その5

 でも、まあ、エリオのその感情はの被害者意識の塊だろう……。


 噂レベルでは、今回の主役リ・リラ、それをしっかりと護衛するアリーフ子爵がもう一人の主役、そして、おまけのエリオといった形になっていた。


 あくまでも噂レベルだが、それが耳に入ったエリオとしては、心の底から嫌な気分になっていた。


 普段感情の浮き沈みがないエリオにしては、珍しい事である。


 エリオの総司令官就任直後からのホルディム伯との確執があったのは周知の事実である。


 その前もその後も、ほぼ一方的にやり込められており、自分に政治力が無い事を思い知らされていた。


 思い知らされてはいたが、どこか達観してしまっていた。


 そして、荒んでいった……。


 なので、どうせと思う事はあっても、これほど嫌な気分にはなった事はなかった。


 まあ、それはともかくとして、これまでの流れに少し触れたいと思う。


 第3次アラリオン海海戦後のこの3年間は、リーラン王国・ウサス帝国共に損害回復の期間として、小競り合いさえ無かった。


 つまり、海戦で失点する機会が無いホルディム伯の政治力は遺憾なく発揮されていた。


 そして、今回のスワン島への艦隊派遣でもその政治力が発揮されたと言っていいだろう。


 リ・リラの随伴員を決めたのは御前会議だった。


 その時の出席者は、女王ラ・ライレ、海軍総司令官エリオ、副司令官ホルディム伯、陸軍総司令官ロジオール公、副司令官クルス・ロジオール(ミモクラ侯爵)、首相ヘーネス公、副首相ヤルス・ヘーネス(カカ侯爵)の7人。


 諸々の打ち合わせの後、派遣される艦隊編成の予定をホルディム伯が発表していた。


「……以上20隻、アリーフ子爵が指揮を執ります」

 ホルディム伯はそう言い終わると、ニヤッと笑った後に、席に着いた。


 エリオを蚊帳の外に追い出して、完全勝利の余韻に浸っていた。


「子爵ごときで、この大役が務まると思っているのですか?」

 ラ・ライレが女王らしい尊厳に満ちた口調で、ゆっくりと言った。


 と同時に、会議の空気が凍り付いたのは言うまでも無かった。


 思わぬ急変にホルディム伯は目を白黒させていた。


 御前会議で、女王が発言がこれほどストレートに不快感を表したのは異例中の異例だった。


 正に非常事態だった。


 ……。


 沈黙が訪れ、場が極寒の中に叩き込まれたようになっていった。


 そんな中、ホルディム伯の顔がみるみる青冷め、大量の冷や汗を掻き始めていた。


「で、では、我も同行致します」

 ホルディム伯は動揺を抑えられないでいた。


 まあ、無理も無い事だろう。


 否定されるとは思わなかった自信満々の自身の策略が危機を迎えたのだから。


「呆れました、リ・リラの立太子の礼を随分と軽く見ているのですね」

 ラ・ライレは女王らしく、感情を面には出さなかった。


 だが、ラ・ライレの言葉は先程以上に不快感を表すものだった。


 儀式においての序列は絶対的なものである。


 当然、伯爵位なぞ、公爵位との比較対象には成り得なかった。


「……」

 ホルディム伯はこの言葉に絶句せざるを得なかった。


「ふぅ……」

 ラ・ライレは溜息をついて、一呼吸置いた。


 彼女自身、このままだと感情を爆発させてしまいそうだったからだ。


 それくらい、不快だった。


 ……。


 そんな様子をエリオ以外の出席者は固唾を呑んで見守っていた。


 エリオは甲板上の時と同様に、死んだ目をしていたので、全く動じていなかった。


 そんな姿を見て、出席者の何人かは頼もしく感じてしまった。


 だが、ラ・ライレはエリオの様子を見て、ほとほと呆れていた。


 母親代わりで育ててきたラ・ライレにとって、エリオがいじけているような拗ねているような感じでいるのは一目瞭然だったからだ。


 溜息をついたのは、それも含まれていた。


「クライセン公エリオ!」

 ラ・ライレはエリオに活を入れるかのように、名前を呼んだ。


「はっ!」

 エリオは立ち上がり、直立不動の姿勢を取った。


(全くこの子は……)

 ラ・ライレはエリオの見事な態度変化に更に呆れた。


 形ばかり取り繕っていて、心ここにあらずと言った感じなのはラ・ライレによっては明白だったからだ。


「貴公に命じます。

 リ・リラに同行し、これを守護なさい」

 ラ・ライレは勅命を下した。


「畏まりました」

 エリオは恭しくそう言いながら一礼した。


「お待ちください!」

 ホルディム伯はまるで金縛りが解けたように、立ち上がって慌てて口を挟んだ。


 エリオへの栄誉ある命令が策謀家としての本能を呼び起こさせたようだった。


「……」

 ラ・ライレはそれに対して、無言で冷ややかな視線を浴びせただけだった。


 伯爵の意図を察したのだろう。


「総旗艦艦隊だけでは数が足りません」

 ホルディム伯は針のむしろに座りながらもそう口にした。


「確かに……」

とラ・ライレは伯爵の意見に聞くべき点があったので、一旦考えてから、

「ならば、他のクライセン艦隊を動員しなさい」

と結論を出した。


 この辺は女王と伯爵の駆け引きなのだろう。


「畏れながら、陛下、それでは式典に遅れてしまいます」

 ホルディム伯は恭しく一礼しながらそう言った。


 下に向けた表情は女王が乗ってきた事で、ニヤリとしていた。


 そう、後はどうにでもなると言った感じか?


 とは言え、これは実際問題そういう恐れがあった。


 スワン島は王都カイエスのほぼ真西に位置しており、クライセン家の各艦隊は北方と東方に駐留していた。


(やれやれ、まだ終わんないのかな……)

 エリオはエリオで女王と伯爵のやり取りをかったるく感じていた。


 いい気なもんである。


「クライセン公はどう思います?」

 ラ・ライレは一思案せずに、決定をエリオに任せた。


「そうですね、アリーフ艦隊に支援して貰います」

 エリオの方はあっさりと伯爵の策略に乗ってしまった。


(この子は!!)

 ラ・ライレはエリオの言葉を聞いてエリオの横っ面を叩きたかった。


 まあ、名君と言われていても、女王もまた人の子である。


「いいでしょう」

 ラ・ライレは何事もなかったように、女王らしく、威厳たっぷりの口調でそれを承諾した。


 それに対して、エリオと伯爵は一礼して着席した。


 エリオは死んだ目のままで、伯爵は満面の笑みを浮かべていた。


(まあ、この子とあの娘を一緒に同行させる事には成功したから良しとしましょう。

 今後、この2人で、難局を乗り越えていかなくてはならないのだから、いい機会と捉えましょう)

 女王は女王で、今回の決定を前向きに捉えようとした。


 以上、御前会議の様子だったが、エリオは単なる引き立て役ではないのは明らかだった。


 まあ、主役とはいかないが、それに次ぐ人である事は疑いようがないのは事実だろう。


 エリオは少し荒みすぎているようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る