クルス・ロジオール。


 エリオより1歳年長であり、エリオとは幼い頃から面識があった。


 リ・リラの従兄弟に当たるので、当然と言えば当然だった。


 父親以上に興味があるのは明らかで、場に似合わない程の笑顔でエリオの次の言葉を待っているようだった。


 この笑顔は裏表のない性格から来るものかも知れない。


 まあ、それはともかくとして、ロジオール公爵家の2人は報告を聞いてずうっと疑問を持っていた。


 海戦は専門外とは言え、基本的な戦いの考え方は、兵種・兵器による違いはあるものの、陸戦と同じである。


 そう、要人警護をしている艦隊が、しかも寡兵であるのに、援軍として参戦するのは理屈に合わないのである。


「……」

 エリオはクルスの笑顔に黙ってしまった。


 この先はありませんと言った感じだった。


 だが、クルスは何かを要求するかのように、笑顔でエリオを見ていた。


 そして、リ・リラはいつの間にかに笑顔になって、エリオを見つめていた。


(こわい!怖い!!)

 エリオは2人とは目を合わせないようにした。


 プレッシャーである。


 そして、何故かこの場で一番追い込まれている自分を呪いたくなっていた。


 この場合、追い込まれているのはホルディム伯の筈である。


 しかも、エリオの出方によっては致命傷を負いかねない状況だった。


「しっ、しっかし、形はどうであれ、実際の指揮権を揮ったのは、公爵閣下ではありませんか!」

 ホルディム伯は何も言わないエリオに恐怖を覚えてしまい、口を開いた。


「ホルディム伯、もうその辺でよかろう」

 低く、静かだが、よく通る声がホルディム伯を諫めた。


 諫めた声の主はヘーネス公だった。


 声の口調の通り、公は冷静沈着の男で、寡黙な人間だった。


 御前会議では議長の役割をしていた。


 そして、今会議でも例外なく、発言に乏しく、議事進行に徹していた。


 ただ、会議の行方は皆で話し合おうという訳ではなく、事前に根回しをするタイプではあった。


 今回も、ホルディム伯に事前に相談を受けていた。


 そして、無理筋だという事を承知していたので、根回しはしていなかった。


 通るはずのない案を先に提示し、その後、こちらの少しでも都合のいい案を通そうという思惑があるのかもしれない。


 非常に冷徹で、政略家であるのは言うまでもない。


「……」

 ホルディム伯はハッとした表情と共に、更に青ざめて、口を開いたまま黙り込んだ。


 この会議に、もう味方はいないと悟ったようだった。


 ヘーネス公爵家とホルディム伯爵家が姻戚関係にある事から、伯爵が期待したのだが、それを裏切られる形になったからだった。


 この世界の貴族同士の結婚は一族内で行われる事がほとんどであり、親戚関係のない家同士で行われるのは希中の希だった。


 とは言え、政略結婚としては納得できるものであった。


 リーラン王国には3つの公爵家がある。


 ヘーネス公爵家は3公爵家で序列が一番下である。


 他の2公爵家とは違い、子飼いの武力を持っていないので、勢力的にも弱かった。


 そこで、ホルディム伯爵家を取り込む事によって、その状況を打開したかった。


 ホルディム伯爵家にとっても、クライセン公爵家と対抗する為の後ろ楯が欲しかった。


 故に、両家の思惑が一致して、今日に至っていた。


「さて、陛下、ここまでの事で、陛下のご裁断を仰ぎたいのですが、よろしゅう御座いますか?」

 ヘーネス公はホルディム伯が黙った事で、議事を進めようとした。


 そう言われた事により、エリオは発言権を失ったので、ホッとしたように席に着いた。


 クルスは残念そうな表情になったが、リ・リラの笑顔は輝きを増していた。


(殿下、怖いです……止めて……)

 エリオは下を俯いたまま顔を上げられなかった。


 傍から見たら、リ・リラがエリオを頼もしく思っている構図である。


 だが、当人同士は違っていたのは言うだけ野暮な話だろう。


 ただ、エリオの態度に別の見方をしている2人がいた。


 ヘーネス公と副主席であるカカ侯爵だった。


 カカ侯爵は本名ヤルス・ヘーネス。


 エリオより3歳年長であり、御前会議には第3次アラリオン海海戦後から参加していた。


 また、その才能を早くから見出されており、現在、ラ・ライレの首席補佐官として活躍していた。


 こちらもリ・リラの従兄弟に当たるが、エリオとはあまり交流がなかった。


 要するに、ロジオール公とヘーネス公は、ラ・ライレから見たら娘婿に当たる。


 それはともかくとして、エリオにとって、ここはホルディム伯爵家を潰すなり、大打撃を与える絶好の機会であった。


 それを封じる為に、ヘーネス公はラ・ライレに話を振った。


 だが、それに対して、エリオは全く抵抗を示さない。


 これはヘーネス家の2人にとって、非常に妙な事であった。


 そして、何やら重大なミスをしたのでは無いかという不安にも駆られるのであった。


「そうですね……」

 ラ・ライレは一呼吸置いて話し始めた。


 一呼吸置いたのは、出席者が言い足りない事があるのではないかという、女王なりの気遣いだった。


 何せ、女王が話し始めたら終わるまで口を挟めないからだ。


 しかも、裁断を下した場合、それに反対できる者はいなくなる。


 そう、これが最終決定となるのだった。


(しまった、まさか!!)

(まさか!!)

 ヘーネス公爵家の親子は同時にある事を考えた。


 エリオ自身がホルディム伯爵家に打撃を与えるのではなく、ラ・ライレ自ら打撃を与えるというシナリオだった。


 エリオの優れた戦略眼・戦術能力を、2人は大いに評価しており、空恐ろしさを感じていた。


 その能力が政略に活かされた場合、矛を向けられた対象がどうなるかは想像に難くなかった。


 これまでその兆候が全くなかったので、油断したと感じていた。


 そう感じると、ヘーネス公はこれまで感じた事のない感情に陥った。


 それは初めて感じる恐怖というものだった。


「今回の敗戦の責は、戦死したアリーフ子爵にあり、アリーフ艦隊の一部ではありますが、それを救出した王太女リ・リラとクライセン公の功を認めます」

 ラ・ライレは勿体ぶった後に、結論をズバッと言った。


 これが最終決定である。


 この言葉を聞いたホルディム伯はうな垂れ、終了を悟った。


 ヘーネス公はエリオの掌の上で踊らされた事を悟った。


 リ・リラにとっては、前日に話したとおりに事が進んだ為、茶番みたいだと感じた以上の事は何も感想はなかった。


(まあ、茶番そのものなんだろうけど、これが根回しというものなのかな……)

 エリオはラ・ライレの裁断を聞いて、そう思った。


 その考えは、何か、微妙に、いや、エリオの性格から言うと絶妙にズレているような気がするのは気のせいだろうか?


 ……。


 とは言え、ラ・ライレの裁断の後には微妙な間が空いてしまった。


 各々が色々考えての事なのだろうが、一瞬の沈黙が長く感じられた。


 普通はここで、即座に一同が同意するのだが、それが遅れた為、余計にそう感じられた。


「陛下、謹んでご裁断に従います」

 エリオはいきなり立ち上がって、そう言いながら合掌した。


 女王に、敬意と服従を示す仕草だった。


 リ・リラも含めて、他の一同が慌ててそれに習った。


「うむ……」

 ラ・ライレは女王らしい態度でそれに頷いた。


 すると、エリオ以外の者が一斉に着席した。


 エリオは着席しなかったので、注目の的だった。


「陛下、献言させて頂いて、よろしいでしょうか?」

 エリオはラ・ライレに凜とした口調でそう聞いた。


 珍しい光景である。


「何でしょうか?クライセン公」

 ラ・ライレは優雅にそれを促した。


 こちらはいつもの見慣れた光景である。


「今回の責は確かにアリーフ子爵にあるのですが、敵の再三に渡る挑発により、王家への忠誠心から戦端を開かれたと思われます。

 どうぞ、その点をご配慮頂き、亡きアリーフ子爵にはご寛大なる裁可を賜りたいと存じます」

 エリオは恭しくそう献言した。


 この言葉に対して、やれやれと言った感じの表情を浮かべたのは、ラ・ライレとロジオール公爵家親子だった。


 また、普段表情を変えないヘーネス公と表情を変えまくるホルディム伯は、一様に驚きの表情に変わった。


 父親と同じく無表情が常のヤルスは、この会議で初めて表情が変わった。


 ただ、父親とは違い、それは不思議な表情だった。


(殿下、お止め下さい、しょんべん……ちびりそうです)

 エリオの方は恐怖が最高潮に達していた。


 リ・リラの笑顔に後光が差していたからだ。


 尊い者に導かれるような気分だった。


 無論、この世ならざる所へだ。


「そうですね、公がそう申すのなら、わたくしとしても子爵には厳罰を下すつもりはありません。

 今回の失敗を王家への忠誠心で相殺という形で、何の咎めもないという事にしましょう」

 ラ・ライレは呆れながらもそう結論付けた。


 ……。


 このラ・ライレの言葉に、場の雰囲気が何とも言えないものとなった。


 予想外の方向へと向かったので、戸惑っているようだった。


 それは一番影響を受けるホルディム伯が、何とも言い難い表情を浮かべていたのが、その証左だろう。


「さてと、クライセン公、今後の艦隊編成をどうするのですか?」

 ラ・ライレはこのままでは埒が明かないと感じたのか、自ら会議を進めた。


「ホルディム伯に第2王都駐留艦隊として、駐留して貰い、西方艦隊はご子息のアイオ殿にお願いしたいと存じます」

 エリオは女王の問いに即座にそう答えた。


 エリオは、ざわつき、フラフラしている雰囲気の中、しれっと答えてはいた。


 どうも様子がおかしい……。


 何かが、一気に変わったような雰囲気だった。


 言っている事は、ホルディム伯爵家にとって、悪い事ではない筈なのに……。


「分かりました、そのように進めて下さい」

 ラ・ライレもエリオ同様に即座に裁可していた。


 あれ……?


 場にいる面々が、事態の急変にようやく気付いた。


 エリオの進言で女王の裁可が降りた瞬間、海軍の全権限をクライセン公爵家が取り戻した瞬間だった。


(見事すぎるな!)

 あまりの事に、ヘーネス公は敵ながら賞賛する他なかった。


 ただ、それと同時に、拭いきれない疑問を感じていた。


「西方艦隊を任せるアイオ・ホルディムに、アリーフ子爵を授与すると共に、海軍准将に昇進させる事とします。

 正騎士以下の授与、佐官階級以下の人事は、慣例通り、後ほど通達とします」

 進まない会議をラ・ライレは更に自ら進めた。


 ただ、この決定に大きく安堵する人物がいた。


 言うまでもないが、ホルディム伯だった。


 次男であるアイオがアリーフ子爵に叙される事は、新たなる嫡子として認められる事だった。


 認められなかった場合は、一つ下の男爵になる筈だったので、子爵と聞いた時のホルディム伯の安堵感は半端なかっただろう。


 ……。


 ただ、この後、妙な沈黙がまた訪れてしまった。


 ラ・ライレはヘーネス公に視線を向けた。


「失礼しました、陛下」

 ヘーネス公はラ・ライレに視線を向けられ、ようやく自分が責を果たしていない事に気が付いた。


「以上で、本日の議題の全てが終わりましたが、他に話し合う議題をお持ちの方はいらっしゃいますか?」

 ヘーネス公は自分の職務に戻った。


 ……。


 ヘーネス公は見渡したが、沈黙以外返ってこなかった。


「では、本日の御前会議を終了させて頂きます」

 ヘーネス公は会議の終了を告げた。


「よろしい。

 では、会議の決定事項の事、滞りなく進めて下さい」

 ラ・ライレはそう言うと、立ち上がった。


 そして、それに習うかのように、リ・リラも立ち上がった。


 やや遅れて、他の者達が一斉に立ち上がると、頭を垂れて、一礼した。


 それを確認した後、ラ・ライレとリ・リラは会議場を後にした。


(今回はクライセン公に見事にやられた感があるが、公が得られた利益が少なすぎる気がするのは気のせいか?)

 ヘーネス公は拭いきれない疑問を考えていた。

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